日向から南郷へ 百済の里と西の正倉院
朝の福岡を発って、たどりついたのは日向市。もうお昼で、ここから先は路線バスの旅だ。道の駅東郷でバスを乗り継ぎ、山あいの道をぐんぐん分け入って、美郷町南郷へ。「やっとついた、さすがに朝鮮は遠いな」——そう軽口をたたきたくなるほど、奥へ奥へと入っていく。この里には、唐に滅ぼされた百済の王が海を越えて亡命してきた、という伝説が残る。
まずは神門神社にペコリ。そのとなりに建つのが「西の正倉院」——奈良の正倉院の設計図どおりに再現した、本気の校倉造だ。巨木を全国から探し、専門家を口説き、建築基準法の特別許可まで取った執念の建物で、中には唐代から室町にかけての鏡がずらり。バス停の名にもなった「百済の館」は、韓国から職人を招いて塗りあげた極彩色のきらびやかさで、山里にふいに異国があらわれる。
冬至のこの日は、南郷温泉山霧でゆず湯に。ぬるすべのいいお湯で、休憩の広間も食事処もあるのに、不思議なくらい空いている。チャンポンで腹を満たし、終バスで来た道を引き返す。日向市にもどって、隈研吾の手がけた駅や市役所をちらりと眺め、鉄道で新富町へ。冬至の宮崎は、南国のくせに風が刺さるほど寒かった。
西の正倉院と百済王伝説
美郷町南郷に伝わるのは、660年に唐・新羅に滅ぼされた百済の王族が、海を渡ってこの山里に逃れてきたという伝説。神門(みかど)神社にはゆかりの宝物が伝わり、ふたつの集落のあいだを行き来する「師走祭り」がいまも残る。「西の正倉院」は、神社に伝わる銅鏡が奈良・正倉院の御物と同型だったことを縁に、正倉院を設計図どおり原寸再現した施設。檜の巨木を全国から集め、建築基準法の特別許可を得て建てられた、校倉造のまぎれもない本気の建築だ。
新富・西都・佐土原から宮崎市へ
二日目は宮崎平野を南へ。せっかく新富町に泊まったので、まずは新田原(にゅうたばる)基地をのぞく。日曜の朝に飛ぶはずもないが、「新」を「ニュー」と読ませる地名のアメリカかぶれ具合がおかしい。真新しい直売所や、ポップがいちいちふざけたスーパーをひやかして、鉄道で西都へ。古墳群で知られる古都は、町かどに埴輪がちょこんと立つ。日肥線になるはずだった妻線の跡が、市街のど真ん中に長い駐車場となって眠っていた。
都萬(つま)神社は、師走だというのにイチョウがまだ色を残していて、さすが南国。日本酒発祥の地を名乗る古社で、境内には気根をまとった大楠がどっしり枝を広げる。バスターミナルのそばの本部うなぎ屋で、今年最後のうなぎ——竹定食。香ばしくカリッと焼いた蒲焼に濃いめのタレ、柳川風なべ、プリプリのキモ、素朴なご汁。身も心もぽかぽかになった。
佐土原へ渡れば、名物は本日限りの鯨ようかん。鯨が入っているわけではなく、形が鯨に似ているからその名だとか。町には🐋のシャッターアートがあちこちに描かれていた。資料館で神代独楽の回し方を教わり、背後の山をのぼって佐土原城の本丸跡へ。地元のじいさんに「こんな城のどこがよか」と絡まれつつ下山した。しめは宮崎市で釜揚げうどん。大淀川が街のまん中をゆったり流れる、この景色がたまらなく好きだ。暖かい車内で鯨ようかんをほおばりながら、福岡への帰路についた。
鯨ようかんと佐土原
佐土原は江戸期、島津家の分家・佐土原藩の城下町として栄えた土地。名物の「鯨ようかん」は、鯨が入っているわけではなく、形が鯨に似ていることからその名がついたとされる。餅生地であんを挟んだ素朴な銘菓で、賞味期限は基本その日かぎり。町なかには鯨をモチーフにしたシャッターアートが点在する。背後の山には中世山城の佐土原城跡があり、ふもとの資料館「鶴松館」では、くるくるよく回る郷土玩具・神代独楽の回し方を教えてもらえる。