佐賀駅から吉野ヶ里遺跡・久留米城を巡る
スタートは佐賀駅。駅なかに見慣れぬ一画ができていて、のぞくとやっぱりゲーム会社のアンテナ施設。キャラクターに見送られて街へ出る。長崎街道が貫いていた旧城下町は、バルーンフェスタのときには歩かなかった路地が味わい深く、鯛に乗った恵比須さんがにっこり迎えてくれた。赤レンガの旧古賀銀行、漢方の烏犀圓(うさいえん)、思案橋の名——このあたりが、むかしの佐賀の真ん中だったという。
神埼まで足をのばして櫛田宮へ。大きなお多福の面が口をあけて待っていて、思わずくぐり抜ける。お昼はとんこつラーメン、油の張りがちょうどよくてんまい。腹を満たしたら、いよいよ吉野ヶ里歴史公園へ。半分が遺跡、半分が広い原っぱ。環濠をめぐらせた弥生のムラに入り、物見櫓を見上げ、復元された竪穴住居をのぞく。地面にぽっかり口をあけた甕棺の前では、二千年前の死者にふっと近づいた気がした。
吉野ケ里公園駅のマンホールを踏んで、JRで鳥栖へ。バスを乗りついで久留米に入ると、街は都会のようでいて、どこか懐かしくさびれている。城のイメージのなかった久留米で、思いがけず立派な石垣とお堀に出会って見とれ、西鉄久留米駅のあたりまでぶらり。松田聖子も通ったという駅ビルで、太郎めんの名物めんと餃子をたいらげて、冬の一日をしめくくった。
吉野ヶ里と環濠集落
佐賀平野にひろがる吉野ヶ里遺跡は、弥生時代をとおして栄えた国内最大級の環濠集落。深い濠と柵でムラをかこい、物見櫓から外をうかがう——その姿は、クニとクニが争いはじめた弥生社会のひとつの到達点とされる。復元された竪穴住居や高床倉庫、そして死者を葬った甕棺(かめかん)が、二千年前の暮らしを今につたえる。日本百名城・続百名城にも数えられ、広大な歴史公園の半分は、だれでも走りまわれる芝生の原っぱだ。
城下町・佐賀と長崎街道
長崎街道は、江戸時代に長崎と小倉をむすんだ脇街道。異国の文物や情報が行き交い、沿道の宿場町をうるおした。佐賀城下もその道すじにあたり、いまも旧古賀銀行(赤レンガの近代建築)や漢方薬の老舗・烏犀圓、思案橋といった地名に、往時のにぎわいの名残がのこる。鯛にまたがった恵比須のように、商いの神さまがあちこちで街を見守っているのも、商都だった城下町らしい景色だ。