八女の古墳と石人、重伝建のまちへ
筑後に入ってまず出迎えてくれたのは、筑後市のシンボル・羽犬の像。「これがホントのイヌワシ」などと軽口をたたきつつ、最初の目的地は石人山古墳。なんとなく寄っただけのつもりが、横口式の家型石棺がどっしりと残っていて、古代の妖しいパワーに思わず引き込まれる。岩戸山古墳の展示では、よろいをまとった石人がずらり。この地の古墳は、埴輪のかわりに石人・石馬を立てたのだという。
お昼は熊本の弁当チェーン・ヒライで、あったかい麺と名物のちくわサラダ。酒蔵開放でにぎわう喜多屋に寄って、飲めない代わりに限定の生酒をおみやげに確保する。八女福島の重伝建の路地には古い雛人形があちこちに飾られ、福島八幡宮の鳥居をくぐるとそのまま土橋市場の飲み屋街へ直結——神様も一杯やりたくなる立地だ。しめは八女茶のソフトクリーム。
八女中央大茶園にのぼると、茶畑の向こうに有明海の方まで、筑後平野がひらけていた。徐福伝説の童男山古墳、直幹の盆栽のように枝を広げる津江神社の大樟を見て、黒木の町へ。保存されたSLの待つ黒木駅、重伝建のまちなみと藤棚のトンネルをながめ、太田旅館へ投宿。いきなり団子やじゃがいもまんじゅうをほおばって、濃い一日が暮れていった。
石人と磐井の乱
筑後川流域の古墳には、埴輪のかわりに阿蘇の凝灰岩を彫った「石人・石馬」を立てる独特の文化があった。なかでも岩戸山古墳は全長約135mの北部九州最大級の前方後円墳で、6世紀前半にヤマト政権と戦った豪族・筑紫君磐井の墓とされる。527年の「磐井の乱」で敗れた磐井の勢力の大きさを、ずらりと並ぶ石人たちが今に伝える。隣接する展示施設「いわいの郷」で、その石人を間近に見られる。
黒木の回水路から、山鹿・肥後へ南下
めちゃ寒い朝。古い家並みに沿って回水路がさらさら流れる黒木の町をおもしろがりながら、川沿いに肥後へと南下する。筑後は日差しが暖かかったのに、肥後に入るとどんより冷え込んで、「熊本キタ━━!!」の高揚もどこか震えぎみ。山鹿では、市のシンボルでもあるレトロな温泉・さくら湯の、唐破風の屋根の前へ。
お昼は山鹿で馬重と馬汁——「馬を山鹿で、つまり馬鹿」というわけだ。甘辛い馬肉をご飯にのせた重に、とろろと卵黄をとろり。来るのが遅いなと首をかしげていた小鉢が、じつは馬汁だった。帰り道は廃線跡のゆうかファミリーロードへ。分田駅などの小さな廃駅をたどりながら、「まぁそら廃線になるわな」という竹林と田んぼをひた走る。
熊本市街に入ると、くまモンがあちこちでお出迎え。虚無顔だけじゃない表情にちょっと感心しつつ、SAKURA MACHIや市電の走る街をぶらり。前歯のない口では飲む気分でもないと、しめはラーメンでエネルギー補給。花岡山から「大都会熊本」を見下ろしたら、あとは博多まで自走でゴォォル。二国またぎのバイク旅、完走。
肥後の馬肉と山鹿
熊本は全国屈指の馬肉どころ。桜肉とも呼ばれる馬肉は、馬刺しだけでなく、甘辛く仕立ててご飯にのせた「馬重」や、具だくさんの「馬汁」でも親しまれる。山鹿はその肥後の北の玄関口で、米どころらしく「ご飯に何でものせれば料理になる」おおらかさ。町の中心には、江戸期の湯治場の面影を残す市営温泉「さくら湯」が、堂々たる唐破風の屋根を構えて今も湯気を上げている。