柚須から宇美まで勝田線廃線跡を自転車で踏破
晩秋の朝、自宅から自転車をこいで柚須駅へ。ここから、四十年前に消えた線路のあとをたどる一日がはじまる。国鉄勝田線は、かつて糟屋の炭鉱と人々を運び、宇美八幡宮への参詣客でにぎわった路線。けれど1985年、ベッドタウンとして栄えていくこの土地を尻目に、ひっそりと役目を終えた。もし残っていれば立派な通勤路線になっただろうに——そんな“たられば”を踏みしめながら、御手洗駅跡から志免町緑道へ、住宅地を縫って走る。
上亀山駅跡の公園には、ホームとレールがわずかに残っていた。記念碑や遺構らしい遺構は少ないけれど、こういう小さな痕跡を見つけるのが廃線さんぽの醍醐味だ。お腹が空いたところで、お昼はスリランカカレー。色のつかない細長いライスに三種のカレー、唐辛子をまぶしたフライドポテト——軽いのに、飲むように食べてあっという間に満腹になる。愛想のいいスリランカの店員さんに見送られ、腹ごなしに先へ進もう。
線路跡のハイライトは、志免鉱業所の竪坑櫓。炭鉱の底へ人や石炭を上げ下げしたコンクリートの塔が、晩秋の空を突いて立っている。久しぶりに来たら、記憶よりずっと小奇麗になっていた。ゲートをくぐって宇美町へ。きれいな前方後円墳の光正寺古墳、新酒はできたのに杉玉がまだ青い小林酒造本店、安産の神さま宇美八幡宮をめぐる。終点の筑前勝田まではもう少しだけれど、つかれたので宇美駅でゴール。桜並木駅から電車にゆられて、消えた線路の一日を静かに閉じた。
国鉄勝田線
糟屋郡を走っていた旧国鉄の短い路線。もとは炭鉱の石炭輸送と、宇美八幡宮への参詣客をあてこんで敷かれた。戦後はまわりがベッドタウンとして急速に栄えたのに、国鉄末期の赤字ローカル線整理のあおりを受け、1985年に廃止された。いまは線路跡の多くが緑道や駅跡公園として整備され、住宅地のなかにまっすぐな散歩道・自転車道を残している。通勤路線として生きる未来もあったのに——と惜しむ声は、いまも根づよい。
志免鉱業所竪坑櫓
志免の炭鉱で、坑道の底へ人や石炭を昇降させたエレベーター塔。高さ約47mの鉄筋コンクリート造で、1943年に完成した。この形式の竪坑櫓は世界でもほとんど現存せず、炭鉱の近代化を今に伝える貴重な遺構として国の重要文化財に指定されている。かつては旧海軍の艦船を動かす石炭を掘っていた。塗装や整備で小奇麗になったとはいえ、見上げればコンクリートの巨塔はやはり圧巻だ。