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水城から有明へ、史跡をたどる二日間
FUKUOKA · SAGA 史跡めぐり · 2024 晩夏

水城から有明へ、史跡をたどる二日間

飛鳥の土塁、幕末の船渠、潮の町並み。

2024.8.31 ▶ 9.1

Days2日間
Dist約95km
Area福岡・佐賀
Top最高 82m

福岡と佐賀のあわいには、守りの記憶が土と水にしみこんでいる。飛鳥時代、大陸の脅威にそなえて博多と太宰府のいちばん狭いところを塞いだ土塁——水城。千三百年を越えてなお、こんもりと残る堤を、蚊に食われながら端から端まで歩いた。

そこから久留米でとんこつをすすり、佐賀へ。有明海の個性的な珍味で一杯やって、だれもいない夜の県都をぶらつく。翌日は世界遺産の幕末の船渠・三重津海軍所跡から、潮が何メートルも上下する筑後川を真っ赤な昇開橋で渡り、酢の香る大川の古い町並みへ。守りの土塁にはじまり、ハートだらけの恋のお宮で締めくくった、濃くてのんびりな二日間の記録。

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DAY 1 · 08.31

水城跡を歩き久留米・みやき経由で佐賀泊

昼の福岡を出て、まずは腹ごしらえ。前にオムライスを食べた新天地倶楽部で、こんどはあんかけチャーハン。白濁のあんがマシマシでドロッとかかった一皿に、旅のエンジンがかかる。都府楼前から水城へ——きょうの主役は、飛鳥時代の土塁だ。

水城は、博多と太宰府のあいだのいちばん狭いところを、東西にまっすぐ塞いだ古代の防衛ライン。出入り口は東門と西門の二ヶ所だけ。堤の上から眺めると、道も鉄道もバイパスも川も、ぜんぶがこの一点を突破しようとひしめいている。飛鳥時代の土塁がこれほど残っているのは、やっぱりすごい。桜並木になった堤を、めっちゃ蚊に食われながら端まで歩いた。

久留米へ下りて、とんこつ発祥の地で一杯。バスを乗り継いで佐賀・みやき方面へ、「ちくり」と読みたくなる千栗(ちりく)や、都紀女加王(つきめかのおおきみ)墓をのぞく。夕方、県庁所在地なのに泊まったことがなかった佐賀市へ投宿。有明海の珍味——ガニ漬け豆腐にマジャクの唐揚げで一献かたむけ、ゴーストタウンのように静かな夜の城下をぶらついた。

移動 約65.5km

水城(みずき)

664年、白村江の戦いで唐・新羅に敗れた大和朝廷が、大宰府を守るために築いた全長約1.2kmの巨大な土塁。博多湾側に幅60m・深さ4mほどの濠を掘り、その土を盛り上げて高さ10m級の堤を築いた。水をたたえて防御力としたことから「水城」と呼ばれる。東門・西門の二ヶ所だけが出入り口で、西門は外交使節の通る官道だった。飛鳥時代の土木構造物がこれだけ良好に残る例は全国的にも珍しい。

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DAY 2 · 09.01

早津江・三重津海軍所跡と大川の町並み巡り

朝は恵比須さんを探して散歩。佐賀は街角に恵比須像がやたらと多い町だ。駅前でコーヒーとサンドの朝ごはんをかきこみ、JKで満員のバスに揺られて早津江へ。お目当ては、佐賀が誇る世界遺産・三重津海軍所跡。

……正直、河川敷の公園にしか見えない。遺構そのものは見えないが、それもそのはず。木材の劣化を防ぐため、ドライドックの跡はわざと埋め戻してあるのだという。幕末、佐賀藩がここに軍港をかまえ、有明海の干満を利用してドックを機能させた。資料館でひんやり涼みながら学べば、ここ出身の佐賀藩士・佐野常民が、のちに日本赤十字社を立ちあげた人だと知る。

早津江川を渡って福岡へ帰還。日陰ゼロのバス停で干からびかけつつ、筑後川のほとりでラーメンと餃子。潮が引いて泥の上にすわりこんだ有明海の漁船を眺め、真っ赤な筑後川昇開橋を渡る。大川では久留米藩と柳河藩の藩境石、酢の香る小保・榎津の古い町並みをぶらり。締めは、ハートだらけの恋木神社で「あぁ恋したい」と笑った。

移動 約28.8km / 獲得標高 29m

三重津海軍所跡

幕末、日本一の近代化をすすめた佐賀藩が設けた藩営の造船・修船施設。2015年、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産としてユネスコ世界遺産に登録された。有明海の大きな干満差を利用して船を出し入れするドライドックを備えていた。木製の遺構は劣化を防ぐため地中に埋め戻され、地上には説明板が立つのみ——「見えない世界遺産」として知られる。藩士・佐野常民はのちに博愛社(日本赤十字社の前身)を創設した人物だ。