日の出の低山と、うどんと、軍都・善通寺
まだ暗い坂出の駅に降りると、西日本の二月は骨までしみる寒さ。「温まるには登るに限る」と、角山の登山口から暗いうちに歩きだす。頂に着いたのは日の出のすこし後――けれどお日さまはまだ山かげに隠れていて、ぎりぎり間に合った。讃岐富士こと飯野山のシルエットの向こうがほんのり色づき、反対を向けば瀬戸大橋が海をまたいでいる。鳥の声がいっぱいで、毎日登っているという地元の爺さんに「讃岐にようこそ」と声をかけられた。
勢いそのままに青ノ山も登頂。平らな市街地にひょいと登れて眺めのいい山があるのは、なんとも羨ましい。山を降りた宇多津は、駅前こそ殺風景でも、奥に風情ある町並みがのこる。冷えきった体に、おか泉のこんぴらうどんと味噌おでんが沁みわたる。クリアなダシの旨みと、プリプリの海老天(゚д゚)ウマカー。午後は電車で善通寺へ。陸軍の社交場だった偕行社、乃木館、そして空海誕生の地・善通寺――陸海空そろい踏みの不思議な街を、おみくじを引きながらぶらついた。宿が取れず、夜は愛媛・新居浜まで流れて泊まる。
軍都・善通寺
弘法大師・空海の生誕地として知られる善通寺は、明治以降は旧陸軍第十一師団が置かれた「軍都」でもあった。将校の社交場だった偕行社(国の登録有形文化財)は今も集会場として現役で、初代師団長・乃木希典ゆかりの乃木館や、赤レンガの旧陸軍倉庫も残る。自衛隊駐屯地の前には、砲弾を転用した車止めがずらりと並ぶ。空海の寺に護国神社、そして戦車――その対比が、この街の二つの顔を物語る。
あかがねの記憶 ― 別子銅山とえんとつ山、今治へ
二日目は風がやんで、昨日よりずっとあたたかい。バスでマイントピア別子へ。江戸から昭和まで掘り続けられた別子銅山――皇居前の楠木正成像も、ここの銅でできているのだという。旧端出場(はでば)水力発電所の堂々たるレンガ造りを見上げると、ラジオもない時代に山をくり抜いて水路を引いたスケールに圧倒される。観光坑道へは鉱山電車で。トンネルを抜け橋を渡って五分、車内アナウンスがなぜか水樹奈々で思わずワロタ。歩いて戻る道には、鉱山鉄道の石垣がひっそり眠っていた。
「あかがね」の次は、町のシンボルのえんとつ山へ。旧山根製錬所の煙突がぽつんと立ち、さらに上の生子山城まで登れば、新居浜の市街が一望できる。電線がちょっと邪魔だけど、こういう「おらが町」を見渡せる山が大好きだ。旧街道沿いの喜光地商店街をのぞき、小麦の鍋焼きうどんをすする――ぶっとい讃岐のコシに松山ふうの甘いスープ(゚д゚)ウマイゾナモシ。あかがねミュージアムを見て今治へ移ると、夜には雪が本降りに。焼き鳥屋は予約でいっぱいで、郷土料理の居酒屋へ流れた。イギス豆腐にじゃこ天、かわ焼き――最後に、ライトアップされた今治城を眺めて宿へ帰る。
別子銅山と「あかがね」
別子銅山は、1691年から1973年まで約280年にわたって銅を掘り続けた、住友の礎を築いた大鉱山。深い山中の鉱石を運び、山をくり抜いて水力発電の水路を引くなど、近代日本の鉱山技術の粋が注ぎこまれた。産出された銅は「あかがね」と呼ばれ、新居浜の暮らしを支え、博物館の名(あかがねミュージアム)にも残る。いまは観光坑道「マイントピア別子」として、その巨大な産業遺産の一端を歩くことができる。
しまなみを渡り、日本総鎮守から竹原へ
最終日は、朝三時半から開くという早朝喫茶ガーネットのモーニングで始める。港町ならではの早起き文化だ。古いバスタオルを一新すべく今治タオルをどっさり買い込み、袋をかかえてしまなみ海道へ。来島海峡大橋をバスで渡って大三島に着くと、伊予国一宮にして「日本総鎮守」を名乗る大山祇神社に、ぺこりぺこりとぬかずく。参道でいただいたのは、イノシシのラーメン――獣骨のとんこつかと思いきや、澄んだ塩。🐗チャーシューはしっかりジビエ感があった。
宗方港からフェリーで大崎上島へ渡り、「さらば愛媛」。天満港で高速船に乗り継ぎ、瀬戸内の島影をかすめて安芸の竹原へ。来年度で廃止になるというこの航路の、最後の冬かもしれない。竹原では、重要伝統的建造物群保存地区の町並みをぶらり。黒壁と格子が続くこの町は、アニメ「たまゆら」の聖地で、道の駅にはいまも専用コーナーが残っていた。お好み焼きにありつけなかったのだけが心残り。東広島に抜け、日暮れの底冷えのなか、パチンコ屋にくっついた小さなうどん屋のカツ丼とがんすで(゚д゚)ブチウマー――三日間の瀬戸内旅を、湯気で締めくくった。
大山祇神社と「日本総鎮守」
大三島に鎮座する大山祇神社は、山の神・海の神・戦いの神をまつる伊予国一宮。古来、朝廷や武将の崇敬を集め、源氏・平氏をはじめ名だたる武将が武具を奉納したことから、国宝・重要文化財の甲冑や刀剣の多くがここに集まるともいわれる。「日本総鎮守」を名乗るのはその格式ゆえ。しまなみ海道が通る大三島は、橋で本州・四国とつながってからも、海にひらかれた信仰の島であり続けている。