博多港から対馬行き夜行フェリーで出発
旅のはじまりは博多。長浜の屋台でラーメンと焼き鳥をつまんで英気を養い、博多ポートタワーを見上げながら港へ向かう。これから乗りこむのは、国境の島・対馬ゆきの夜行フェリーだ。
玄界灘を北へ、ことこと揺られて船中泊。「祇園精舎の鐘の声…」なんて口ずさみながらデッキの夜風にあたる。目が覚めれば、そこはもう九州より韓国に近い島のはず。
対馬上陸 金田城跡と浅茅湾、鷄知泊
夜明けの厳原港に上陸。肌寒いくらいの朝の空気に、「対馬はなんだかいい匂いがする」。まず向かうのは、離合もあやうい細道の先にある金田城跡。白村江の敗戦のあと、大陸からの備えとして浅茅湾を見下ろす城山に築かれた、朝鮮式の古代山城だ。
九十九折の登山道は、じつは明治に砲台へ通すために拓かれた道。山頂の砲台跡は島の規模にそぐわぬほど立派で、斜面を縦に伝う石垣が浅茅湾へと落ちていく。飛鳥と近代、千二百年をへだてた国防の遺構が同じ山に重なる——さすがは国境の島。お昼は肉厚ふわふわの穴子重で(゚д゚)ウマー。
午後は軍艦を通すために掘られた大船越・万関の運河をのぞき、〆にもうひとつの姫神山砲台へ。車道が頂上近くまで続いていて、ヘロヘロの体に優しかった…。無印もダイソーもそろう鷄知の宿へ。2食付きの夕飯が、ちょうどいいボリュームだった。
金田城(かねだじょう)
663年の白村江の敗戦を受けて667年に築かれた、日本最古級の古代山城。大陸・朝鮮半島からの侵攻にそなえ、浅茅湾を見下ろす城山の斜面に朝鮮式の石垣をめぐらせた。時代はくだって明治、同じ山頂にはロシアに備える要塞の砲台が築かれる。飛鳥と近代、千二百年をへだてた二つの国防遺構が一つの山に同居するのは、国境の島ならでは。一ノ城戸・二ノ城戸と呼ばれる石塁が、いまも海ぎわに残る。
白嶽登山と厳原の清水山城・対馬博物館
三日目は、対馬のシンボル・白嶽へ。緩やかな森の道が途中からぐっと険しくなり、登りきると真っ白な岩の頂。風が強くて足がすくむけれど、浅茅湾も対馬の山なみも見渡す絶景に、登ってよかったと心から思う。下りの岩場が、これまたこわい((((;゚Д゚))))。
山を降りて厳原の城下町へ。今どきの住宅のあいだに、武家屋敷の石垣がすっと溶けこんでいる。對馬醤油の店先をのぞき、対馬博物館で宗家の外交史を学ぶ——秀吉や家康の手紙を偽造して朝鮮国王とやりとりしていた話が、めっぽう面白い。裏山の清水山城にのぼれば、厳原の街ごしに壱岐まで見えた。
そして夜は、お待ちかねの穴子づくし。回転はしていないけどレーンは生きているお寿司屋さんで、穴子の刺身、アラ汁、赤目フグの唐揚げ、穴子の4種盛り(生・炙り・煮・蒲焼き)。運動のあとのビールと、甘い醤油にあう穴子に、ただただ満たされる(゚д゚)ウマー。
白嶽(しらたけ)
対馬のほぼ中央にそびえる霊峰。頂上は双耳峰の石英斑岩が白くむき出しになっていて、大陸系と日本系の植物が入りまじる原始林は国の天然記念物に指定されている。古くから信仰の対象とされ、登山口には鳥居が立つ。晴れた日の山頂からは、入り組んだ浅茅湾のリアス海岸が箱庭のように見わたせる——対馬一の絶景とも言われる。
万松院と藩のお船江を巡りフェリーで帰宅
最終日はまったりと。李王家の結婚記念碑に、徳恵翁主と宗家のままならぬ縁をしのび、万松院へ。対馬藩主・宗家代々の墓が、鬱蒼とした杉木立のなかに荘厳に並ぶ。
藩の軍船を係留した「お船江」は、石垣が水面にうつってしずか。カニがたくさん歩いている。厳原八幡宮をおまいりして、対馬名物ろくべえ——さつまいもを発酵させた、つるつるの麺をすする。蕎麦に似ているけれど、やっぱり別ものの味わい。
島のあちこちで出会うツシマヤマネコを横目に、夕方のフェリーきずなで対馬をあとにする。日本語と韓国語がいりまじる港の雑踏に見送られて、「さらば国境の島、また逢う日まで」。
外交の島と宗家
対馬を治めた宗(そう)氏は、江戸時代をつうじて朝鮮との外交と貿易を一手に担った。国交をとりもつため、ときに将軍や朝鮮国王の国書を書き換え・偽造までしていたことが、のちに「柳川一件」として発覚する。厳原の万松院には歴代藩主の墓所がならび、藩の軍船をつないだお船江跡とともに、海にひらかれた小藩のしたたかな歴史を今に伝える。