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山鹿の金灯籠、島原の火の記憶
YAMAGA ⟶ SHIMABARA · 2025 盛夏

山鹿の金灯籠、島原の火の記憶

金色に灯る祭りの夜と、火の山がのこした爪痕へ。

2025.8.16 ▶ 8.17

Days2日間
Dist約207km
Area熊本・長崎
Top最高 80m

盛夏の九州を二日。初日は、金色の和紙だけでできた「山鹿灯籠」のまつりへ。頭に金灯籠をいただいた女性たちが千人で舞う——はずが、夜空から落ちてきた雨粒に、本番の千人灯籠踊りはあえなく中止。それでも、紙でできた灯籠の精巧さと、まつり前のざわめきは、しっかり胸に残った。

二日目は、超高速船で有明海を渡り、島原半島へ。雲仙普賢岳の噴火がのこした火砕流と土石流の跡、土に埋もれた家々をめぐる。学びと鎮魂のあとは、押し寿司と鯨ベーコン、そして源泉110℃の小浜温泉でちゃぷん。華やぎと祈り、ふたつの顔をもった、熊本と長崎のみじかい夏の記録。

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DAY 1 · 08.16

山鹿千人灯籠踊り見物と熊本泊

午後に福岡を出て、たどり着いた熊本・山鹿はアッツィィ🥵。木造三階建てのさくら湯のまわりを、祭りの気配がもう満たしている。山鹿灯籠民芸館に入って、思わず声が出た——金ピカの灯籠、てっきり金属だと思っていたのに、ぜんぶ和紙と糊だけでできているという。神社や城や楼閣を精巧にかたどった灯籠が、ふわりと軽く、しかし凛と立っていた。

山鹿は栗の名産地でもある。和栗のスイーツでひんやりチャージして、夜の会場・大宮神社へ。各地区の「上がり灯籠」がお神輿のように担ぎこまれ、子どもたちの灯籠踊りが始まり、くまモンも登場してキタ━━!!と沸いたところで、ぽつり、ぽつり。「踊り手の皆さんは金灯籠に袋をかけてください」——小雨はたちまちどしゃ降りになり、本番の千人灯籠踊りは無念の中止。びしょ濡れで臨時バスに乗り、熊本の街へ逃げこんだ。

冷えた体に、熊本ラーメンの一杯。赤のれんのニンニクがどかんと効いた一杯と、とろとろの塩ホルモン煮込み、そこまでキンキンでもない🍺が、じんわりしみわたる。愛媛まで届け、このニンニクブレス(゚∀゚)=3

移動 約38.2km / 獲得標高 107m

山鹿灯籠と千人灯籠踊り

山鹿灯籠は、木や金具をいっさい使わず、和紙と少量の糊だけで作りあげる伝統工芸。室町のころ、天皇に松明のかわりの灯籠を献じた故事に由来するとされ、神社仏閣や城・楼閣を精巧にかたどった奉納灯籠は、見た目の重厚さに反して驚くほど軽い。まつりのクライマックス「千人灯籠踊り」では、浴衣姿の女性たちが金色の金灯籠を頭にいただき、ゆるやかに舞う。灯籠は紙製ゆえ雨に弱く、この夜は小雨で中止に。踊り手たちは灯籠へそっと袋をかけ、頭に載せたまま持ち帰っていった。

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DAY 2 · 08.17

島原半島の雲仙災害遺構と小浜温泉

朝、熊本港から「超高速船」で有明海を一気に渡る。地球からアンドロメダまで三時間、熊本から島原まで三十分——そんな触れこみどおり、あっという間に島原へ。港でサムライブルーの龍馬像に迎えられ、曇り空の下、雲仙普賢岳の噴火を伝える「がまだすドーム」へ。1991年の大火砕流で多くの命が失われた災害を、映像と展示でじっくり学ぶ。

ドームから道の駅ふかえまで歩くだけで汗だく(;´Д`)。たどり着いた土石流被災家屋保存公園には、土砂に半ばのみこまれた民家が、そのかたちのまま保存されていた。火砕流は途中で止まるが、土石流は海まで流れ下る——災害の生々しさが、屋根の高さまで迫った土砂に刻まれている。背後には、噴火がうみだした平成新山が、とんがってそびえていた。

南へ下って、島鉄の廃線跡にのこる有家駅へ。地元で評判の寿司店・若竹丸で、肉厚のバッテラ、石垣貝、鯨ベーコン、島原ハムのいなり巻き……塩で、炙りで、つぎつぎと平らげる。〆はかりんとうまんじゅう。仕上げは源泉110℃を誇る小浜温泉でちゃぷん。水蒸気がゴゥンゴゥン鳴るかけ流しに浸かって、諫早から西九州新幹線で家路についた。

移動 約168.6km / 獲得標高 88m

雲仙普賢岳と災害遺構

1991年6月3日、雲仙普賢岳の噴火にともなう大火砕流が、報道陣や消防団員らを巻きこみ、43名の死者・行方不明者を出した。「がまだす」は島原の方言で「がんばる」の意。災害記念館(がまだすドーム)では、噴火のしくみや復興の歩みを体感できる。ふもとの土石流被災家屋保存公園には、くり返し発生した土石流に埋もれた民家が当時のまま保存され、自然の脅威を無言で語りかける。この地はまた、江戸時代に眉山の崩壊が「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる大災害を引き起こした、火と水の記憶の地でもある。