久留米・うきは 田主丸の虫追い祭り
筑後の朝は冷える。鳥栖の中央軒であったか朝うどんをすすってから、浄土宗大本山の善導寺へ。清々しい朝の空気のなか、家康だの立花誾千代だの田中吉政だの、どれがどれやら分からぬまま名だたる墓をめぐる。田園のまんなかにぽつんと建つクボタの農業機械歴史館は、土日も無料で開いていて、昔の発動機が“いかにも機械”でかっこいい。
田主丸はカッパのまち。駅舎までカッパのかたちで、まちのあちこちに河童がひそむ。KAPATERIA でカレーを食べ、若竹屋の秋の蔵祭りでしぼりたてをGET——シルちゃんで来たから飲めないのが口惜しい。紅乙女の巨峰ワイン蔵をのぞき、うきはの櫨並木は真っ赤に燃えていた(もう少し散っていたけれど)。
そしていよいよ虫追い祭り。悪者・斎藤別当実盛と、赤い正義の味方・手塚太郎光盛が、竹竿の武者人形になって商店街を舞い進み、刀を合わせ、思いきりぶつかり合う。実盛に味方する馬まで出てくる。昼に商店街、夕に耳納の里、そして日が暮れた田主丸でラストバトル。松明に火が灯り、ナイアガラ花火が散って、三年ぶりの大合戦は幕を閉じた。久留米へ戻って酢モツとラーメンで一日を〆る。
虫追い祭りと斎藤実盛
田主丸に三年に一度だけ立つ、虫送りの祭り。源平合戦で討たれた斎藤別当実盛は、稲の切り株につまずいて命を落としたことから稲を恨み、死後に稲の害虫になったという伝承がある。そこで実盛(竹竿の武者人形)と、彼を討った手塚太郎光盛を人形仕立てで戦わせ、豊作を祈る。人形は大人ほどの大きさで、剣道の胴まで着せてあり、竹が折れるほど激しくぶつけ合っても壊れない。昔は勝敗をつけたそうだが、今は白黒つけず、みんなで手をつないでゴールするのだとか。
八代妙見祭 砥崎河原の亀蛇と笠鉾
久留米から新幹線で熊本・八代へ。行列はもう出発していて、アーケードの引き回しは見逃したけれど、続々と山車(やま)が入ってくる。「オイオイオイオイ」の掛け声とともに、絢爛な笠鉾がずらりと並ぶさまは壮観だ。恵比寿が鯛にまたがり、人形のクオリティに見とれる。亀と蛇が合体した「亀蛇(ガメ)」は思ったより小さく、製紙工場の煙突に向かって進む行列が、いかにも八代らしい。笠鉾の人形は、博多の人形師にお色直しを頼んでいるという。
妙見宮(八代神社)はすごい人で、参拝は早々にあきらめてメイン会場の砥崎河原へ。日差しが強くて暑いなか、亀蛇が首をよく動かし、尻尾を振り回して高速スピン——地味かと思いきや、かなり盛り上がる。観客席の上まで乗り上げてくるし、神馬は水しぶきを上げて河原を駆ける(水を嫌がってすぐ丘へ逃げるのもご愛敬)。熊本名物のホットドッグをほおばりつつ、お尻が痛くなるまで川原に座り込んだ。
夕方は氷川町の宮原へ移動。加藤神社には、廃仏毀釈で行き場を失った旧神蔵寺の仁王像が、苔むして立っていた。短い間しか熊本を治めていないのに、加藤清正はいまも篤く慕われている。今夜の宿は焼肉食べ放題——宿代込みで7150円、ビール一杯つき。肉は露骨にローコストだけど、タレとご飯でガシガシいって、〆のアイスまでしっかり。お腹がはちきれそうになった。
妙見祭と亀蛇(ガメ)
八代神社(妙見宮)の秋の大祭で、博多祇園山笠などと並ぶユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」のひとつ。妙見信仰は北極星・北斗七星をまつる星の信仰で、その使いとされるのが亀と蛇が合体した霊獣「亀蛇(きだ/通称ガメ)」。大きな作り物を担ぎ手が操り、砥崎河原では首を振り尻尾を回して豪快にスピンする。恵比寿や宝船をのせた笠鉾九基、神馬の走り込みも見どころで、沿道には外国人観光客の姿も多い。
氷川・八代の石橋と八代平野の干拓遺跡
最終日は氷川町随一(唯一?)の観光スポット、立神峡から。火の国橋のゆらゆら揺れる吊り橋が、ちょっと怖ちい。八代市東陽は石積みと生姜の里。熊本に石橋が多いのは、ここに種山石工という職人集団がいたからで、石匠館でその歴史を学ぶ(撮禁だけど面白かった)。峠道には苔むした初期の小さな石橋が残り、寒暖差につられて桜が狂い咲きしていた。
竜北の道の駅でひと休みしたら、白玉屋新三郎で和栗のモンブラン白玉💕 栗が濃厚、ソフトはミルキー、白玉はもっちもちで(゚д゚)ウマカー。甘いもので力を得て、午後は八代平野の干拓遺跡めぐりへ。もともと海だった土地に大きな木が茂り、江戸時代の樋門(ひもん)が点々と残る。いちばん見たかった大鞘樋門は、あいにく養生シートに覆われてほとんど見えず(´・ω・`)——それでも沖濱の樋門は、黄葉を映してしずかに佇んでいた。
不知火海沿いの堤防には、人に媚びない海の猫がうろうろ。鯛を抱えて満足そうな恵比寿さんに出会い、干拓の成功を祈って清正公をまつった貝洲加藤神社へ。藺草(いぐさ)の田んぼを初めて見て、くまモンポート八代でゴォォル!よし帰るぞ(´;ω;`) 新八代で〆のハンバーグとチキン南蛮をかきこんで、新幹線に乗り込んだ。
種山石工と熊本の石橋
八代市東陽(旧・東陽村)を本拠に、江戸後期から明治にかけて活躍した石工集団。阿蘇の溶岩という加工しやすい石が豊富だったこと、熊本城築城のさいに加藤清正が近江から連れてきた穴太衆(あのうしゅう)の石積み技術、さらに長崎から入った西洋のアーチ技術が重なって、熊本は“石橋天国”になった。日本最大級の石造アーチ水路橋・通潤橋や、霊台橋といった名橋も、この種山石工の手によるもの。東陽の石匠館で、その技と歴史をたどれる。