鉄道で鹿児島へ、喜入から山越えして知覧・川辺へ
早朝の福岡を発って、鉄道でひたすら南へ。出水や川内のあたりは霧で真っ白だったのに、鹿児島中央で乗り換えて指宿枕崎線に揺られるうち、空はすっかり晴れてきた。「喜び入ってきたぁ~💕」と喜入の駅に降り立てば、もう汗ばむほどの陽気。ここから折りたたみ自転車で、山を越えて知覧の方へ向かう。
峠までの登りは標高二百メートルちょっと。それでも急坂はしんどくて、ハァハァ言いながら尾根を越えると、向こうに南九州市の茶畑がどこまでも広がっていた。静岡を抜いて生産量日本一になったというお茶処だ。冬の風に大根を干す「大根やぐら」、畑のなかにぽつんと残るトーチカや地下壕——なだらかな丘陵が飛行場に選ばれた土地の記憶を、茶の香りのなかに拾いながら走る。
店もコンビニもほとんど無い道を、よもぎ餅とひんやり缶のお茶でしのいで川辺へ。高田の石切場では、シラスの崖から名水が湧き、鹿児島のすさまじい廃仏毀釈を生き延びた磨崖仏が静かに彫り残されていた。名水百選のまち川辺に着いて、今夜の宿はご当地チェーンの HOTEL AZ。ホームセンター併設の巨大スーパーで醤油の棚に圧倒されたあとは、AZバーの飲み放題つきで、ガーリックライスと牛肉の煮込みにお腹いっぱい。
田の神さぁ
鹿児島から宮崎にかけて広く分布する、田んぼの神さまの石像。「たのかんさぁ」と呼ばれて親しまれ、しゃもじやすりこぎを手にした素朴な姿が多い。豊作を願って田のほとりに立てられ、収穫の季節には新米が供えられる。江戸期の薩摩で生まれた造形文化で、同じ神さまでも村ごとに表情も持ち物もまちまち。旅の道すがら見つけるのが楽しい。
大根やぐら
冬の南薩に現れる風物詩。やぐらを組んで一面に大根を吊るし、寒風でじっくり干し上げて漬物用の切干大根にする。桜島がもたらした火山灰土は水はけがよく、良質な大根を育てるのだという。みずみずしい大根と、いい塩梅に干からびた大根が同じやぐらに並ぶ様子は、冬のひとときだけの眺めだ。
川辺の名水と磨崖仏、知覧特攻遺跡を巡り鹿児島へ
朝ごはんは、明太に高菜に卵——「主役は俺ぇ」と自己主張の強いご飯のお供をかきこんで出発。まず向かったのは、名水百選に選ばれた清水のまち。地名のとおり水は澄みきって、日も差していないのに水草が毒々しいほどビビッドに光る。清水湧水に手を合わせ、シラスの断崖へ。
清水磨崖仏——やわらかなシラスの崖に、仏像や宝塔、梵字が無数に彫り込まれている。崩落の危険で近くへは寄れないけれど、鹿児島のすさまじい廃仏毀釈を生き延びた石仏たちが、冬の光の中に静かに並んでいた。道の駅で川辺仏壇をのぞき、途切れた知覧線の跡をたどるうち、今度は戦争の記憶の色が濃くなってくる。
蓋のない掩体壕、撃墜されたB-25の乗員をとむらう慰霊碑、特攻隊員が出撃前夜を過ごした三角兵舎の跡。知覧特攻平和会館では、引き揚げられた零戦と、膨大な遺書や寄せ書きの前に言葉を失う。昼は川辺牛と黒豚のバーガーに知覧抹茶ラテ。砂を盛り、松と餅を飾った小正月の武家屋敷をめぐり、ロンドンバスと手蓑峠を越えて自転車で鹿児島中央へ。締めは久しぶりのざぼんラーメン、もやしとキャベツを混ぜ混ぜして(゚д゚)ウマカー。
清水磨崖仏
川辺の清水地区、万之瀬川沿いのシラス(火山灰が固まった白い崖)に刻まれた磨崖仏群。平安末期から明治にかけて彫られたとされ、大五輪塔や宝塔、千手観音、梵字などが確認できる。やわらかく加工しやすいシラスならではの石造文化で、明治の激しい廃仏毀釈をくぐり抜けて今に残る。すぐそばには清らかな湧水が流れ、ポリタンクを手にした人がひっきりなしに訪れていた。
知覧と特攻
太平洋戦争末期、知覧には陸軍の特攻基地が置かれ、ここから多くの若い隊員が沖縄方面へ飛び立って還らなかった。出撃前夜を過ごした三角兵舎の跡、指揮所や通信隊の跡が市街のあちこちに石碑として残り、道端には隊員をしのぶ灯籠が並ぶ。知覧特攻平和会館には、海から引き揚げられた零戦や、隊員たちが遺した膨大な手紙・遺書が収められ、見学者の足を止める。