広島市街の平和記念公園・広島城と海田町泊
広島の朝は、ホームの立ち食いうどんから。えび天とかまぼこをのせた一杯をすすって、さあ今日は平和記念公園へ。真新しいサッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」の大きさに見とれつつ、川沿いを下っていく。
元安川のほとりに立つと、鉄骨をさらした原爆ドームがそこにあった。平和記念資料館は朝7時半から開いていて、館内は外国からの旅人が半分、修学旅行生が三割。展示の前で、しばらく言葉が出てこない。慰霊碑のアーチの向こうにドームを望み、川ぞいの被爆建物・レストハウスや、宮島ゆきの船が出る元安桟橋を眺めて、祈りのまちをゆっくり歩いた。
お昼は鉄板の前でお好み焼き。イカ天入りのを頬ばると、やっぱり広島はこれ。午後はひろしま美術館へ。ちょうど浮世絵の「ネコづくし」展をやっていて、涼みがてらネコの絵に囲まれる。取り壊し前の広島城を見上げ、護国神社に手をあわせて、夕方は海田町の宿へ。鉄板を囲んで、厚揚げとホルモン(ホモルン)、海田の酒「本州一」で一日を締めた。
原爆ドームと平和記念公園
1915年に「広島県物産陳列館」として開館したチェコ人建築家ヤン・レツルの設計による洋館が、1945年8月6日の原爆で中心部に残った骨組み——いまの原爆ドームだ。爆心地はこのドームのすぐそば、島病院の上空約600mとされる。公園内には丹下健三の設計で原爆死没者慰霊碑が置かれ、そのアーチ越しに平和の灯とドームが一直線に並ぶよう計算されている。資料館は朝7時半から開き、いまも世界中から訪れる人が絶えない。
海田町から呉・江田島をめぐり福岡へ帰宅
二日目は海田町のさんぽから。もともと海だった低地に、江戸時代、西国街道が海側を通って栄えたまち。急な石段を登って大師寺にお参りし、高台から町と海を見下ろす。海田には「本州一」の酒蔵と、日本人初のオリンピック金メダリスト・織田幹雄の記念館があった。三段跳の跳躍で戦前につかんだ金——こぢんまりした無料の展示室で、昔の陸上競技の映像に見入る。ちょうど特別公開だった千葉家住宅は、房総の武士で町長もつとめた旧家だった。
晴れて暑くなった空の下、マツダミュージアムはやめて呉へ。旧海軍の軍港まちは、赤い大きな青山クラブ、長官官舎の洋館(入船山記念館)と、海軍の記憶がそこかしこに残る。暑さに音を上げて涼ミ岩で風に吹かれ、そこから坂を下っていくと——「この世界の片隅に」のすずさん家を発見。斜面にびっしり家がへばりつく呉のまちを、登り下りした。
腹が減って、広島名物のつけ麺を「辛部」で。辛さ15倍も選べる赤いつけダレに、平麺をどぼん。来た道をただ戻るのもつまらないと、潰れたテーマパーク跡の呉ポートピアをのぞき、船に乗って江田島・切串港へ上陸。待合室の亀に見送られ、無人販売でおっきなズッキーニを100円で手に入れて、また船で広島へ。宇品港から戻った広島駅は、路面電車が高架で乗り入れる工事中の大変身ぶり。小いわしの唐揚げとせんじがら、地酒「雨後の月」で軽く一杯やって、夜の新幹線で福岡へ帰った。
この世界の片隅に、呉
こうの史代の漫画と、片渕須直監督のアニメ映画で知られる「この世界の片隅に」。広島・江波で育った主人公・すず(北條すず)が、昭和18年に軍港のまち呉へ嫁ぎ、戦時下の日々をていねいに生きる物語だ。作中には呉の実在の坂道や風景が緻密に描きこまれ、すずさんが暮らした高台の家もファンの「聖地」になっている。呉は戦前から海軍の一大拠点で、戦艦大和を建造した軍港。坂にびっしりと家が建つ独特の地形は、いまも映画そのままの空気をたたえている。