福岡から那覇へ 夜便で沖縄入り
旅のはじまりは夜の福岡空港。JALで那覇へ飛び、着いたのは深夜だった。「無事降りられるとは限らない🛬💥」なんて軽口を叩きながら、それでもちゃんと南の島に降り立つ。
ゆいレールの終点近くの宿に荷をほどき、まずは上陸祝いの一杯。涼しいさ~、と言いつつ、明日はいよいよ絶海の孤島へ飛ぶ。早めに眠りについた。
那覇から南大東島へ 島の南部を踏破
朝の那覇空港から、プロペラ機で東へ約一時間。国内最短定期航路でも知られる南大東島に上陸した🏝 レンタサイクルは電動が二台きり、原付の店はもう年末年始休業——というわけで、島をひたすら歩くことにした。
空港を離れると電波はよわよわ、見わたすかぎりのさとうきび畑がザワワと揺れる。海軍棒の断崖、岩礁をえぐった天然プール、絶海の孤島にも走っていたというシュガートレインの軌道跡。日の丸山展望台から島を一望すれば、まとまった集落はたったひとつだけ。
昼は大東そばと大東寿司。ボソッと硬い太麺が不思議とうまく、八丈島ルーツの島寿司はねっとり甘酸っぱい。大東神社では冬なのに蓮が咲き、森にはオオコウモリ。夜は年末休みのはずがなぜか開いていた食堂で、トロトロのテビチおでんと、ふわふわのナワキリのバター炒めを肴に泡盛をゴクリ。
南大東島ってどんな島?
沖縄本島の東約360kmに浮かぶ絶海の孤島。長らく無人島だったが、明治時代に八丈島出身の開拓民が上陸し、さとうきび産業で拓かれた——だから沖縄文化とは別のルーツを持つ、ちょっと不思議な島だ。周囲は断崖に囲まれ、船で来ると人も貨物もクレーンで吊り上げられて陸揚げされる。島には固有種のダイトウオオコウモリが棲み、かつては製糖用のシュガートレイン(軽便鉄道)が昭和の終わりまで走っていた。
南大東島 ラジオゾンデと星野洞
朝八時半、気象台でラジオゾンデの打ち上げを見学。銀色の屋根がスライドして、水素を詰めた白い気球がぐんと勢いよく飛んでいく。見学者はわずか三名。行ってらっしゃーい。
お昼のタコライスを買い込んで、島を代表する鍾乳洞・星野洞へ。地下とは思えないほど広く、白い鍾乳石がびっしり——なのに中はムワッとサウナのよう。地上に戻れば、岩をくり抜いた南大東漁港が大東ブルーの海に沈み、裂け目にビロウが伸びるバリバリ岩へ。いちばん遠い国標までは往復で足が痛くなった。
老人カーのおばちゃんに「もっと採れ」と怒られながら、採れたてのシークァーサーをどっさりもらう。晴れた夜は、まちなかでも星がこぼれ落ちそうなほどきれい。スナックで餃子と鯖寿司をつまみ、今日も歩きづめの一日が終わった。
ラジオゾンデと星野洞
ラジオゾンデは、気球に観測機器をつるして上空の気温・湿度・気圧・風を測る気象観測。南大東島地方気象台では毎日決まった時刻に打ち上げられ、水素ガスまで島内の設備で自前で作っている。いっぽう星野洞は、島の隆起サンゴ礁がつくった鍾乳洞。島の中学三年生は自分の泡盛をここに預け、二十歳の成人式でみんなで飲むという風習があるそうだ。
南大東島から那覇へ 第一章終了
南大東島の最終日。もう一度ゾンデを見送り、村役場やオヒルギ群落、大池をめぐる。本場(ほんば)海岸では、岩の上をぴょんぴょん跳ねる細いムツゴロウみたいなやつと目が合った。こっち見んな、と言われても。
午後の便で那覇へ。プロペラ機の窓から、沖縄本島のいちばん細いあたりが思いのほか大きく見える。さらば大東島、今度はコウモリに会いに来るさ~。
那覇の夜は居酒屋で泡盛飲み放題。初めて食べる本場の人参しりしりーは卵がふわっとして胡椒が効いて、自宅のとは別物。小さいのに脂がすごいアグー豚串、鞘ごとサクサクのうりずん豆の天ぷら、スク豆腐にポーク卵——塩に合う島の食材を、泡盛でクイッとやった。
首里城と年越し 沖縄本島北部へ
