福岡を発ち、涼しい下川へ
早朝の福岡空港から羽田で乗り継いで、旭川へ。バスを降りた瞬間の「めっちゃ涼しいぃぃぃ!」が、この旅の第一声だった。東京34℃、福岡35℃——人間の住むところじゃない暑さを置き去りにして、気温21℃の北国へ逃げこむ。
旭川駅から宗谷本線の名寄行きは、一両きりで激混み。永山で半分が降り、天塩国に入るころには車窓もすっかり静かになる。名寄で名士バスに乗り換えて、木の香りのする下川の宿へ。夜は名物の生ラムジンギスカンと、下川が誇る釜揚げうどん。細麺に生卵と鰹節、醤油をちょこっと垂らすだけで(゚д゚)ウマー。腹八分目という言葉を知らないまま、一日目の夜は更けていく。
万里の長城とオホーツク、日の出岬へ
朝いちで、下川の「万里の長城」へ。パークゴルフ場や野球場のある公園を、石積みの城壁がぐるりと囲んでいる。石には全国から下川を訪れた人たちの名前が刻まれていて、北海道らしく出身地はてんでバラバラ。林業が衰退し「これからは観光の時代だ」と、昭和の終わりに町の人たちが積み上げたものらしい。ナナカマドの実が赤く色づいて、北の秋はもう始まっていた。
名士バスと鈍行を乗り継いで、名寄本線・興浜北線の廃線跡をたどりながらオホーツク沿岸を北へ。上興部の廃駅で除雪車を眺め、道の駅にしおこっぺに寄り道し、興部では修行元が札幌という味噌ラーメン。生チチの味がするおこっぺアイスで涼をとる。北に薄く青空が見えたので、雄武まで行かず日の出岬で下車——ちょっと海に突き出しただけの丘なのに、しっかり天気の境目になっているのが面白い。オホーツクを眺めて、宗谷バスで枝幸へ。
下川の万里の長城
北海道・下川町の桜ヶ丘公園を、延々とめぐる石積みの城壁。かつて林業で栄えた町が、産業の衰退をうけて「これからは観光の時代」とばかりに、昭和の終わりから町民やボランティアの手で築いていった。石には下川を訪れた人々の名前や言葉が刻まれ、全国各地の出身地が並ぶのが北海道らしい。後年のものは、岩に彫る手間を省いた粘土板になっているのもご愛敬。万里の長城といっても本家のような防衛施設ではなく、町の記憶を積み上げたモニュメントだ。
枝幸の夜明けから、神威岬・クッチャロ湖を経て稚内へ
枝幸の朝は早い。日の出は5時すぎ、ちょうど漁船が列をなして港を出ていくところに出会った。夜明けとともに漁へ——今の時期は何を捕るのだろう。宗谷バスで南下すると、北見神威岬の灯台が、そそり立つ岩山を背にしてカッコイイ。山側の築堤は廃線になった興浜北線の跡。これだけの景色の中を走っていたのかと思うと惜しい。砂浜にはずらりと釣り竿が並び、アキアジ(鮭)が上がっていた。
浜頓別では、日曜で開いている店が寿司屋一軒だけ。天丼を頼むと、エビにキス、茄子にちくわ、アラ汁まで付いてなかなか。白鳥はまだ来ていないクッチャロ湖は、思ったよりだいぶ大きくて静かだ。ここから先は交通がどんどん細くなる——天北線代替バスの、そのまた代替のデマンドバスで音威子府へ。駅そばの名店はもう無いけれど、乗り換えの合間に食べたミルキーなジェラートが、北海道で一番うまいアイスだった。鈍行に揺られ、天塩中川のいい駅舎に途中下車して、夜の稚内へ。
細っていくローカル交通
道北の旅は、鉄道とバスの歴史そのものをたどる旅でもある。名寄本線・天北線・興浜北線はいずれも国鉄末期に廃止され、代替バスに置きかわった。その代替バスさえ利用者減でさらに縮小され、浜頓別〜音威子府のように「代替バスの代替デマンドバス」が走る区間もある。乗客は自分ひとり、ということもしばしば。レンタカーが当たり前の北海道で、公共交通だけで旅をすると、この国のローカル交通がじわじわ消えていく現在地がよく見える。
最北の離島へ、礼文と利尻
