空路で小松入り 安宅の関と小松の城下町
旅のはじまりは福岡空港。乗り継ぎ前のホームで朝🍙をほおばって羽田へ飛び、乗り換えた小松便は、いつもと違う山岳ルートだった。富士山、南アルプス、中央アルプス、乗鞍に御嶽、そして行く手には白山——窓の外を雪の稜線が次々と流れていく、思いがけない空の特等席。福岡よりずっと寒い北陸の空気の中へ、ゆっくり降りていった。
バスを乗り継いで、海沿いの安宅へ。松林を抜けた先は、歌舞伎「勧進帳」の舞台として知られる安宅の関跡だ。玄界灘とはまるで違う、轟々と波の鳴る荒れた日本海。弁慶・義経・関守の富樫をあらわした「智仁勇」の像が松の中に立ち、潮風に白んだ板塀の町並みがつづく。北前船主の屋敷にお邪魔すれば、古いお雛さまのミニチュア展示にきゅんとして、そのまま屋敷のレストランでカレーの昼食をとった。
小松の城下へ戻れば、見どころが次から次へ。能登の復興を祈る菟橋神社はうさぎだらけ、垂直に切り立つ小松城の天守台、前田のご隠居が愛でた松の芦城公園。「みよっさ」では、お旅まつりの曳山がそのまま子供歌舞伎の舞台に変わる仕掛けに見入った。こまつの杜の巨大なダンプを見上げ、日本海に霞み消える夕日を見送って、松任の町中華・丸八で牛乳ラーメンをすすった。
安宅の関と勧進帳
兄・頼朝に追われた源義経の一行が、山伏に身をやつして奥州へ落ちのびる道中、加賀の安宅の関で関守・富樫左衛門に呼び止められる。弁慶はとっさに白紙の巻物を勧進帳と偽って朗々と読み上げ、なおも疑われると、主君の義経を金剛杖で打ち据えてまで山伏になりすまし、一行を守りぬいた——歌舞伎十八番「勧進帳」でおなじみの名場面だ。関所が置かれたのは小松の城下ではなく、こんな海辺。入り江に乏しい加賀の海岸では、少し大きな川の河口というだけで北前船の寄港地になり得たという。
白山・野々市から金沢へ 鉄路で帰福
二日目は白山市松任から。天狗舞のお膝元らしく、まちなかにも酒蔵が残る。見事な枝ぶりの松をいだく願念寺に見送られ、道の駅めぐみ白山で開店を待つ。お目当てはすぐ裏のトレインパーク白山——新幹線の車両基地、白山総合車両所がまるごと楽しめる施設だ。黄色い新幹線に沸き、見学デッキから銀と青の車両を見下ろした。
北陸鉄道で野々市へ。九州でいうヒライのような「八幡のすしべん」で、玉子とじ丼のうどんセットをかきこむ。富樫ゆかりの地で椿まつりをのぞき、しっかり残る野々市本町の町並みをあるく。元酒蔵の喜多家では、合併を拒んで単独市制を貫いた野々市の心意気を管理人さんに教わり、復刻された銘酒「猩々」をしっかりGETした。
北鉄で野町へ入り、にし茶屋街の石畳をあるく。手裏剣体験の店に吸い込まれていく外国人団体を横目に、犀川大橋を渡って金沢城へ。「石垣の博物館」と呼ばれる城で、苔むす野面積みと、無数の刻印が刻まれた裏手の壁に見入った。締めは加賀料理、どじょうの蒲焼きに、おでんの車麩はじゅわっと(゚д゚)ウマッシマ。鼓門に見送られ、つるぎ・サンダーバード・新幹線を京都経由で乗り継いで、深夜に帰福した。
金沢城の石垣
加賀百万石・前田家の居城、金沢城は「石垣の博物館」と呼ばれるほど、時代ごと・場所ごとに積み方の違う石垣が残る。近くの戸室山から切り出された戸室石は、赤みと青みをおびた火山岩で、面をそろえて隙間なく積んだ表側の壁はカラフルで端正そのもの。いっぽう人目につきにくい裏手には、自然石を荒く積んだ野面積みの石垣もあり、よく見ると、普請を担った組や石工の目印とされる無数の刻印が刻まれている。表の美しさと裏の素顔、両方を見比べられるのが面白い。