大晦日。土産を発送してから、儀保駅のすごい眺めを横目に首里へ。サンゴの石をピッチリ積んだ城壁は表面もなめらかで、曲線が美しい。守礼門、歓会門をくぐり、西のアザナからは那覇のまちが一望できた。再建途中の正殿は眺めるだけでいい。
首里から真珠道(まだまみち)の石畳へ。金城町の急坂に、サンゴの石畳と石垣がずっと続く——しかもここ、普通に車や郵便バイクが走るのな。贅沢な軟骨ソーキの年越しそばで腹を満たし、活気ある栄町市場を冷やかした。
ここからはバスのターン。値上げされた路線を乗り継いで本島北部へ北上し、普天間宮や道の駅に寄りながら、今年最後のお詣り。年越しの宿はビーチサイドのペンション。ヤギ汁やスーチーカーを肴に紅白を眺めて、静かに一年を送った。
首里城と金城町石畳道
首里城は、十五世紀から約450年続いた琉球王国の王城。2019年の火災で正殿などを焼失し、現在は再建の工事中だ。サンゴ石灰岩を精巧に積んだ城壁の、やわらかな曲線が琉球建築らしい。城の南に続く金城町石畳道は、かつて首里と那覇南部を結んだ「真珠道」の名残で、戦火を免れた約240mに琉球石灰岩の石畳と石垣が続く。急な坂道を、いまも郵便配達のバイクが上り下りしている。
初日の出と今帰仁城、新春の闘牛
元日。初日の出の一分前にギリギリでビーチに到着——したものの、時間になっても太陽はなかなか登ってこない(´;ω;`) それでもようやく雲間から謹賀新年🌅 集落の入口に鎮座する惣慶の石獅子(イシガントウ)と、交差点のガジュマルに新年の挨拶をして、バスで今帰仁へ向かう。
試合まで時間があるので、崖という意味のハンタ道を登って今帰仁城跡へ。石灰岩の城壁の先に青い海が広がり、桜まで咲いていた🌸 そして本命、新春の闘牛。実況つきで繰り広げられる一トン級のぶつかり合いは、劣勢の牛が何度も耐えて反転攻勢する最初の一戦がとにかく熱かった。
夜は名護のアメリカンなステーキ店へ。食べ放題のサラダとライスをつつきながら待てば、キタ━━(゚∀゚)━━!! 和牛とは別物のランプ300g。アメちゃんのステーキは豪快で、肉食ったー!という満足感がすごい。
沖縄の闘牛(ウシオーラセー)
沖縄の闘牛は、牛と牛が角を突き合わせて押し合う「牛同士の相撲」。人馬一体ならぬ人牛一体で、闘牛士(勢子)が「ヤグイ」と呼ばれる掛け声で牛を鼓舞する。体重一トンを超える巨体がぶつかり合い、角のかけ方や押し、そして突然の心理戦で勝負が決まる。近年は牛ごとに入場曲が流れる演出も。うるま市など本島中部や離島の徳之島が盛んで、正月は各地で新春大会が開かれる。
うるま市 安慶名城と石川闘牛
二日目の牛を見にうるま市へ。道中、カンボジアの遺跡のような名護市役所を眺め、仲泊で乗り換え。闘牛場に行く前に、切り立った岩山の上に築かれた安慶名城跡へ登る。規模のわりに石垣が立派で眺めもよく、ふもとには岩山を背にした古い安慶名闘牛場——いまは使われていないけれど、これはこれでカッコイイ💕
そして石川多目的ドームで、朝から晩まで全試合を観戦。牛ごとに入場ソングがかかり、牛飼いの妹の兄ラッパーが生歌で送り出すデビュー牛まで登場する。新人のクロミちゃんが粘って初勝利、キングジョーは新人離れした追撃、逃げ出して七秒で決着する牛もいて会場は大盛り上がり。
トリは、元徳之島重量級No.1の黒龍王。すごい雄叫びをあげて入場し、重量級同士のぶつかり合いはやっぱり迫力が違った。黒龍王、おめでとう。〆は豚骨がゴロッと入った骨汁で、肉と脂をしゃぶりながらスープを飲みほした。
海中道路で伊計島・宮城島巡り
うるまの屋慶名から、海をまたぐ海中道路を渡って離島めぐりへ。風は強いけれど、だんだん晴れてきて、伊計島は木のトンネルと白い砂浜が気持ちいい。縄文時代の竪穴住居を復元した仲原遺跡は、内地のものよりどこかかわいらしい。