稚内からフェリーで、いよいよ離島へ。最北航路が出港すると、海の向こうに利尻と礼文のシルエットが浮かぶ。まずは礼文島。本当は泊まりたかったけれど宿が高すぎて、二階建ての定期観光バスで名所をサクッと巡る。澄んだ海で知られる澄海岬は今日はなまら荒れ、「最北限」を名乗るスコトン岬、そして桃岩の展望台。花の浮島は、秋の風にさらされていた。ウニは産卵期で終わっていたので、利尻昆布だしの塩ラーメンで(゚д゚)ウマー。
船を乗り継いで利尻島へ。すぐ隣なのに、溶岩の岩がごろごろ転がる、見るからに火山島の顔つきだ。鴛泊のペシ岬に登ると、360度の大パノラマ。利尻山(利尻富士)は、ズラが脱げそうで脱げないチラリズムで、頂に雲をかぶったまま。夕暮れの沓形に宿をとり、ちょうど中秋の名月。〆のラーユタンメンは、見た目ほど辛くなくて縮れ麺によく絡む。島の夜は、月を見ながら更けていった。
利尻・礼文
日本海にうかぶ、日本最北の離島。礼文島は低地に高山植物が咲く「花の浮島」で、利尻島は海からそびえる利尻山(標高1721m/利尻富士)を頂く火山島だ。すぐ隣どうしなのに、なだらかな草原の礼文と、溶岩の岩がごろつく利尻とでは島の表情がまるで違う。名産の利尻昆布はだしの最高級品として知られ、塩ラーメンのスープにも効いている。どちらの島も定期観光バス・路線バスがフェリーの時間に合わせてよくできていて、車がなくても要所をうまく巡れる。
利尻を一周し、稚内から夜行バスで知床へ
道北編の最終日。朝の沓形岬は、火山岩に穴のあいた海岸が、どこか沖縄のサンゴ礁の港のよう。路線バスで利尻島を反時計回りに一周する。仙法志では岩場を切り開いた干場で昆布を干していた——これが有名な利尻昆布か。ずっと海と利尻山が見えていて、やがて雲が完璧に晴れ、きれいな利尻富士が姿を現した。やったぜ。
鴛泊からフェリーで稚内へ戻り、ノシャップ岬まで足をのばす。巨大なハンバーガーにチーズをたんまりかけた鉄板焼き「スラッピージョー」を、ナイフとフォークで。北防波堤ドームの柱廊を眺めたら、いよいよ「脱(道)北」の時間だ。都市間バスで札幌まで5時間50分、車窓の月を追いながら、さらに夜行バスへ乗り継いで知床へと向かう。長い長い夜の移動が始まる。
知床峠を越え、国後島とホッケと北方領土
ゆうべ札幌にいたのに、起きたら知床にいる。夜行の移動は、こういう瞬間がたまらない。ウトロから知床峠を越えて羅臼へ——なまら景色のいい路線で、峠の上からは国後島がよく見えた。「四島を返せ」。羅臼の漁港に立つと、水平線の向こうに横たわる国後島は、知床半島の二倍はあろうかという大きさで、ずしりと迫ってくる。
昼は道の駅で、ずっと食べたかった羅臼産ホッケ。まるごと一尾、身は締まって味が濃い。皮まで美味い。標津に移り、北方領土館で島の暮らしの古写真に見入り、サーモン科学館で標津川の鮭の遡上を眺める——今年はほとんど上ってこないらしい。入った蕎麦屋で、はからずも念願のいくら丼。プチプチ(゚д゚)ウマー。終バスで、ひとり釧路へ向かう。
羅臼から望む北方領土
知床半島の羅臼側からは、目の前の海に国後島がくっきりと横たわる。晴れた日には択捉島まで……は遠すぎて見えないが、国後島は知床半島の約二倍、さらに択捉島はその約二倍という大きさだ。しおかぜ公園には「四島を返せ」の碑が立ち、根室海峡をはさんだ返還運動の最前線であることを静かに告げる。標津の北方領土館には、色丹島の鯨骨でできた鳥居など、島で営まれていた暮らしの写真が数多く残されている。
十勝のワイン城から帯広・札幌、栗山の夜
釧路発の都市間バスは満席で、まずは鈍行で帯広を目指す。池田で途中下車して、丘の上のいけだワイン城へ。工場を見学し、城の上から池田の町と十勝平野を見わたす。急いで戻って池田牛のステーキ……のはずが時間との戦い。帯広では、市民に愛される「インデアン」のカレーにホットソースをドバドバかけて(゚д゚)ウマー。
