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さんふらわぁで渡る 関西・古墳と初詣の旅
BEPPU → KANSAI · 2025 年の瀬 ▶ 2026 新春

さんふらわぁで渡る 関西・古墳と初詣の旅

夜の船で海を渡り、古墳をめぐり、初日の出を拝む。年をまたぐ十日間。

2025.12.27 ▶ 2026.1.5

Days10日間
Dist約2495km
Area大分・大阪・奈良・京都・兵庫・和歌山・三重・滋賀
Top最高 503m

年の瀬、博多から一本の船旅がはじまった。別府港から乗りこんだのは、就航まもない新造船・さんふらわあ むらさき。太陽をかたどったマークに見送られ、夜の瀬戸内を一晩かけて渡る——目覚めれば、2025年と2026年の狭間に大阪の朝日が昇っていた。

そこからは、ひたすら歩く関西周遊。古市と佐紀の巨大古墳群をぶらり、聖徳太子の御廟から二上山を越え、京都では水路閣と大文字、奈良では砂もちの正月行事。大晦日は摩耶山で年を越し、元日の初日の出を拝んで神戸・和歌山・三重・滋賀へ。古墳と寺社、港と峠、年越しそばと初詣——にぎやかな掲示板実況とともに、ひとつの年をまたいだ十日間の記録。

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DAY 1 · 12.27

博多から別府へ、新造船で夜の海を渡る

のんびりスロースタートの初日。まずは定番の朝ラーをすすって、ゆふの車窓からずっと気になっていた「わらぐろ」を見に、庄内の田んぼへ降り立つ。殺風景な冬の田んぼに、藁を円錐に積み上げた塊がぽつぽつ——昔はどこでも来年の肥料にと藁を積んだそうで、この一帯の田んぼにだけ集まって残っているのが、なんとも異質でおもしろい。

別府に移って、麺が太く堅くキャベツのキムチがのった別府冷麺であったまる。グローバルタワーから温泉のまちを一望し、竹とは思えない超絶技巧がならぶ竹細工伝統産業会館をのぞいたら、いよいよ港へ。就航まもない新造船・さんふらわあ むらさきに乗りこみ、牡蠣のパスタや厚切りの刺身、チョコファウンテンまでしっかり味わって——「さらば九州よ」。船は夜の海へ漕ぎ出した。

移動 約136.3km / 獲得標高 209m

さんふらわあ むらさき

別府と大阪を結ぶ、フェリーさんふらわあの新造船。船名は太陽(サンフラワー)に由来し、船体には大きな花のマークが描かれる。2023年就航の“むらさき”は、個室化が進んだ客室やレストラン、展望浴場を備え、夕方に別府港を出て翌朝に大阪・南港へ着く“動くホテル”だ。乗船券の QR がそのまま部屋の鍵になる今どきの船で、夜の瀬戸内をゆっくり渡りながら年の瀬の一夜を過ごせる。

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DAY 2 · 12.28

大阪南港に上陸、古市古墳群を一日ぶらり

東の空がもう明るい。船は2025年と2026年の狭間のような朝焼けの南港へ着いた。本州上陸。地下鉄とバスを乗り継いで藤井寺へ渡り、今日は一日、世界遺産・古市古墳群をあるく。

まずは津堂城山古墳。水のないお堀は菖蒲園になり、戦国には三好氏の城としても使われたという——学術的にはヤマトタケルの墓の可能性が高いとか。藤井寺の名の由来・葛井寺、船形埴輪をかたどったアイセルシュラホールをのぞき、お昼は初めての大阪のお好み焼き屋で、牡蠣たっぷりの一枚をはふはふ。午後は仲哀・允恭・応神と天皇陵をつないで歩き、巨大な応神天皇陵古墳の外堤で息を呑む。夜は布施と河内永和の商店街で惣菜を買い込み、馬肉のさいぼしといいちこで一日を締めた。

移動 約48.7km / 獲得標高 36m

古市古墳群

羽曳野市・藤井寺市にまたがる、4〜6世紀の巨大な古墳の集まり。堺の百舌鳥古墳群とともに「百舌鳥・古市古墳群」としてユネスコ世界遺産に登録されている。応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳は全長約425mで、堺の仁徳天皇陵(大仙古墳)に次ぐ国内第2位の規模。宮内庁が陵墓として管理するため立入れない古墳が多いが、城として使われた津堂城山古墳のように公園化され間近で見られるものもある。歩くほどに、丘という丘が古墳に見えてくる。