伊計大橋を渡って宮城島の果報(かふう)バンタへ。曇り空でも海はきれいで、断崖の上は吹き飛ばされそうな強風ガクガクブルブル。平安座島の護岸には、コロナ前から今まで続く護岸アートがずらり。
ようやく海中道路まで戻ったら、惜しくも潮が引いていた。それでも真ん中から眺める海は上々。本島に渡って、トロトロのてびち煮付けそばにありつく。もともと得意じゃなかったテビチが、好きになっちゃった💕
海中道路と果報バンタ
海中道路は、うるま市の与勝半島と平安座島を結ぶ約4.75kmの道路。遠浅の海の上を一直線に貫き、満潮時には海の中を走っているよう。平安座島からは宮城島・伊計島へと橋でつながり、気軽に離島めぐりができる。宮城島の果報バンタは「幸せの岬」を意味し、高さ約120mの断崖から、吸い込まれそうな青い海を見下ろせる。
久高島と南城 玉城城跡を巡る
神の島・久高島へ。石ころひとつ砂一粒すら持ち出してはいけない、聖域だらけの島だ。高速船でちょっと揺られて上陸し、誰も払っていないという入島料をちゃんと納める。グループ客がレンタサイクルで爆走するなか、こちらは歩きで。
ニライカナイの神が降り立ったというイシキ浜、島の先っちょのカベール岬。立入禁止のフボー御嶽の前で、地元のおじいの言葉を一語も聞き取れないまま手を合わせる。改修中で名物のイラブー(海蛇)汁は食べられず、代わりに買ったイラブーの粉もしっかり高かった。
本島に戻って南城市へ。稲作発祥の地という仲村渠の樋川、入口の門がハートに見える玉城城跡をめぐる。あまり使われていない遊歩道を見つけて崖下へ降りるのが、なんだか楽しい。玉城の石獅子は、惣慶のよりも原形がよく残っていた。
久高島 ― 神の島
沖縄本島南部の知念岬の沖に浮かぶ、周囲約8kmの細長い島。琉球開闢(かいびゃく)の神アマミキヨがニライカナイ(海の彼方の理想郷)から降り立ち、国づくりを始めた聖地とされる。島の東の浜(イシキ浜)には五穀の入った壺が流れ着いたという伝説があり、島北端のカベール岬(ハビャーン)が神の最初の上陸地。島のあちこちに御嶽(うたき)があり、とりわけフボー御嶽は島最高の聖地で、いまも立入禁止。石も砂も持ち出し厳禁の、島ぜんたいが祈りの場だ。
フェリーで沖縄を離れ奄美群島北上
年末年始の旅、第二章・闘牛編もおしまい。ここからは鹿児島行きのフェリーで、島づたいに北上する長い船旅だ。本部港からの乗船で、埠頭にはなんと牛を運ぶ檻——優勝牛だろうか、徳之島へ送られていくらしい。沖縄よ、さらば(´;ω;`)
与論島、沖永良部の和泊、徳之島の亀徳、奄美大島——寄港のたびに島の港が流れていく。沖縄行きの便とどこかですれ違ったはずだけれど、生活航路だからアナウンスもなく、気づけばもう過ぎていた。
船のメニューはなぜか鶏料理ばかり。牛を乗せているのに牛は食わせてくれない船で、鶏をつつきながら錦江湾を目指して夜を越した。
鹿児島上陸と白銀坂、福岡へ帰宅
夜明けの錦江湾はもう穏やか。鹿児島に上陸して天文館をぶらつき、温泉銭湯でさっぱり汗を流す。しろくまで名高いまちだけれど、水族館にしろくまはいないらしい。
宮之浦団地からバスとゴルフ場脇を抜けて、白銀坂の入口へ。薩摩と大隅の国境をまたいで、ずっと下りの石畳をハイキング。木立を抜けると、錦江湾の先にどんと桜島が顔を出す。
石蔵の酒造で焼酎を買い込んで、さよなら🌋 十一日間、飛行機とバスとフェリーを乗り継いだ年またぎの旅は、夕方ぶじ福岡の自宅へ帰り着いた。おつかれさま。
白銀坂(しらかねざか)
鹿児島・姶良市と鹿児島市の境にある、薩摩国と大隅国を結んだ古い峠道。室町期から島津氏の参勤交代などに使われ、約2.7kmにわたり自然石を敷き詰めた石畳が残る。国の史跡に指定されており、木立を抜けると錦江湾と桜島を望む展望が開ける。坂の名は、源平の落人伝説や、朝露に濡れた石畳が白銀に光ったことに由来するとも伝わる。