博多どんたくの夜と、唐津へ
旅のはじまりは夜の博多。ゴールデンウィークの街に、花と電飾をまとった「花自動車」がゆっくりと列をなして走る。昔は路面電車を飾った「花電車」だったものが、1977年からは自動車になって、博多どんたくの夜を彩っているのだという。
光の行列を見送ったら、あとは唐津へ。連休のさなかに通常料金のまま空いた宿をねばって押さえ、ここを拠点に連泊と決めた。初日の夜は気負わずコンビニ飯で——九州限定だったころの檸檬堂を懐かしみつつ、明日からの自転車旅にそなえて早めに横になった。
花自動車って?
博多どんたくは、ゴールデンウィークに福岡でひらかれる大きな祭り。その名物のひとつが、花と電飾で飾りたてた「花自動車」だ。もとは路面電車を飾った「花電車」だったが、路面電車の廃止にともない、1977年から自動車へと姿を変えた。交通規制もなく夜の街をゆっくり走る電飾の行列は、どこかデコトラめいた、博多の初夏の風物詩になっている。
自転車で東松浦半島ぐるり一周
朝いちばん、折りたたみ自転車「クロちゃん」をかついで東松浦半島をぐるり一周。まずは柱状節理の七ツ釜へ。玄界灘の波が刻んだ六角形の岩肌が、いろんな角度でにょきにょきと重なって、キモかわいい。立神岩の潮風を浴びながら、半島の海沿いをこいでいく。
イカの町・呼子に到着。活き造りの名店は開店前から大行列だったので、港の店でうに飯をかきこみ、松葉サイダーで喉をうるおす。朝市通りをひやかし、イカをかたどった遊覧船に笑い、使われないまま眠る未成線・呼子線のトンネルをくぐる。新さが百景一位という呼子大橋を渡って、秀吉が朝鮮出兵の拠点とした名護屋城跡へ——天守台に立つと、海の向こうに島影がうっすら見えた。
波戸岬の先には玄海原発。ローカルコンビニで焼きたてのたこ焼きを頬ばり、そして今日いちばんの目的地、浜野浦の棚田へ。田に張られた水が夕空をうつして、一枚いちまいが鏡になる。代掻きの季節にしか見られないこの水鏡を、日が傾くまでただ眺めていた。
浜野浦の棚田と「水鏡」
玄界灘にそそぐ入り江へ向かって、大小およそ千枚の田が石垣とともに段を重ねる景勝地。日本の棚田百選のひとつで、とりわけ田に水を張る四〜五月の夕暮れが名高い。斜面いっぱいの水面が夕空をうつし、あかね色に染まった一枚いちまいが鏡のように光る。この「水鏡」は、田植えを前に代掻きをするわずかな時期にしか見られない、季節限定の絶景だ。
伊万里から島へ、土谷棚田とアジフライの聖地
三日目の朝は川霧から。唐津駅のやきもん祭りの気配をちらりと感じつつ、黄色い汽車で伊万里へ輪行する。そこから再び「クロちゃん」で、佐賀とだけ橋でつながっているのに長崎県という不思議な島・福島をめざす。
カブトガニの館はまだ開いておらず、浜辺で「野生のカブトガニか!」と近寄れば、ただの石だった。それでも海と田んぼが交互にあらわれる島の道は気持ちいい。坂をのぼった先にひらける土谷棚田の絶景——石積みの田が斜面いっぱいに段を重ね、ここでも水鏡が空をうつしていた。
「アジフライの聖地」をうたう福島で、揚げたてサクフワのアジフライ定食にありつく。半身を三枚、タルタルとソースで(゚д゚)ウマー。食べ終えたら自転車ごとフェリーに乗りこみ、松浦湾を渡って松浦市街へ。御厨半島で元寇防塁の石塁をたどり、宿では道の駅で買った握りを肴に部屋飲み。アジフライの聖地は、魚もまた飛びきりだった。
アジフライの聖地・福島とカブトガニ
長崎県松浦市の福島は、佐賀県伊万里市と橋でつながりながら長崎県に属する、少し不思議な島。鯵(あじ)の水揚げで知られる松浦は「アジフライの聖地」を名のり、島や市内のあちこちで揚げたてのアジフライが味わえる。近海はカブトガニの繁殖地でもあり、常に夫婦づれでいることから夫婦円満・子孫繁栄の縁起物として親しまれてきた。
雨の山越え、世知原の炭鉱と石橋
最終日は、朝から雨もよう。やな感じの風を突いて山を越え、世知原へ。炭鉱資料館では、おっちゃんが熱心に解説してくれた。世知原の石炭は煙が出ないから軍艦に使われたこと、採算が合わず掘らなくなっただけで、掘ればまだまだ眠っていること。坑口の跡と巻揚機の車輪が、静かに時代を伝えていた。
世知原には石橋がいくつも残る。苔むした倉渕橋のアーチをくぐり、旧世知原線のサイクリングロードをひたすら下る。くだり基調でらくちんちん、吉井から佐々へ。甘いポテサラを挟んだ揚げサンドと押し寿司で腹を満たし、軍港のまち・佐世保へと走りこんだ。
帰りの車窓は、佐賀平野いちめんの麦畑。黄金色の穂がゆれるのを眺めながら、博多へ。締めは駅ホームのラーメンをすすって、四日間の自転車旅はおしまい。水鏡の棚田も、呼子のイカも、アジフライも——初夏の北部九州を、まるごと走りきった。
世知原の炭鉱と石橋
世知原(せちばる)は、佐世保市の北東にかつて栄えた炭鉱の町。ここで採れる石炭は燃やしても煙が少なく、居場所を悟られたくない軍艦の燃料として重宝されたという。昭和四十年代に石油へ押されて閉山したが、坑道にはまだ石炭が眠るとも言われる。炭鉱とともに発展した町には、職人が積んだ美しい石橋がいくつも残り、いまはサイクリングロードとなった旧世知原線が、その面影を静かにつないでいる。