福岡空港から高知へ 海洋堂・赤岡・手結
旅のはじまりは福岡空港のラウンジ。うっかり会員制のリッチな部屋に迷いこんで気まずくなりつつ、青汁飲み放題で「まずい!もう一杯!」。一時間ほどで高知龍馬空港へ着き、裏手の田んぼ道をゆくと、太平洋戦争の高知海軍航空隊が残した掩体壕(えんたいごう)が青田のなかにぽつりぽつり。何機もの飛行機をすっぽり収めたコンクリートのかまぼこ屋根が、七基も残っている。
そして本命、海洋堂。フィギュアの名門が南国市にかまえる「SpaceFactoryなんこく」で、塗装も造形もひとつひとつ手作業で仕上げる現場をのぞく。進化のジオラマにゴジラ、懐かしのデカレンジャー——胸が高鳴りっぱなしだ。お土産ガチャはタタキでも新幹線でもなく、またしても龍馬が出た(´;ω;`)。
ごめん・なはり線で赤岡へ。中華麺に和風だしの「ちゅうにち」と、肉なし全部ニラの香南餃子でお昼にする。幕末の絵師・絵金ゆかりの町並みと芝居小屋をめぐり、夕方は手結港(てい)の可動橋がゆっくり跳ね上がるのに出くわした。SASUKEのそり立つ壁ぜよ。土佐の海岸線を猫とともに歩いて、香南の宿にしけこんだ。
絵金のまち・赤岡
絵金(えきん、弘瀬金蔵)は幕末の土佐の絵師。才をみとめられて藩家老の御用絵師にまでのぼりつめたが、贋作事件の嫌疑で城下を追われ、ここ赤岡に身を寄せた。以後は町衆のために、血のように赤い「血赤(ちあか)」をきかせた芝居絵屏風を描きつづける。夏祭りの宵、蝋燭の灯りにゆらめく芝居絵は、おどろおどろしくも妖しくうつくしい。町には絵金蔵と、現役の芝居小屋・弁天座が今も残る。
手結港可動橋
手結港の可動橋は、車道がまるごと空へそり立つ、全国でもめずらしい跳ね上げ式の橋。船が出入りするあいだ、橋げたが片側から持ち上がり、まるでSASUKEのそり立つ壁のよう。一日のうち、じつは上がっている時間のほうが長いという。下りるのを待って渡れば、何事もなかったかのような、ただの橋にもどっている。
高知市街 桂浜・長宗我部像・いの町
二日目はバスととさでん(路面電車)で高知市街へ。高知城の追手門の下、追手筋でひらく日曜市をひやかし、🍣と🍠をつまむ。そのまま桂浜へ——「龍馬像があるだけの小さな浜」なんて言いつつ、太平洋がどーんと開ける景色はやっぱり気持ちいい。
たわしは龍馬より長宗我部がすきぜよ。若宮八幡宮は、長宗我部元親が初陣をかざった地。足もとに四国地図をしたがえた「初陣の像」はなかなかのイケメンで、教養もあったという元親の人となりがしのばれる。親子二代、数十年をかけて四国をほぼ統一した土佐の雄だ。ひんやりアイスクリンで涼をとる(二段目は落とした)。
お昼は高知ラーメン。細めで硬めの麺に絶妙な塩加減、分厚いチャーシューとコーン、うずらの卵——袋麺みたいに優しいのに完成度が高くてたまらん。いの町では紙の博物館で土佐和紙の歴史にふれ(とさでんは元々、紙を運ぶためにできた鉄道だとか)、姫若子の湯でさっぱり。はちきん地鶏で腹を満たし、夜の高知をとさでんが走り抜けるのを見送って、宇多津経由の夜行バスで土佐を後にした。
姫若子から鬼若子へ
長宗我部元親は土佐・岡豊(おこう)城に生まれた戦国大名。色白でおとなしい少年だったため「姫若子(ひめわこ)」とあなどられたが、二十二歳の初陣で槍をふるって武名をあげ、以後は「鬼若子」と呼ばれた。父から二代、数十年をかけて四国をほぼ統一したが、まもなく豊臣秀吉に屈し、土佐一国に戻された。若宮八幡宮には、その初陣の雄姿を刻んだ像が立つ。立ち寄った「姫若子の湯」も、この異名にちなむ。