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美祢・下関 炭田跡と瓦そば紀行
YAMAGUCHI · MINE & SHIMONOSEKI · 2025 さみだれ

美祢・下関 炭田跡と瓦そば紀行

炭田の記憶と化石の町を抜けて、熱い瓦のそばへ。

2025.5.24 ▶ 5.25

Days2日間
Dist約113km
Area山口
Top最高 272m

五月雨の山口。福岡から県境を越えると、雨は本降りになった。向かうのは海沿いの観光地ではなく、内陸の美祢——かつて無煙炭を掘り出した大嶺炭田と、カルストが育てた化石の町だ。

売店の灯る古いバスセンターで乗り継ぎ、川向こうにそびえる巨大工場をながめ、片脚で立つ神社や洋館の小学校に足を止める。地味だが滋味のある道のりの先で、雨はようやく上がった。締めくくりは川棚温泉にちゃぷりと浸かって、熱した瓦の上で焼く名物・瓦そば。渋い二日間の記録。

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DAY 1 · 05.24

大雨の山口から、炭田と化石の町・美祢へ

「ひどい雨ぜよ」。旅のはじまりから、福岡を発った空は泣きどおしだった。たまらず山口県庁に逃げこみ、旧藩庁門や大正の洋館・県政資料館で雨宿り。それでもSLやまぐち号は、黒い煙を上げて雨のホームを滑り出していく。ばりそばは1時間半待ちと聞いてあきらめ、先を急いだ。

バスで美東へ。大田バスセンターは、売店も窓口もまだ現役という古豪で、萩と秋芳洞をむすぶ乗り換えどころ。道の駅で名物の美東ごぼうコロッケをほおばると、まんまるの中には刻んだごぼうのペーストがぎゅっと詰まっていた。さらにバスを乗り継いで、美祢の中心・伊佐へ。

美祢市化石館と歴史民俗資料館は、どちらも入館100円。カルストや大嶺炭田の採掘で見つかった化石がずらりと並び、岩から10年かけて取り出したという骨と貝には唸らされた。炭鉱の社宅や売薬の町の記憶をたどって、初日は美祢に泊まる。

移動 約31.0km / 獲得標高 229m

大嶺炭田とカルストの化石

美祢は、かつて国内でも数少ない無煙炭を産した大嶺炭田の町。良質な無煙炭は海軍などに重宝され、炭鉱には社宅や商店街のある暮らしがあった。いっぽう秋吉台のカルストをはじめ、この一帯の石灰岩や美祢層群からは植物や貝などの化石が多く見つかり、石灰石鉱山や炭鉱の採掘がその発見をあと押しした。資源と化石——地下に眠るふたつの宝が、この内陸の町の性格をかたちづくっている。

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DAY 2 · 05.25

炭田跡をたどり、下関・川棚の瓦そばへ

翌朝は伊佐の町並みから。川沿いに町が続き、川向こうは一面の工場——巨大工場がかっこよすぎる。宇部興産の引き込み線らしき線路跡をたどり、味のある看板建築や郵便局をのぞく。豊田前では、大嶺炭田のために愛媛から勧請されたという豊浦山神社の参道に立つ。炭鉱が消えても、社宅の暮らしの名残は町に染みついていた。

西市の道の駅・蛍街道西ノ市は温泉つき。朝ごはんに関門ポーク丼をかきこみ、乗り継ぎの合間にひと風呂あびる。滝部では、青みがかった白い洋館の旧滝部小学校本館(太翔館)に見とれ、小串で小さなバスに乗り換え。だんだん空が明るくなってきた。

川棚温泉に到着。青竜泉のお湯は特別クセはないけれど、柔らかくて好みのタイプ。そしてお待ちかね、元祖瓦そばたかせへ。熱した大きな瓦の上で、カリカリに焼けた茶そばに牛肉と錦糸卵、もみじおろしとレモン。出落ちかと思いきや、料理として完璧に完成されていた。すっかり晴れた駅から、下関・北九州経由で家路についた。

移動 約82.1km / 獲得標高 102m

瓦そば

川棚温泉で生まれた山口の名物。熱した瓦の上に茶そばを盛り、牛肉・錦糸卵・もみじおろし・レモンをのせ、温かいつゆにつけて食べる。西南戦争のとき、薩摩の兵士が瓦を火にかけて野草や肉を焼いた——という言い伝えに着想を得たものとされる。瓦に触れた面はカリッとお焦げに、上はしっとり。甘めのつゆにピリ辛のもみじおろしがよく効く。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で一躍有名になり、「元祖瓦そば たかせ」はその発祥の店として知られる。