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DAY 3 · 12.29

聖徳太子の御廟から二上山を越え、當麻寺へ

乗り換えのついでに道明寺天満宮へ寄り道。喜志の駅前には、聖徳太子と小野妹子の墓を示す大きな石碑が立っている。駅のない太子町・河南町を、ここから目指す。

推古天皇陵、小野妹子墓とめぐって、いよいよメインの聖徳太子。古墳ではなくお寺・叡福寺が、死ぬ前にみずから定めたという御廟をまもる。天皇でもないのに菊の御紋がつく御廟に手を合わせ、そこからは古代の官道・竹内街道をゆく。

国道歩きに飽きて二上山の登山道へ。大阪側はにぎやかでも、岩屋峠を越えた奈良側は鳥の声も疎らな杉林の静寂。當麻寺へ降りて国宝の堂塔を拝み、冬らしい赤い実の庭をめぐる。門前には立派な注連縄を飾った重厚な家並み。帰りは天満橋で乗り換えついでに、紅生姜がしゅきな串かつを(゚д゚)ウマー。

移動 約65.4km / 獲得標高 46m

叡福寺と聖徳太子御廟

大阪・太子町にある寺で、聖徳太子の墓所とされる磯長墓(しながのはか)をまもる。太子は生前にみずからこの地を墓と定めたと伝わり、母・穴穂部間人皇后、妃・膳部菩岐々美郎女とともに葬られる「三骨一廟」として知られる。天皇陵ではないのに陵墓を示す菊の御紋がつくのは、太子がそれだけ特別な存在として崇められてきた証。周辺の太子町・河南町には推古天皇陵や小野妹子墓も点在し、古代史のロマンが詰まった里だ。

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DAY 4 · 12.30

京都、三十三間堂から水路閣と大文字へ

バリバリの観光地に飛びこむのは珍しい。朝いちは三十三間堂、開堂前から並ぶ。長いお堂に千手観音が1001体ズラリ、真ん中の巨大な千手観音も、手前の風神雷神もぜんぶ国宝——人が多すぎて、いつか貸切でじっくり眺めてみたい。

平安神宮の大鳥居を見上げ、お昼は和カラシの効いたドラゴンバーガー。そしてずっと見たかった南禅寺の水路閣へ。レンガのアーチにいまも水が流れていて、しゅごい。勢いそのままに山へ分け入り、大文字山へ。ガスってはいたけれど、「大」の火床から見下ろす京都の町は格別だった。

下って銀閣寺へ。金を取り除いた木造、というイメージと違う渋い佇まいで、庭がやっぱり主役。山茶花の咲く哲学の道をたどり、蹴上のインクラインと発電所を横目に市内へ戻る。夜は宿の近くでばくだんや九条ねぎのだし巻き、締めのチャーシューメンでお腹いっぱい。

移動 約49.3km / 獲得標高 24m

南禅寺水路閣

南禅寺の境内を横切る、レンガ造りのアーチ橋。琵琶湖から京都へ水を引く「琵琶湖疏水」の一部として、明治23年(1890年)に完成した水道橋だ。古刹の景観に洋風のアーチが溶けこむ意外さが人気で、いまも現役で水を流し続けている。すぐ近くの蹴上インクラインは、落差のある疏水で船を運ぶために敷かれた傾斜鉄道の跡。疏水の水力でまわした蹴上発電所とあわせ、文明開化の京都を今に伝える。

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DAY 5 · 12.31

奈良の佐紀古墳群と砂もち、神戸で年越し

大晦日は奈良へ。十条から地下鉄で“平壌”——もとい平城へ。神功皇后陵をはじめ、右も左も古墳という佐紀盾列古墳群をめぐる。目当ては佐紀神社の「砂もち」。境内の砂地をもちのような形に盛り上げた、正月の清めの行事だ。踏んでしまいそうで参拝をためらったが、地元のおっちゃんが「賽銭のところから見ると綺麗やで」と教えてくれた。

平城宮跡へ。だだっ広い原っぱに復元された大極殿と朱雀門、その間には新たな大極門も建設中。遣唐使船を眺めれば、内乱と鎖国の時代より、奈良時代はずっとアグレッシブだったのかもと思えてくる。奈良駅でヤマトポークのとんかつも出るバイキングをいただき、片町線で神戸・三ノ宮へ。アパホテルで一服して、年越しそばをすすり、芦屋の名店ビゴの店のパンをつまみながら、静かに年を越した。

