福岡から熊本へ 田原坂と玉名・荒尾
討ち入りの日の朝、寒か~((((;゚Д゚))))と震えながら福岡を南へ。最初に降り立ったのは、すいかの町・植木。冬に🍉なんかなかろうもん、と思えば幟はいっぱい——「秋すいか」なるものがあるらしい。お昼は、名古屋でもないのに「にゃごや天丼」。寒風のなか、まずは腹ごしらえだ。
そして田原坂。文字通り台地の坂の上で、明治十年の西南戦争がもっとも激しくぶつかった場所だ。資料館の再現映像をのぞけば、この一帯に薬莢が降りそそいだという。雨は降る降る——歌に名高い美少年の像が立ち、壁じゅうに弾痕の残る家が残る。激戦地はいまや🍊畑。坂を下りた田原坂万十は(゚д゚)ウマカー、官軍墓地にならぶ墓碑は、みな県外の人の名だった。
木葉で、玉東町特産ハニーローザ(すもも)のアイスを冷えた体に流しこむ。討ち入りじゃあ🍜と天琴のラーメン。締めは菊池川の水運で栄えた高瀬の町——商店街の裏をながれる運河に、荷あげの石段が家までのびる。藩の米蔵と船着場の跡をたどって、今夜は荒尾泊。夕飯はチキン南蛮、タルタルは酸味強め💕
田原坂と西南戦争
明治十年(1877)、西郷隆盛を擁した薩軍と政府軍が九州でぶつかった、日本最後の内戦が西南戦争。なかでも田原坂は、熊本城をめざす両軍が十七日間も撃ち合った最大の激戦地で、「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」と歌に残る。狭い切り通しの坂は砲弾と銃弾が飛びかい、一日に三十万発以上が撃たれた日もあったという。弾痕の残る家や、おびただしい薬莢がいまも物語る。近代国家・日本が生まれる産みの苦しみの、ひとつの現場だ。
三池炭鉱の世界遺産と大牟田
荒尾の朝は、朝ごはメロ…ん? のメロンパンから。向かうは海辺の四ツ山神社。神仏習合で、虚空蔵菩薩が降臨したという古墳が本殿の囲いのなかに鎮座する。五円を貸してくれるが、一年で倍にして返す約束——利子100%((((;゚Д゚))))。焼却炉までお社になっていて面白い。高台からは、島原の海と、これからめぐる世界遺産が一望できた。
三池炭鉱専用鉄道の廃線跡に沿って、産業遺産をつないで歩く。枕木を敷いてホームにした妙見駅跡、赤煉瓦の橋脚が水面にうつる鉄橋。そして万田坑——赤煉瓦の捲揚機室と鋼の竪坑櫓、坑内へ人と石炭をあげおろしした巨大な歯車がかっこよ~。炭鉱電車の運転席は横向き。世界遺産なのに、観光客はひとりもいない。
宮原坑は、囚人を働かせたことから「修羅坑」と呼ばれた排水の要。無料のガイドさんが案内してくれる。宮浦坑に残る赤煉瓦の大煙突は、炭坑節に歌われたまさにその一本——蒸気の時代の名残は、三池にここしか残っていない。大牟田のまちを抜けて、福龍軒のラーメンでリベンジ成功(゚д゚)ウマカー。夕方の電車で福岡へ、まんぷくの二日間がおわる。
三池炭鉱と「明治日本の産業革命遺産」
江戸期に発見され、明治以降に官営から三井へと引き継がれて日本の近代化をささえた大炭鉱。万田坑・宮原坑・宮浦坑などが、八幡製鉄所や軍艦島などとともに「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として2015年に世界文化遺産へ登録された。盆踊りでおなじみの「炭坑節」——月が出た出た月が出た、三池炭鉱の上に出た——は、この地の坑夫たちの唄が全国に広まったもの。石炭で栄えた大牟田・荒尾は、かつての大都会だった。