福地山麓で窯元めぐり、そして飯塚・田川
はじまりは福岡市西区の朝ラー。白濁とんこつにライスをつけて、朝から活動力を蓄える。そこから平成筑豊鉄道にゆられて筑豊へ。雲とちくまる柄のシート、「盗撮は許しちゃいかん」の注意書きに頬をゆるめながら、直方をへて赤池駅に着くころには、ホームに黄色い『上野焼 窯開き』ののぼりがはためいていた。駅前からは福智町の福祉バス——ハイエースにごとりと乗せられ、雨の山麓へと運ばれていく。
福地山麓には、窯元が山の上から下までびっしり。まずは一番上まで上がって、歩いて下りていく作戦だ。霧にけむる福地中宮神社に手をあわせ、苔むした表参道を落ち葉を踏んでくだると、濡れた石の上でサワガニがひょっこり(カエルは結局みつからず)。狛犬の守る百合若神社、初蔵開きを待つクラフトサケの天郷酒造所、「エミューも待ってるよ」のレモン畑……。登り窯の煙突、番号のふられた窯、窯開きでにぎわう庚申窯。気に入った器はたいていお高くて、結局お手頃な2皿をお迎え。お昼は、げんき畑の窯焼きピザを焼きたてでハフハフ🍕
下山して、ここからは鉄分補給の帰り道。田川後藤寺の銀天街を抜け、0番のりばのキハ40に揺られて飯塚方面へ。飯塚駅はちょうど建て替えのまっ最中で、裏口から入ろうとしてぐるっと大回りする羽目に(ヽ´ω`)。締めはカホテラスのかほ兵衛の台所で、野菜やにごり酒やコーヒーをしこたま仕入れて——両手いっぱいのおみやとともに、しっとり濡れた筑豊をあとにした。
上野焼(あがのやき)
福智町の福地山麓に窯元が点在する、四百年あまりの歴史をもつ焼きもの。1602年、豊前小倉藩主・細川忠興が朝鮮から招いた陶工・尊楷(上野喜蔵)が開いたのが始まりとされ、茶の湯の美意識に育てられた「遠州七窯」のひとつに数えられる。薄づくりで軽く、銅が生む緑青釉(りょくしょうゆう)の深い緑や、辰砂(しんしゃ)の赤など、釉薬の表情ゆたかなのが身上。国の伝統的工芸品に指定され、毎年春と秋には山麓の窯元がいっせいに蔵を開く「窯開き」で、割引販売やスタンプラリー、キッチンカーがならんでにぎわう。
ちくまると平成筑豊鉄道
赤池駅を走るのは、旧国鉄の炭鉱路線(伊田線・糸田線・田川線)を1989年に引き継いだ第三セクター、平成筑豊鉄道。石炭を運んでいた線路を、いまはちくまるのキャラクターをまとった気動車が、のんびりと筑豊の町々をつないでいく。沿線には上野焼の里や炭鉱の記憶が点在し、ローカル線の旅情がたっぷり残る。