移動 約92.7km / 獲得標高 58m

砂もち

奈良・佐紀の神社に伝わる、お正月の清めの行事。「もち」といっても食べる餅ではなく、川の砂を運んできて境内に盛る「砂持ち」。白い砂をもちのような形や道のように敷き、新年の初詣客がその上を踏んで参拝することで、一年の無事を願うという。佐紀神社ではなぜか近くに同名の社が二つあり、どちらの境内にも砂もちが並ぶ。神社ごとに模様を描いたり道状にしたりと形が違うのもおもしろい、知る人ぞ知る正月風景だ。

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DAY 6 · 01.01

摩耶山で初日の出、神戸初詣から関空へ

あけましておめでとう。早朝、急な坂を登って摩耶ケーブルへ。ウェーイ(ロープウェー)は定員が半分しかなく、日の出に間に合う便が直前で満員に——掬星台はあきらめ、虹の駅から2026年最初の太陽を拝んだ。めちゃんこ寒かったけれど、海の向こうから昇るおめでたい朝日に手を合わせる。

元町商店街を端まで歩いて湊川神社で初詣。おみくじはまさかの凶、「才能はなくとも人格は備えるべし」の一言が厳しすぎて笑うしかない。生田神社にもお参りして、北野の異人館街へ。教会にモスク、ユダヤ教団まで何でもそろう神戸らしい坂道をぶらり。午後は神戸空港から飛行機で関空へ渡り、展望デッキで絶え間なく降りてくる機体を飽きずに眺めた。夜は泉佐野の宿近く、改札内の大阪産の居酒屋でおでんと蛸、粕汁で冷えた体をあたためた。

移動 約1290.2km / 獲得標高 125m

摩耶山と掬星台

神戸の背後にそびえる六甲山系の一峰。中腹の「虹の駅」まで摩耶ケーブル、そこから山上の「星の駅」まで摩耶ロープウェー(通称ウェーイ)を乗り継いで登る。山上の展望広場・掬星台からの夜景は「日本三大夜景」のひとつに数えられ、元日には初日の出を拝む人で賑わう。この日はロープウェーが満員で掬星台まで届かなかったが、途中の虹の駅からでも、大阪湾の彼方から昇る2026年最初の太陽はじゅうぶんに神々しかった。

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DAY 7 · 01.02

和歌山の根来寺・粉河寺、犬鳴山で湯に浸かる

県境を越えて和歌山・岩出へ。根来寺は、ずっと「ねごろでら」だと思っていたら「ねごろじ」。本堂はこぢんまりだが、正月限定でお堂の中に入れた。お目当ては国宝の大塔——木造の多宝塔としては日本最大で、ちょっと高野山のような空気が漂う。甘酒をいただき、お姉さんの試食攻撃におかきをたくさん買わされた。

和歌山線で粉河へ。門前町らしく駅からビルが建ち並ぶ通りを抜け、立派な粉河寺へ。ここ数年なにかと怪我が多いので、身代わり地蔵さんをお迎えする。お昼は商店街で唯一あいていたお店の、天然鮎寿司とお吸い物。押し寿司のタレと酢飯のバランスがよく、天かすの浮いたお吸い物も面白い。締めは犬鳴山温泉——大阪でこんなにヌルヌルのいいお湯とは。熊取・天王寺を経て、中之島の宿へ引き上げた。

移動 約77.9km / 獲得標高 23m

根来寺と国宝大塔

和歌山・岩出にある新義真言宗の総本山。平安末期に覚鑁(かくばん)が高野山から移って開いた寺で、戦国期には数千の僧兵を擁する一大勢力となり、豊臣秀吉に攻められ焼き討ちされた歴史を持つ。その戦火をくぐり抜けたのが国宝の大塔(大毘盧遮那法界体性塔)で、高さ約40m、現存する木造の多宝塔としては日本最大。内部に残る柱には、根来攻めのときの火縄銃の弾痕が残るともいわれる。境内はどこか高野山に通じる、凛とした空気に満ちている。

8
DAY 8 · 01.03

花園で高校ラグビー、難波の串かつから名張へ

思ったほど寒くない朝、東花園へ。マンホールのラガーマンに迎えられて、ラグビーの聖地・花園ラグビー場へ。高校ラグビーだから無料かと思いきやチケット2000円——それでも、専用スタジアムの迫力はすごい。

