福岡から空路で北海道入り エスコンで野球観戦
旅のはじまりは福岡空港のサクララウンジ。「思ったより大したことないな」なんて言いつつ、ビール飲み放題にすっかり長居してしまう。安いマイル便を選んだから、新千歳に着くのは夕方。降りてみれば空港の周りだけ風が吹き荒れて、寒いんじゃぁぁぁ…と震えが止まらない。
日も傾いたし、今日はもう動かずに「やきう」を見に行こう。北広島のエスコンフィールドへ。「なんこれめっちゃカッコ(・∀・)イイネ!!」——みずほPayPayドームより名前も見た目も数段スタイリッシュな球場に、思わず声が出る。球場内で醸造したクラフトビールに手羽先、シャケカツサンド。伊藤と万波を眺めながらの一戦は、点の取り合いがいつまでも終わらない乱打戦。終わってみればハムは惜しくも逆転負けだった(´;ω;`)。
寒風のなか駅まで歩き、宿のある恵庭へ。焼鳥屋で黒ラベル、北海道で飲むとなぜか美味い。〆は北海道ローカルのラーメンサラダに、千歳鶴のにごり酒。ホテルに戻れば、窓の外には馬鹿でかい満月が出ていた。
エスコンフィールドHOKKAIDO
北広島市の「北海道ボールパークFビレッジ」の中核をなす、北海道日本ハムファイターズの本拠地。2023年に札幌ドームから移り、日本の球場では珍しい開閉式の屋根と、天然芝のフィールドを備える。球場内にはクラフトビールの醸造所やサウナまであり、試合を見なくても一日いられる“街のような球場”として知られる。この日の屋根は閉まっていて、冷たい風の吹く外とは裏腹に、中はぽかぽかだった。
三笠の炭鉱遺産とアンモナイト博物館めぐり
朝ごパンのたけのこピロシキで腹ごしらえして、岩見沢から中央バスで幾春別へ。まずは三笠市立博物館。中に入れば、殻の直径2.5mという世界最大の復元模型がどんと出迎え、本物のアンモナイトの化石がずらりと並ぶ。沢に分け入り、岩をハンマーで割って化石を探す……そんなロマンが、この三笠には眠っている。職員さん手書きの解説が、またいい味だ。
ここは、炭鉱のまちでもある。囚人労働からはじまり、やがて住友奔別と北炭幌内に集約された空知の炭田。最盛期には人口六万を数えたというから、今の静けさからは想像もつかない。奔別炭鉱のガイドツアーで、朽ちた巨大なホッパー(石炭を貨車へ落とす装置)を間近に見上げる。幌内では変電所を中心に遺構がごろごろ転がり、クロフォード公園には移築された古い駅舎。そして空知集治監のレンガ煙突が、囚人たちが炭鉱と開墾で北海道の礎を築いた記憶を、今に伝えている。
合間のお昼は更科食堂。バスの時間とにらめっこしながら飛び込んで、そばを3分でかっこむ(;´Д`)。夜は岩見沢に戻って、であえーるの洋食屋さんへ。前菜盛り合わせはどれも美味く、メインのハンバーグはふわふわトロトロ。思いがけず、いい店だった。
炭鉱とアンモナイトのまち、三笠
三笠は、北海道の近代をぎゅっと凝縮したような土地だ。1879年に官営幌内炭鉱が開かれ、石炭を小樽へ運ぶために北海道で最初の鉄道(幌内鉄道・手宮〜幌内)が敷かれた。開発を支えたのは空知集治監に収監された囚人たちの労働で、やがて住友奔別・北炭幌内の二山に集約されていく。一方、山を少し掘れば、アンモナイトをはじめ中生代白亜紀の海の化石がごろごろ出てくる“化石のまち”でもある。石炭=太古の森と、アンモナイト=太古の海。地層に刻まれた二つの時間が、この小さな市に同居している。
岩見沢から札幌中心部を観光し伊達へ
朝は岩見沢名物から。らい久の味噌バター野菜ラーメン特大——どんぶりからしてデカい。味噌の主張は控えめで、バターのコクが際立つ。もやしはシャキシャキ、卓上の七味をどばっと入れると味がぐっと締まって、量が多いのにあっという間に完食(´・ω・`)。行列の天狗まんぢゅうをおやつに忍ばせて、札幌へ向かう。
……はずが、森林公園でバスを乗り間違えて新札幌へ(´;ω;`)。ならばと、予定を変えて札幌中心部をぶらり。旧控訴院の札幌市資料館、意外とデカい時計台、赤れんがの北海道庁旧本庁舎、狸小路からすすきの。大通公園の木蓮がきれいだ。サッポロビール博物館はGWの人出でごった返し、試飲どころじゃなかったのが心残り。
