似島と能美島 安芸小富士とミモザ、砲台山跡
朝の広島駅から宇品の港へ。船が出るぞぉぉぉ、と勢いよく渡った先は似島——福岡でいう能古島みたいな、街からすぐの小さな島だ。まずは車もほとんど来ない島の北側をのんびり。波のおだやかな入り江には、人のいないプライベートビーチのような浜がいくつも続く。海ぞいには検疫所の焼却炉の煙突がぽつんとのこっていて、日清戦争の頃、大陸から疫病を持ちこまないためにこの島に検疫所が置かれたのだと知る。遠浅の海ではフグがすいすい泳いでいた。
そして安芸小富士へ。少しガスってはいたけれど、登りきれば瀬戸内の島々と海がひろがって、めっちゃ気持ちぃぃ(でもあちゅい)。登山道では、お目当てのミモザの群生がもう満開だった——ふわふわもこもこの黄色い花が、これを見たくて似島まで来たかいがあったというもの。巨木が多くて海と一緒に撮れないのがちょっと残念、でも大満足。似島名物のバウムクーヘンをおみやに、次の船へ。
宇品からすかさず乗り継いで、今度は能美島(江田島)へ。上陸すると沖には護衛艦が出ていて、カメラを構える人だかり。目指すは、ずっと来たかった砲台山。完全なる山の上で来るのが大変なぶん、北部だけで砲台が六門ものこる、かつての要塞の跡だ。日が暮れてきて、今夜は江田島泊——面白い名前のホテル「ご安航」は、朝食にレトルトの海軍カレーが出るらしい。楽しみにして眠りについた。
似島とバウムクーヘン
広島湾に浮かぶ似島は、街から船ですぐの小さな島ながら、近代史の舞台でもある。日清戦争の頃には大陸からの帰還兵の検疫所が置かれ、第一次世界大戦では青島で捕らえられたドイツ兵の俘虜収容所にもなった。その収容所にいた菓子職人カール・ユーハイムが、1919年に広島で日本初のバウムクーヘンを焼いた——似島が「日本バウムクーヘン発祥の地」とされるゆえんである。くるくる回しながら層を焼き上げる、あの年輪のお菓子だ。
江田島 旧海軍兵学校見学と呉 大和ミュージアム
朝。楽しみにしていた海軍カレーは、じつはフロントで売っているだけだった(´;ω;`)——朝食はパック詰めのごはんにレトルトのカレー。気を取り直して、今日のいちばんの目当て、旧海軍兵学校へ。いまは海上自衛隊第一術科学校として、ガイドさんの解説つきで見学できる。英国煉瓦の赤い生徒館、どっしりと白い大講堂、そして数えきれない資料がならぶ教育参考館。見学時間ではとても見きれないほどの、海軍の記憶がここにあった。
雨がポツポツ。江田島の地酒は配送をたのんで身軽になり、小用港から船で呉へ渡る。お昼はとんかつ屋さんで、細長いミンチ定食とクリームコロッケ——切ってあるのに肉汁がちゃんと閉じこもっていて、ソースとよく合う(゚д゚)ウマー。そして大和ミュージアムへ。何もできずに的にされ、呆気なく沈んだとはいえ——十分の一スケールの戦艦大和の模型は、やっぱりロマンがあって、カッコイイ。手描きの図面であれほど大きな船を造った当時の技術力に、ただ唸る。
鎮守府が置かれたのも水がいいからというだけあって、呉は酒どころ。駅ナカで地酒を飲み比べ、この量で五百円はかなりお得。広島菜やシャコ、夜泣貝のにぎり、小いわし天に穴子巻——つまみもコスパ良く(゚д゚)ウマー。締めは呉のフライケーキ、包み紙に油がべっちょり染み出すほどだけど、これがうまい。新幹線でもみじ饅頭とハイボール、二日間の島と軍港の旅をしずかに閉じた。
旧海軍兵学校と戦艦大和
江田島の旧海軍兵学校は、1888年に築地から移転した海軍士官の養成機関。赤レンガの生徒館は明治期に英国から運んだ煉瓦で築かれ、いまも海上自衛隊第一術科学校として現役で使われている。一方、呉はかつて東洋一の軍港とうたわれた海軍工廠の町。ここで建造された戦艦大和は、全長263メートル、世界最大の46センチ主砲を積んだ巨艦だった。手描きの図面から生まれたその造船技術は、戦後の日本の重工業へと受け継がれていく——というのが大和ミュージアムの展示のストーリーである。