インデアンカレーで腹を満たし、早めに札幌へ。冷たい雨の降る大都会で、ガッカリ名所と名高い時計台を初めて見たら、思ったよりそこそこデカくてビビる。明治の赤レンガの道庁旧本庁舎は、あいにく工事中だった。今月で廃止されるという「ゆうばり号」バスに乗り、栗山へ。この規模の町で、地元産品をふんだんに使う入りやすい居酒屋は貴重だ。ラーメンサラダにザンギ、トマトジュースのレッドアイ、〆はいもバター。熱燗がうまい。
ウポポイと虎杖浜、室蘭やきとりでフェリーへ
栗山から苫小牧経由で白老へ。白老八幡神社に旅の無事を祈り、ウポポイ——民族共生象徴空間へ。国立アイヌ民族博物館で、先入観なしにアイヌの文化と暮らしをたどる。建物は立派だけれど展示はワンフロアで少し拍子抜け、収蔵は二風谷のほうが多い。氷頭のチタタプの映像がなまら美味そうで、レストランで出してくれたらいいのに、と思う。
100円バスで虎杖浜へ。ここはたらこの町——650円でたらこたっぷりの丼をかきこみ、黄褐色のぬるすべ温泉でちゃぷる。水産会社の直売所がずらりと並ぶ。そして北海道最後の晩餐は、室蘭のやきとり。室蘭では「やきとり」といっても豚精肉にタレ、相棒はなぜか洋がらし。シロの脂とタレがたまらない。寂れた街にうまい店がたくさんあった。旧室蘭駅舎を横目に港へ向かい、最近できた室蘭〜青森のフェリーで「脱北」。白鳥大橋の下をくぐって、さらば北海道。
ウポポイ(民族共生象徴空間)
2020年、白老町のポロト湖畔に開業したアイヌ文化の国立施設。中核となる国立アイヌ民族博物館は、アイヌ民族みずからの視点で歴史・言語・暮らし・現在を紹介する、日本初の国立の少数民族博物館だ。かつてこの地にあった観光施設「ポロトコタン」の流れをくみ、伝統的コタン(集落)の再現や古式舞踊の上演も行われる。アイヌ料理のオハウやチタタプなど、映像で紹介される食文化を実際に味わえる場が少ないのは、ちょっと惜しいところ。
青森から空路で岡山、備中高松城と足守
未明の青森港に着岸。ベンチもトイレも居酒屋も開いていない駅前で夜明けを待ち、青森空港でリンゴジュースをひと息。羽田を経由して岡山桃太郎空港へ飛ぶと、ここも羽田よりずっと涼しい。晴れの国のはずが、ちょうどいい曇り空だ。
吉備線で備中高松城跡へ。秀吉の水攻めで知られる平城は、湿地ゆえ遺構はわかりづらいが、水位を示す表示が津波のそれのよう。資料館で水攻めの映像を見て、腑抜けた毛利勢のなか気骨を見せた清水宗治の首塚に手を合わせる。無料の循環バスに飛び乗って最上稲荷へ。長い参道に店が並ぶさまは神奈川の大山を思わせるが、三連休なのにほとんど閉まっている。モダンなお堂は、神仏習合で寺テイスト強め。さらにバスで足守の古い町並みを歩き、ねねの実家・木下家ゆかりの足守藩の面影をたどって、井原の宿へ。
平櫛田中と笠岡ラーメン、福山城で旅じまい
最終日の朝は、井原の商店街さんぽ。街道沿いにうだつのある家や商店街の門が続く。平櫛田中美術館で、写実的なのに活き活きした彫刻にうなる——大作もいいが、幼児の犬張子が一番好きだ。すぐ近くの笠岡ラーメンの名店はもう行列だったので、バスで笠岡へ。
笠岡ラーメンの中華そばキタ━━!! 豚骨の国から来た身には、濃いめの醤油スープに細麺、鶏チャーシューがかえって新鮮。これぞ笠岡ラーヌン、うまい。イギリスかぶれの商店街を抜けて福山城へ。北側だけ堀がなく、防御のため黒い鉄板を貼った珍しい城だ。天守から備後の町を見下ろして、新幹線で博多へ。北海道で味噌も塩も食べ、たらこの美味さを再認識した、長い長い十日間の旅がおわる。