札駅の立ち飲みスタンドで、タップから注がれるSORACHI 1984の泡をぐいと。お高いけどアルミカップがもらえるのが嬉しい。特急北斗に乗って、伊達紋別へ。晩ごはんは、店主がAIで作ったというテーマ曲が流れるカレー屋・留八。甘口のベースに、スパイスを好みで足していく一杯だった。
札幌、開拓使がつくった街
碁盤の目の街並みも、赤れんがの建物も、札幌の原風景は明治の開拓使に行き着く。北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)はアメリカ風ネオ・バロックの堂々たる洋館で、時計台はもともと札幌農学校の演武場。開拓を主導した開拓長官・黒田清隆は、「少年よ大志を抱け」のクラークをはじめ多くのお雇い外国人を招いた。ビール(サッポロビールの源流も開拓使麦酒醸造所)も、道路も、札幌という都市そのものが、北の大地を拓こうとした時代の産物なのだ。
伊達の歴史めぐりと八雲の木彫り熊資料館
すっかり晴れた伊達の朝。宿の看板猫に見送られて出発だ。伊達神社にお参りし、アヤメ川自然公園へ。散った桜が地面を埋める花の絨毯、小川のせせらぎと鳥の声、足もとにはエゾエンゴサクや、春の妖精みたいな白い小花。北の遅い春が、いっせいにほどけていく。伊達は「北の湘南」と呼ばれる温暖な土地らしく、直射日光を浴びると汗ばむほどだ。
だて歴史文化ミュージアムで、亘理伊達家の開拓史にふれる。仙台伊達家の重臣だった亘理伊達家が、明治のはじめ、禄を失ってこの地へ集団移住してきた——毛虫のような兜は、伊達成実のものらしい。道の駅では、むっちむちの揚げかまぼこと、ドロドロに濃厚な飲むヨーグルトに舌鼓。お昼は梅ベースのスープカレーをいただく。酸味がいい仕事をしていた。
特急北斗でさらに南下、八雲へ。お目当ては木彫り熊資料館。鮭をくわえた熊は実は旭川・登別系で、八雲の熊は鮭を“担ぐ”のだとか。面を削ぎ落とした抽象的な一頭に、思わず見入ってしまう。今夜は奮発して、新函館北斗の温泉ホテルへ。北斗市産ふっくりんこのごはんと、こまい、インペリアルピルスナーで、最後の夜を乾杯🍻。
八雲の木彫り熊
北海道みやげの定番・木彫りの熊。その発祥の地が、ここ八雲だ。この地を開拓した尾張徳川家の農場で、冬の副業にと、当主・徳川義親がスイスみやげの熊の木彫りを手本に農民へ作らせたのが始まりとされる。やがて旭川のアイヌの木彫りと並ぶ二大産地となるが、作風は対照的。旭川系が鮭を“くわえる”リアルな熊なのに対し、八雲系は鮭を背に“担ぐ”姿や、面を削ぎ落とした抽象的・モダンな造形で知られる。柴崎重行の「座熊」に代表される一群は、工芸というより、どこか現代彫刻のような佇まいだ。
北海道新幹線と空路で帰路 神戸を途中観光
最終日。新函館北斗から北海道新幹線で新青森へ、津軽海峡をくぐって本州へ戻る。始発は立ち席でもガラガラだった。青森駅で乗り換え、青森空港のラウンジでりんごジュースをごくごく——これが美味すぎる🍎。空路で伊丹へ飛ぶが、ところが乗継便は満席。ここからは、思いがけず陸路の途中下車旅に切り替えだ。
とりあえずバスで神戸へ。地下鉄に乗って、中央市場の洋食屋で昼ごはん。オムライスとワンタン——なぜか中華もある不思議な店だけど、シンプルに美味い。チキンライスは酸味控えめで好み、350円のワンタンは6個入りでどんぶりもデカくてお得だった。
腹ごしらえをして、向かうは兵庫津。兵庫にも大仏がいた——能福寺の兵庫大仏、そばには平清盛の墓。かつて清盛が開いた大輪田泊、兵庫県発祥の地をたどり、兵庫津ミュージアムで、兵庫津から神戸へと移りゆく湊町の歴史に浸る。初代県知事は伊藤博文だったとか。おみやげで重くなった荷物を抱え、西明石から山陽新幹線に飛び乗って、長い北海道旅を福岡で締めくくった。
兵庫津と兵庫大仏
神戸港の西にある兵庫津は、平安末期に平清盛が日宋貿易の拠点として整えた国際貿易港「大輪田泊」に起源をもつ、由緒ある湊町。能福寺の兵庫大仏は、清盛が出家した寺に建つ青銅の大仏で、奈良・鎌倉と並ぶ「日本三大仏」を名乗る(ちゃんと両者に許可も取ったらしい)。明治に兵庫県が置かれたのもこの地で、初代県知事は若き伊藤博文。近代神戸の賑わいに主役を譲る前、ここが西日本の海運と行政の心臓だった時代の記憶が、運河や史跡に静かに残っている。