筑紫野・小郡・大刀洗 古墳と戦争遺跡とわら細工
朝ごはんは、やっぱり西のうどん。やわらかい麺に出汁がしみて、これだけでもう旅の気分が満ちてくる。長崎街道の宿場だった原田(はるだ)の駅に降りると、だれかが「原田泰造です」とつぶやく——うーまーかーぞー。駅名標には古墳壁画の船のイラストまで添えられていて、今日の相手がどんな土地なのかを静かに予告していた。
最初の目的地、五郎山古墳は完全なノーマークだった。小さな資料館だろうと高をくくっていたら、石の配置まで忠実に再現した石室レプリカに、ランプを持って入れるという。暗がりに目をこらすと、壁に赤い顔料で描かれた船・馬・人のかたち。内陸なのに船がいくつも描かれているのは、死者をあの世へ送り出す“船出”なのだという。解説ビデオのできも良く、まったく期待していなかったぶん、まんまと心をわしづかみにされた。丘の上には、本物の古墳がこんもりと眠っていた。
長崎街道の原田宿を抜けて、筑紫神社にお参り。原田の油専門店をのぞきつつ、お次はうわさの「カエル寺」如意輪寺へ。駐車場では色とりどりの大ガエルがずらりとお出迎え、境内もとにかくカエル、カエル、カエル。大小さまざまな蛙の置物が、むせかえるほどにひしめいていた。
午後は珍スポット巡り。大雨のたびに水没することで名高い“要塞イオン”こと小郡のイオンは、まわりより一段低い土地を土手でぐるりと囲み、入口にはせり上がる「止水設備」の防壁まで備えた本気の造り。乙隈では、筑前と筑後の国境を示す石が、両国が張り合ってどんどん大きくなったという、妙におかしい国境石を見る。
大刀洗北飛行場の跡は、いまや道路と市街地。けれど自衛隊通信所の巨大なレドームがド平地にぽつんと並び、飛行機を隠した掩体壕も、ぶあつい屋根を残して口をあけていた。パンネストの塩パンと森山酒造のアイスキャンデーでひんやりチャージ。最後は安の里公園で、稲わらを編んだ巨大な山犬とご対面——と思ったら、予報より早く雨が降りだして、あわてて帰路についた。
装飾古墳って?
古墳の石室や石棺に、幾何学文様や船・馬・人・武具などを、赤や緑の顔料で描いたり彫ったりした古墳のこと。6世紀ごろ、九州北部を中心に数多くつくられた。日本の装飾古墳のおよそ半分が九州に集中し、熊本に次いで福岡が多いという。五郎山古墳の壁画には、弓を射る人や馬、そしていくつもの船が描かれる——海から遠い内陸の地でなぜ船なのかといえば、死者の霊をあの世へ運ぶ“乗りもの”と考えられていたからだと伝わる。本物の石室は保存のため入れないが、館内には照明や石組みまで再現したレプリカがあり、小さなランプを手にもぐって間近に見られる。
消えた飛行場と掩体壕
大刀洗には、かつて東洋一ともいわれた陸軍の飛行場が広がっていた。本飛行場のほか、周辺には北飛行場などの付属飛行場も設けられたが、戦後はその多くが道路や市街地、農地に姿を変え、いまは案内板がわずかに名残を伝えるばかり。そんななかで点々と残るのが「掩体壕(えんたいごう)」——空襲から飛行機を守るためにつくられた、ぶあついコンクリート製のかまぼこ形の格納庫だ。平地にぽつんと残る大きな構築物は、ここが空の拠点だったことを静かに物語っている。