初戦は東福岡 vs 東海大相模。先制されてはヒヤヒヤしながら、東福岡が競り勝った。揉み合ってなにが起きているのかよく分からないけれど、手に汗握る。東大阪はラグビーボールの形にちなんでカレーパン推しで、具沢山の黒カレーパンがこれまた美味い。大阪桐蔭や東海大大阪仰星の試合も見届けて、寒いなか大満足。夜は難波に戻り、目をつけていた立ち食いの串かつ屋へ。キャベツ食べ放題、二度漬け歓迎の気さくな店で、ふぐ皮やねぎまをつまんでから、近鉄で三重・名張へ渡った。

移動 約80.9km / 獲得標高 291m

花園ラグビー場

東大阪市にある、日本初のラグビー専用競技場(1929年開場)。毎年末から年始にかけて全国高校ラグビー大会が開かれ、球児にとっての甲子園ならぬ「花園」として知られる聖地だ。周辺の花園中央公園にはなぜかストーンヘンジを模したモニュメントが立ち、ラグビー発祥の地イングランドを思わせる。地元・東大阪はラグビーボールの形にちなんでカレーパンを名物に押し出しており、観戦のおともにぴったり。高校スポーツとは思えないほど商業的に盛り上がっている。

9
DAY 9 · 01.04

伊賀上野の忍者と高石垣、甲賀の置き薬

名張の朝。藤堂家ゆかりの城下町をぶらりし、三重の銘酒として作と並び称される而今の酒蔵・木屋正酒造を外からのぞく。この町は、探偵小説の父・江戸川乱歩の生誕地でもある。

バスで忍者市・伊賀上野へ。屋根のかたちがどこかユニークな俳聖殿を抜け、藤堂高虎が築いた伊賀上野城へ。白亜の天守を見上げ、日本一・二を誇る高石垣は下から見ると足がすくむ高さ。草も刈れないほどの絶壁だ。お昼は伊賀肉の焼シャブ定食——薄い肉を片面だけ焼いて、赤みの残るうちにいただくと、甘みと酸味のタレが絶品。

関西本線で県境を越えて滋賀・甲賀へ。油日駅のかわいい忍者キャラに見送られ、くすり学習館で置き薬の歴史にふれる。忍者が製薬の技を持ち、近江商人と結んで売薬が盛んだった甲賀は、富山のライバル。宿の窓から見えたのは琵琶湖……ではなく電線だった。

移動 約43.8km / 獲得標高 34m

忍者のふるさと、伊賀と甲賀

三重・伊賀と滋賀・甲賀は、県こそ違えど山ひとつ隔てた隣同士で、ともに忍者の里として名を馳せた。山伏から薬や火薬の知識を受け継いだ忍者は、諜報や潜入の技に長け、やがて泰平の世になるとその製薬技術が「置き薬」の産業へと姿を変えた。甲賀が近江商人と結んで売薬を広げ、富山と並ぶ薬のまちになったのはそのため。伊賀上野城の高石垣を築いた藤堂高虎は築城の名手で、伊賀と伊勢の二国を治めたことが、伊賀がいまも三重県に属する理由とされる。

10
DAY 10 · 01.05

滋賀・水口をめぐり、新幹線で帰路へ

最終日は甲賀から近江鉄道で水口へ。山茶花の森の登山道を抜けて水口岡山城に登ると、東海道を見下ろす要衝の眺めが広がる。石垣は少ししか残っていないが、堀切や曲輪の地形がくっきり。謎のゆるキャラと長束正家が、登城を励ましてくれた。

山を降りて東海道水口宿へ。宿場町が三筋に分かれているのが特徴で、本陣跡には明治天皇の記念碑が立つ。参勤交代の大名を泊めた本陣が、役目を終えて最後に明治天皇を迎えたのち取り壊された——ひとつの時代の終わりを物語る。お昼は名物スヤキ。味のついていない焼きそばを、卓上のソースとコショウで味付けていただく独特の一皿だ。町外れの酒蔵で新酒を手に入れ、直売所でおみやを買って、新幹線で博多へ。あっという間の、年をまたぐ十日間が終わった。

移動 約573.6km / 獲得標高 31m

東海道・水口宿

近江(滋賀)の東海道50番目の宿場町。徳川家光の上洛にそなえて築かれた水口城(別名・碧水城)の城下町でもあり、参勤交代の大名や旅人でにぎわった。最大の特徴は、町の中心で道が三筋に分かれる珍しい町割り。戦国期に豊臣方の長束正家が守った水口岡山城は町を見下ろす山上にあり、江戸期の水口城は平地の藩邸として役割を分けていた。名物「スヤキ」は味つけ前の焼きそばを客が自分で調味する素朴な一品で、半熟卵をのせた独特のカツ丼とともに、この土地ならではの味だ。