福岡空港から伊丹へ移動し豊中泊
旅のはじまりは福岡空港。腹ごしらえは洋膳屋ロイヤルの四元豚カツカレー——「三元豚と四元豚ってどっちが格上?」なんて他愛もない問答で盛り上がりながら、空路でひとっ飛び、伊丹へ降り立つ。着陸するなり大阪人がエスカレーターの右側にずらりと並びだすのが、なんともおかしい。
大阪モノレールに揺られて豊中のホテルへ。駅にはさっそく太陽の塔の大宣伝——これじゃ海外の人が万博公園と間違えそうだ。明日はいよいよ夢洲の万博本番。QRチケットの予約争奪戦にやきもきしつつ、朝イチ入場をなんとか勝ち取って、早めに眠りについた。
夢洲の大阪・関西万博を終日見物
梅田から夢洲へ。久しぶりの阪急梅田は、西鉄福岡を三つ横に繋げたような大きさで圧倒される。ゆめしま線で会場をめざす途中、「これどこのパビリオン?」と見まがう奇妙な建物の正体は、なんとゴミ焼却場(舞洲スラッジセンター)。東ゲートの長い手荷物検査の列をようやく抜けて、9時、いよいよ入場キタ━━!!
予約不要のパビリオンを片っぱしから攻めていく。中がめっちゃマレーシアのにおいのするマレーシア、爽やかな香りのUAE、船をかたどったバーレーン。トルクメニスタンは金ピカの像と、馬と犬への愛がビシビシ伝わる大迫力のPR映像(板チョコが2700円でワロタ)。マルタでビールとツナサンド、チュニジアで夜のサハラとごま風味のお菓子、真っ当に自国をPRして好感度爆上げのアルジェリア……北欧連合ではスヌーピーとムーミンを取り違える一幕もありつつ、気づけば一日で何ヶ国を“旅”したんだか。
天気が良くなってきたところで、大屋根リングの上へ。木組みの空中回廊をぐるりと歩き、瀬戸内に沈む夕日を見送る——とにかく風がつおい! 日が落ちるとリングにも灯りがともって、夜のリングはしゅご~✨。夕飯は初めてのラクサ、ココナッツ風味のスープが厚揚げによく染みてうまい。最終入場9時まで、文字どおり疲れ果てるまで会場にいた。
大屋根リング
2025年の大阪・関西万博のシンボルが、会場をぐるりと取り囲む木造の「大屋根リング」。一周は約2km、内径はおよそ615mで、世界最大級の木造建築物として知られる。釘に頼らず木を組む日本の伝統工法「貫(ぬき)」を取り入れ、上部は歩いてまわれる空中回廊になっている。晴れた日には瀬戸内の海と夕日、そして会場全体を見晴らせる。「多様でありながら、ひとつ」という万博のテーマを、ひとつの大きな輪が包み込む——そんな構えのモニュメントだ。
万博記念公園と伊丹散策を経て帰福
三日目は万博記念公園へ。1970年の大阪万博の跡地に、どーんとそびえるのは岡本太郎の太陽の塔。「なにこれしゅごい☀」——てっぺんの黄金の顔、正面のまるい顔、そして背面の黒い太陽。半世紀を経ても色褪せない芸術の塊を、ただただ見上げるばかりだ。
となりのEXPO'70パビリオンでは、70年代が思い描いた“未来”にタイムスリップ。当時の鉄鋼館を使ったスペースシアター、宙に浮かぶ銀の球体、ミニスカートの案内嬢の写真……レトロで、やたらとおもしろい。入場者6421万人という桁外れの記録に、半世紀前の熱狂をしのぶ。万博に来るなら、こっちもセットで来るべきやね。
午後は伊丹へ移動。有岡城跡は、荒木村重が織田信長に背いて籠城し、黒田官兵衛を一年ものあいだ土牢に監禁したと伝わる城あと。伊丹は古くからの酒どころで、重要文化財の旧岡田家住宅にその歴史が残っていた。お昼は大阪王の餃子——底はカリカリ、肉厚で食べごたえ十分、うーまーいーでー🍻。梅田のKITTE大阪で富山湾鮨をのぞいてから、伊丹空港を発って福岡へ。1970と2025、ふたつの万博をつないだ旅が静かに幕を閉じた。
太陽の塔
岡本太郎が1970年の大阪万博のために制作した、高さ約70mのシンボル。「芸術は爆発だ」の言葉で知られる太郎が、“進歩と調和”をうたう万博に真っ向からぶつけた、いわば“反・調和”のモニュメントだ。頂部の黄金の顔は未来を、正面の顔は現在を、背面の黒い太陽は過去をあらわすという。会場を覆っていた大屋根を突き破って立つ姿は当時大きな衝撃を与え、閉幕後も解体をまぬがれて、いまも万博記念公園に立ち続けている。