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脇田温泉と、へいちくの酒蔵開き
MIYAWAKA · TAGAWA · 2026 はや春

脇田温泉と、へいちくの酒蔵開き

確定申告をかたづけて、濁り酒とローカル線へ。

2026.2.27 ▶ 3.1

Days3日間
Dist約91km
Area福岡・宮若〜田川
Top最高 135m

二月の終わり、確定申告をまとめて片付けるために宮若の脇田温泉へこもった。平日は家で仕事、休日は家にいても結局は酒を飲んで寝落ちしてしまう——だから、旅しないと死ぬ体質なのだ。肌触りが軽くてサラサラのお湯に浸かりながら、面倒な数字と向き合う連泊の宿。

書類にけりがついた三日目、ごほうびはローカル線の小さな旅。直方から平成筑豊鉄道(へいちく)に揺られて崎山へ。春めいた無人駅から歩けば、酒蔵開きのにぎわいと、できたての濁り酒、揚げたての崎山からあげが待っていた。鳥居のあいだを線路が抜ける小さな村、ついに完成しなかった国鉄油須原線の未成線跡——廃線のうわさがささやかれるローカル線で、はや春の筑豊をめぐった三日間の記録。

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DAY 1 · 02.27

確定申告のため脇田温泉に投宿

金曜の夜、宮若市の脇田温泉に投宿。明日からここに腰を据えて、積み残した確定申告をまとめて片付ける算段だ。「人類の滅亡を見届けたいのに」なんて軽口を叩きながら、まずは温泉へ。

特別な効能を謳うお湯ではないけれど、肌触りが軽くてサラサラで、これが結構好きなのだ。連泊にしたぶん日中は書類とにらめっこで入れないのが玉に瑕。それでも夜の湯に身を沈めれば、面倒ごとも少しだけ遠のいていく。

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DAY 2 · 02.28

脇田温泉で確定申告と買い出し

おはいお、やるきしねー。脇田温泉は食事処に困るので、少し歩けばあるというパン屋と産直をめざして外へ出る。古い宿の作法——ガスストーブはコイン式で時間がくると勝手に消え、布団はセルフで押し入れから見繕って敷く——を思い出しながら、のんびり買い出しに繰り出した。

泊まっているのは、じつは福岡発の小売大手トライアルのスマートホテル。「打倒チャッピー」と気炎を上げるAI開発拠点をすぐそばに眺めつつ、産直とこはく本舗で大量に仕入れて戻る。ベーコンエッグおにぎりに鯖ほぐしマヨ、そして焼豚足——久留米で初めて食べて感動した、皮にかぶりついてこそ美味い一品も。さて、ダラダラしてから申告のつづきをはじめよう。

移動 約1.3km

脇田温泉と、宮若のふしぎ

福岡県宮若市、犬鳴川のほとりに湧く古くからの温泉地。筑豊の奥座敷として親しまれてきた。近年の宮若はトヨタ自動車九州の企業城下町として知られ、さらに福岡発の小売大手トライアルがAI開発拠点やスマートホテルを置くなど、のどかな山あいに先端企業が同居する不思議な土地でもある。宮若の縁起物「追い出し猫」は、ほうきを手に災いを追い出し、福を招くとされる愛らしい土人形だ。

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DAY 3 · 03.01

直方から平成筑豊鉄道で九州菊の蔵開きへ

朝風呂をすませてチェックアウト。福を招く「追い出し猫」に見送られ、直方行きのバスを待つあいだ、はや春の脇田温泉を犬鳴川ぞいにぶらり歩く。もう完全に、春の空気だ。

直方からは平成筑豊鉄道——通称へいちく。廃線のうわさがささやかれるローカル線を、あと何回この手で乗れるだろう。一両のちくまる号に揺られて崎山で降りれば、九州菊の酒蔵開き。へいちくで来ると試飲券が一枚もらえるのがうれしい。濁り酒を一杯、樽酒をおかわり、揚げたての崎山からあげは衣サクサク中ジューシーで(゚д゚)ウマカー。鳥居のあいだを線路が抜ける崎山八幡神社のわきを、桜と菜の花にふちどられた春の電車が走る。

油須原では、ついに完成しなかった国鉄油須原線の未成線跡へ。路盤もトンネルもほぼ出来あがっていながら、一度も列車の来なかった幻の鉄路だ。いまはトロッコ列車がたまに走るだけ。小さな赤村をのぞいて、博多までは二時間以上——鹿児島より遠い田川の帰り道。締めはサンプラザのラーメン定食で、ちいさな筑豊の旅を閉じた。

移動 約90.3km / 獲得標高 178m

平成筑豊鉄道と九州菊

平成筑豊鉄道(へいちく)は、国鉄の赤字路線を引き継いで1989年に開業した福岡県筑豊地区の第三セクター鉄道。田川線・伊田線・糸田線をのんびり走る、沿線の暮らしに根ざしたローカル線だ。マスコットは「ちくまる」。田川線の崎山駅にほど近い林龍平酒造場(福岡県みやこ町)は、銘酒「九州菊(くすぎく)」の蔵元で、毎春の酒蔵開きには、へいちくで訪れると試飲券がもらえる趣向もある。できたての濁り酒や樽酒、名物の崎山からあげを求めて大いににぎわう。

幻の油須原線

国鉄油須原線は、筑豊の石炭を苅田港へ運ぶために計画された貨物路線。しかしエネルギー革命で石炭産業が斜陽となり、路盤やトンネルがほぼ完成していながら、ついに開業しないまま「未成線」として打ち捨てられた。いまは赤村に残る線路跡で、保存会によるトロッコ列車がときおり運行され、幻の鉄路の記憶を今に伝えている。