新庄村がいせん桜と出雲街道の峠越え
夜明け前の岡山から、伯備線を北へ。新見で乗り継ぎ、全国初の電子投票のまちだという中国勝山からはバスで新庄村をめざす。ガラガラのバスで着いたのに、道の駅の駐車場は満車──みんなお目当ては同じ、満開のがいせん桜だ。朝まで霧に曇っていた空が、ちょうど晴れた。
旧出雲街道にそって、桜のトンネルがまっすぐにのびる。日露戦争の凱旋を記念して植えられた老木が、宿場町をまるごと薄紅に染めていた。白い提灯のさがる旧家、軒先を流れる水路のせせらぎ、そこを泳ぐ鯉、そして名物ヒメノモチのヤキモチ。名残惜しくてもう一周してから、いよいよ街道歩きのはじまりだ。
新庄宿の人だかりが嘘のように、街道に入れば車一台通らない。五人塚に手を合わせ、茶屋集落を抜けて、まだ雪の残る四十曲峠へ。倒木を一本またいだくらいであっさり峠を越え、落ち葉を踏んで鳥取側へ下る。縁起のいい「金持」の地名に笑い、根雨宿の古い町並みを歩いて、やくもで米子、そして日本海を望む琴浦へ。夕暮れの海辺でひと息ついたら、クラフトビールの店で山菜の天ぷらと琴浦サーモン。九州ではなかなか出会えない山菜の天ぷらに、しみじみ(゚д゚)ウマー。
がいせん桜と出雲街道
新庄村のがいせん桜は、日露戦争からの凱旋を記念して旧出雲街道の宿場通りに植えられたソメイヨシノの並木。樹齢百年を超える老木が百数十本、数百メートルにわたって桜のトンネルをつくる。通りの両脇を流れる用水路は生活用水であり防火用水でもあり、せせらぎと泳ぐ鯉が宿場の風情を添える。出雲街道は姫路と出雲・松江を結んだ旧街道で、参勤交代や物資輸送の道だった。新庄宿から鳥取側の根雨宿へは、名前のとおり小刻みに折れ曲がる四十曲(しじゅうまがり)峠を越えてゆく。
琴浦・赤碕の町並みと松江、出雲空港から帰宅
二日目の朝ごはんは、新庄のおこわとよもぎ大福。ヒメノモチのおこわは絶品だった。この日は日本海ぞいの伯耆街道を歩く。琴浦の八橋から赤碕へ、北陸の若狭あたりに似た町並みがつづく。酒蔵をのぞき、名物のふろしきまんじゅうを手に入れ、諏訪神社の小さな展望台から海を見下ろす。餅屋のおばあちゃんから「おたふく貰ったけん」とまんじゅうのおすそ分け──もう持っているとは、言わなかった。
赤碕の神崎神社は、社殿を埋めつくす龍と波の彫刻がすごい。見上げるほどに精緻で、思わず声がもれる。海沿いに長くのびる花見潟墓地を抜けて、珍しい石造の塔へ。墓地にひとり、ぼちぼちと歩く。雨が来そうな気配に追われて米子へ出れば、繁華街には渋い看板建築。お昼は鳥取和牛、脂の乗った赤身はやっぱり塩が一択だ。
松江まで来て、ちょうど雨。松江城の外堀をかすめ、竹島資料室をのぞいて、カラコロ工房のレトロな建物に見入る。結局たいして降らないまま、出雲縁結び空港から空の人に。因幡の白兎に見送られて、福岡へ。帰り着いての〆は、やっぱり博多のラーメンだった。
神崎神社と花見潟墓地
赤碕の神崎神社は、海の守り神・スサノオをまつる古社。拝殿を埋めつくすように施された龍や波の立体彫刻は幕末から明治の名工の手によるもので、見上げるほどに精緻だ。海岸ぞいに約1kmつづく花見潟墓地は、江戸期からの墓石がならぶ国内有数の海岸墓地。そのそばには、宝篋印塔と宝塔を組み合わせた珍しい形の石塔「赤碕塔」が立ち、陰陽師・安倍晴明の供養塔との伝えも残る。伯耆街道の宿場・赤碕は、北前船の寄港でにぎわった面影を、いまも町並みにとどめている。