博多駅から夜の長崎へ移動
旅のはじまりは博多駅。時間を間違えて一時間も早く着いてしまい、まずはホームの立ち食いで黒うまラーメンをすする。高菜をちょこんとのせた一杯で、もう旅の気分が満ちてくる。
日が暮れてから長崎へ。市内のホテルに荷をほどき、窓の外にただよう夏の夜の気配を感じながら、明日の本番にそなえて早めに眠りについた。
長崎で精霊流しを見物
朝の長崎はまだ静か。ミゼリコルディア本部跡の石碑や浜町アーケードを抜け、中島川にかかる眼鏡橋をのぞく。あちこちで精霊船の支度がはじまっていた——船が出るということは、それだけ見送る人がいるということ。暑さに耐えかねて博物館でひんやり避難し、お盆で閉まったちゃんぽん店のかわりにインドカレーで腹ごしらえ。
そして、夜。初盆の家々の精霊船が、鉦の音とともに通りへ繰り出す。手持ちの鉦をチーン、チーンと鳴らす音は、別れを思わせるしんみりとした音色——鳴りやまぬ爆竹の爆音との対比が、胸に染みる。若いお父さんと幼子が、若くして亡くなったお母さんの小さな精霊船を押していく姿が、忘れられない。
耳をつんざく爆竹、立ちこめる白い煙、ばらまかれる不発弾、「ドーイ、ドーイ」の掛け声。左耳がおかしくなりそうな“暴動レベル”の騒音のなか、提灯をゆらして船は流し場へ。地雷原を抜けて角煮まん、締めは桃太呂の豚まん。長崎の夏のいちばん濃い時間に、まるごと身をひたした。
精霊流しって?
初盆をむかえた家が、故人の霊を乗せた精霊船(しょうろうぶね)を仕立て、「流し場」まで曳いていく長崎のお盆の送り火。鉦(かね)を打つ「チーン」という音に合わせ、「ドーイ、ドーイ」の掛け声で船は進む。道中にまかれる爆竹には、魔除けと、霊を迷わせないための道しるべの意味があるという。“流す”といっても海へ流すわけではなく、流し場で船を解いて終わる。さだまさしの歌で静かなイメージを持たれがちだが、実際は耳をつんざく爆音と白い煙に包まれた、にぎやかで晴れやかな行事だ(耳栓はマストバイ)。
浦上の原爆遺構めぐりと福岡への帰着
三日目は打って変わって、静かな朝。ゆうべの爆竹の燃えカスと火薬の匂いが、まだかすかに残る通りを抜けて浦上へ。最初に出会うのは山王神社の一本鳥居——原爆の爆風で片脚を失いながら、いまも立ち続けている。すぐそばの被爆クスノキには、飛んできた破片が刺さり、治療が大変だったという。
坂をのぼってカトリック浦上教会(浦上天主堂)へ。前田冷菓のレトロなアイスで涼をとりながら、平和公園へと歩を進める。天を指す平和祈念像、そして爆心地にしずかに祈る母子像——祈りの場をひとつずつめぐり、追悼平和祈念館で手をあわせた。
昼は長崎名物の皿うどん。太麺に甘い餡、卓上のソースをかけると(゚д゚)ウマカー。真新しい PEACE STADIUM を眺めてから福岡への帰路へ。明治公園の階段で運動し、締めは Shake Shack のバーガー。にぎわいと祈りが同居する長崎の三日間を、ほおばりながら静かに閉じた。
浦上の祈り
浦上は、1945年8月9日の原爆で中心的な被害を受けた地区。山王神社の一本鳥居は、爆風で片脚を失いながら倒れずに立ち続けている。そばの被爆クスノキは、幹に無数の破片を浴びながらも芽吹き、いまも青々と枝を広げる。平和公園の平和祈念像は彫刻家・北村西望の作で、天を指す右手は原爆の脅威を、水平にのばした左手は平和を、閉じたまぶたは犠牲者への冥福を表すという。そして原爆落下中心地(爆心地)には、母子像がしずかに祈りをささげている。