新八代から球磨川を遡り人吉・あさぎりへ
新八代の駅前には、ぬっと構えるスーパーマリオのクッパ軍団。JR九州とのコラボで割り当てられたキャラらしい。ここから球磨川をさかのぼる……はずが、川沿いの国道は令和二年七月豪雨の爪あとだらけ。道になってしまった肥薩線の跡、流された橋、両岸そろって通行止めの看板。対岸に気になっていた遥拝神社の桜に心を慰めつつ、いったん引き返して佐敷から内陸ルートで仕切り直す。もう春というより暑いくらいの陽気のなか、三分五分の桜が、満開へと駆け足で向かっていた。
山をいくつも越えてたどり着いたのは、地底の別世界・球泉洞。愛媛大学の探検隊が天井の穴から潜りこんだという鍾乳洞は、ひんやり涼しく階段だらけ。地上にもどって生姜焼き定食で腹ごしらえしたら、満開を過ぎて桜吹雪の舞う谷を、一勝地・那良口と肥薩線の無人駅をつないで走る。花とイラストと駅ノートで飾られた駅は、復旧を待つ路線への愛でいっぱいだった。
長い渓谷を抜けると、ふいに視界がひらけて球磨盆地。人吉の桜はもう爆発的で、夏目友人帳の聖地という天狗橋をのぞき、国宝・青井阿蘇神社に手を合わせる。豚足で知られる錦町を抜けて、今夜の宿はあさぎり町。すぐ近くの神社のナイトバルで、多良木のジビエ——鹿肉のホットドッグと竜田揚げを、芦北のはちみつビールとあさぎりの米焼酎で流しこむ。ウイスキー樽で寝かせたという米焼酎が、すっきり爽やかに一日を締めくくった。
寸断された肥薩線
球磨川に沿って八代と人吉を結んでいた肥薩線は、2020年(令和2年)7月の豪雨で球磨川が氾濫し、鉄橋の流失や路盤の崩壊など各地で甚大な被害を受けて不通になった。沿線にはいまも道路に転用された線路跡や、流された橋の跡が痛々しく残る。それでも駅舎は地元の手で花やイラスト、駅ノートで彩られ、復旧を待つ路線への愛がにじむ。近年ようやく、鉄道での全線復旧に向けた方針が示された。
朝霧のあさぎりから五木村越え、氷川へ下り帰宅
朝霧のあさぎり。名前のとおり、球磨盆地は乳白色のもやに沈んでいた。霧のなかにぽつんと立つ一本桜を横目に本流を離れ、川辺川の澄んだ流れに沿って下っていく。昨日とはうってかわって空気は清々しく、車も少ない快適な道。谷底からはカジカの声が響く。やがて、場違いなほど真新しい造成地がぽつんと現れた——川辺川ダム計画に長く揺れてきた、五木村だ。
中心地の頭地では、ちょうどバンジーから人が飛んでいた。満開の桜が花吹雪になって舞うなか、名物のかりふわ丼で燃料補給。輪切りの油揚げが外はカリカリ、中は出汁染み染みでたまらない。ここからが山越えの本番。きれいな川をさかのぼり、百円で入れる白滝の鍾乳洞——というより地下水脈の出口——をのぞいて、ループとヘアピンの急坂を踏みしめ、大通峠へ。
峠の向こう、東陽側は五木側よりずっと険しい下り坂。ディスクブレーキを効かせて駆けおり、石橋の里・東陽町へ。保育園に乗っ取られた神社に笑い、道の駅東陽でひと息ついて、氷川町へ下山——山越え成功٩(๑❛ᴗ❛๑)۶。あとは有佐駅から在来線と新幹線で福岡へ。締めは桂花ラーメンの辛味噌ターローメン。角煮ののった一杯をずずっと啜って、球磨川をさかのぼった二日間を終えた。
五木村と川辺川ダム
『五木の子守唄』で知られる五木村は、川辺川ダム計画に長く揺れてきた村だ。ダムが完成すれば中心部が水没するため、住民は高台の代替地へと移転した。頭地(とうち)の真新しい造成地は、谷底の旧市街から移り住んだ新しい村のかたち。2008〜09年に県が計画の白紙撤回を表明していったん止まったが、2020年の球磨川水害を受けて、治水のあり方がふたたび議論されている。山あいには満開の山桜と、谷をまたぐバンジージャンプ台が旅人を迎える。