福岡から山口へ移動
旅のはじまりは夜の福岡。新幹線に飛び乗って、暗くなった車窓を西へ西へ。山口に着くころにはすっかり夜で、その日は小さな部屋に荷をおろして早々に横になった。明日からは、ひたすら歩く一日になる。
萩往還を歩いて萩へ
夜明けの山口は、まだひんやり。一の坂川の桜並木がちょうど見頃で、花びらを踏みながら歩きはじめる。初っぱなから道を間違えつつ、一の坂ダムを越えると、いよいよ萩往還の石畳。広い砂利道にところどころ石が敷かれ、牛馬も通った道だからそんなにきつくはない——と思っていたら、最大の難所を越えてようやく長門国に入る。江戸の旅人が歩いた道を、そのままなぞっているのが不思議だった。
中間地点の佐々並市は、こぢんまりとした重伝建の宿場町。道中では昔の石風呂をのぞき、落合の石橋で蛙の声を聞き、一升谷の苔むした石畳をひたすら降りていく。山賊が出そうな静かな山道をぬけ、最後に鹿背隧道をくぐると——萩キタ━━!! トンネルの先に、ようやく城下町が待っていた。
足はもうくたくた。宿に荷をおろして、まずはにごり酒で一杯。山口名物のチキンチキンごぼうに、萩の朝うどん「どんどん」のわかめうどん——歩いたぶんだけ、よく食べた。日が暮れてからは、長い土塀のつづく武家屋敷のまちをぬけて菊ヶ浜へ出て、ライトアップされた萩城跡の夜桜を、しっとりとながめた。
萩往還とは
萩城下と瀬戸内海の三田尻(いまの防府)をむすぶ、約53kmの御成道。参勤交代の大名行列が通り、沿道には一里塚や、大名が休んだ御建場(ごたてば)が置かれた。石畳の峠道と牛馬の通った砂利道がいまもよく残り、幕末には吉田松陰をはじめ維新の志士たちがこの道を往来したことから「維新の道」とも呼ばれる。山口から萩まで、ちょうど一日かけて歩きとおす道のりだ。
萩観光から津和野、新山口経由で帰宅
雨上がりの、爽やかな朝。満開の桜の城下町・萩をあらためて歩く。平安古(ひやこ)と堀内の鍵曲(かいまがり)は、敵の侵入を防ぐために道を直角に折り曲げた、高い土塀のつづく武家地の道。その塀ごしに、萩名物の夏みかんが鈴なりに実っていた🍊——花が咲いてるのかと思ったら、黄色い実だった。
今日もまた萩城跡(指月城)へ。毛利輝元が築いた城の跡に、これ以上ないほどの満開の桜。花びらがはらはらと散るなかを登って、背後の指月山まで登頂する。山頂には、斜めにいくつも穴の空いた大岩——昔の石切場の跡だろうか、面白い。すきとおった菊ヶ浜の海を目に焼きつけて、城下町をあとにした。
午後は津和野へ。ちょうど流鏑馬の日にあたり、まずはカツ丼で腹ごしらえ。太皷谷稲成神社の千本鳥居を一気にのぼり、さらにリフトで山の上の天空の城・津和野城跡へ。総石垣の上から見おろす町並みは、まさに雲の上の城だった。殿町通りの掘割では鯉がゆったりと泳ぎ、白壁と地酒の蔵がつづく。みやげに地酒を一本もとめて、新山口でラーメンをすすり、夜の列車で帰路についた。
天空の城・津和野城
室町時代に吉見氏が築き、江戸期には亀井氏の居城となった山城。標高約370mの霊亀山の尾根に、総石垣の城郭がいまも残る。麓からはリフトであがれ、朝霧に浮かぶ姿から「天空の城」とも呼ばれる。石垣の上に立つと、赤瓦の家並みと津和野の谷がひとめに見わたせる、日本百名城のひとつだ。
鍵曲(かいまがり)と夏みかん
鍵曲は、左右を高い土塀ではさみ、道を鍵の手(直角)に折り曲げた城下町の道。見通しをさえぎって敵の侵入を防ぐ、城下防御の工夫だ。萩ではその土塀ごしに夏みかんの木が植えられ、春には黄色い実が鈴なりになる——明治維新で禄を失った士族が、生計のために庭先で夏みかんを育てたのが、いまに続く萩名物のはじまりだという。