北九州から筑豊へ 廃線跡と炭鉱遺構めぐり
旅のはじまりは北九州・小倉。ホームのうどんをすすって胃を温めたら、電車で香春へ運ばれていく。駅前から走り出すとまず目に入るのは、けずり取られた香春岳の下にひろがるセメント工場と、そこへ延びていた引き込み線の廃線跡。平成筑豊鉄道も廃止の話が出ていると聞いて、思わず(´;ω;`)ブワッ。勾金の駅をのぞき、福岡で最後まで残っていた未踏の町・大任町のカントリーサインに「ついに制覇」とひとりごちる。
道の駅おおとう桜街道では、建設費一億円という噂の“一億円トイレ”を拝む。オシャできれいではあるけど、一億円…?と首をかしげつつ、おにぎりで二度目の朝ごはん。旧国鉄添田線の今任駅跡は、折しも桜吹雪のまっただなか。大任駅から彦山川にかかる長い橋りょうは、着工だけされて列車が一度も走らなかった、幻の油須原線の未成線だという。
川崎町へ入り、豊前川崎駅から今度は上山田線をたどる。中途半端に整備された廃線跡のサイクリングロードは、出口が見えているのにトンネルが塞がれていて通れず、仕方なく峠を越えて嘉麻市へ。熊ヶ畑という地名のとおり、昔この山にも熊がいたのだろう——駅の跡には、使われなくなった線路がそのまま残されていた。
上山田でたけのこご飯のお弁当を広げ、閉まっていた山田饅頭のかわりにミュロのコルネをほおばる。大隈駅を過ぎ、いよいよ本日のハイライト——三菱鉱業飯塚坑の巻上機。思っていたよりずっとでかくて、煉瓦と鉄のかたまりに圧倒される。こがえる寺こと正法寺のカエルたちに見送られ、かほテラスでおみやを買って、飯塚駅から夕方の帰路についた。茶色いおみやで一杯やれば、春の筑豊一日が、しずかに暮れていく。
筑豊炭田と石炭の鉄道
遠賀川の流域にひろがる筑豊は、明治から昭和にかけて国内有数の石炭の産地だった。掘り出した石炭を若松の港へ運ぶために、筑豊本線をはじめ上山田線・添田線・漆生線など、炭鉱と港をむすぶ鉄道が網の目のように敷かれていた。やがて国のエネルギーが石炭から石油へ移ると、炭鉱はつぎつぎと閉山し、石炭を運んでいたローカル線も役目を終えて廃止されていった。いま筑豊に残る廃線跡や駅の跡は、石炭で栄えた時代の、静かな証人である。
三菱飯塚坑の巻上機台座
飯塚の市街にのこる三菱鉱業飯塚坑の巻上機台座は、坑道の人や石炭を地上へ引き上げた「巻上機(まきあげき)」を据えつけた、煉瓦づくりの大きな構造物。炭鉱が閉じたあとも取り壊されずに残り、筑豊の採炭の歴史を今に伝える遺構として、「歴史・人権・平和」の広場に保存されている。間近で見上げると、写真で想像していたよりもずっと大きく、積み上げられた煉瓦とアーチに、地の底から石炭を汲み上げていた時代の力がにじむ。