猫の島・相島と小倉、フェリーで東へ
旅のはじまりは、福岡・新宮沖にうかぶ小さな相島(あいのしま)。朝から渡船場は外国からの観光客で満員だった——でんちうも知らないうちに、ここはすっかり人気の「猫島」になっていたらしい。島に着けばさっそく、神社の参道でにゃんこがお参りについてくる。本土側に集落、沖側は断崖という日本海の島らしい姿をゆっくり一周した。
海岸には、石を積んだ古墳がいくつも並ぶ。帰りの船は定員オーバーで乗れず、次の便まで四時間コース——それでも猫がいれば退屈しない。本土に戻って小倉へ移動し、小倉城を眺めて天ぷらと九州ラーメンで腹ごしらえ。夜、新門司港から東京九州フェリーに乗りこんで、海の旅がはじまった。
相島積石塚群
海岸ぞいに、こぶし大の石を積み上げた塚がずらりと並ぶ。古墳時代後期(六〜七世紀ごろ)の「積石塚」で、土を盛る一般的な古墳とちがって石だけで築かれているのが珍しい。海をなりわいとした人々や、大陸と行き来した渡来系の集団との関わりが指摘されている。島の神社の参道に小石が敷かれているのも、どこかこの石の文化とつながっているのかもしれない。
東京九州フェリー、三食カレーと洋上の日の出
終日、船の上。高知沖、紀伊勝浦沖、御前崎沖……陸地は遠く、電波もほとんど届かない。やることといえば、デッキで日の出を待ち、海を眺め、そしてカレーを食べること。海軍出身の船は金曜日がカレーなのだとか——朝はふつうのカレー、昼は焼きカレー、〆は牛乳とサラダがついた海軍カレー。一日まるごと三食カレーになった。
午後、水平線にぽっかりと富士山が浮かんだ。やがて日が傾いて、空と海がゆっくり茜色に染まっていく。横須賀に着いたのは夜。一日ぶりの陸地を踏んで本州に戻り、この日は横浜に泊まった。
東京さんぽ、スカイツリーから橘丸へ
朝の横浜。大黒ふ頭にはベイブリッジをくぐれないほど巨大な豪華客船が停まっていて、出迎えのタクシーがずらりと並んでいた。別世界の光景を横目に、東京へ向かう。神田明神、湯島天神と初詣より一足早い参拝をはしごし、揚げたてのあげまんをほおばる。アメ横は観光客と正月の買い出し客でカオスだった。
浅草では、金色に輝くスーパードライホールの名物オブジェ。そして、いよいよスカイツリーへ登る。昼景と夜景が入れかわる時間帯、足もとに広がる東京にんほぉぉと声が出た。三越のライオンがもとは暮らしたという三囲神社に寄り、銭湯でさっぱりしてから竹芝桟橋へ。黄色い橘丸がレインボーブリッジをくぐり、黒潮の島へと船出した。
大晦日の八丈島上陸、玉石の島へ
三宅島、御蔵島と寄港しながら、横殴りの雨のなかを南へ。船内アナウンスで欠航かと肝を冷やしたが、八丈島キタ━━!! 無事に上陸できた。東京は七℃、八丈島は十九℃——冬とは思えないほど暖かい。台風のような雨はまず温泉でやり過ごす。島じゅうの湯に乗り放題・入り放題のバスパスが頼もしい。
雨が止むと一気にムシムシして南国らしくなり、八丈富士の雲も晴れてきた。荒磯に砕ける波の向こうには八丈小島——まるで絵画のよう。丸い玉石を積んだ大里の玉石垣や、玉石を敷きつめた急な参道の神社をめぐった。夜は年越しそばと、島の名物くさや。紅白を見ながら、島で一年が暮れていった。
大里の玉石垣
八丈島・大里の集落に残る、まるい石を積み上げた石垣。角のとれた玉石は、島の浜から人の手でひとつずつ運ばれたという。かつて八丈島は流刑の島でもあり、玉石をいくつ運べば扶持(食い扶持)がもらえる、といった労役の伝承も語り継がれている。黒い溶岩の石と、波にみがかれた丸石——火山の島ならではの素材でできた、しずかな路地だ。
元日の八丈富士、お鉢をめぐる
元日の朝、八丈富士に登る。一時間ごとの予報がころころ変わる空の下、風は強いが足取りは軽い。中央火口丘のカルデラまで降りて初詣をすませ、森を抜けて戻ってくると、雨だった空がすっかり晴れていた。ご利益はてきめんだ。
そして登頂、しゅごぉぉぉ! 山頂には直径数百メートルの火口——お鉢が大きく口を開けている。縁をぐるりと一周するお鉢めぐりは、足もとに海、向こうに八丈小島、まさに天空の散歩道だった。午後は空港を冷やかし、みはらしの湯とやすらぎの湯で夕日を眺める。能登半島の大きな地震の報を、暖かい島の湯につかりながら聞いた。
八丈富士とお鉢めぐり
八丈島の北西にそびえる八丈富士(正式には西山)は、標高八五四メートル、伊豆諸島の最高峰。きれいな円錐形の火山で、山頂には直径約四百メートルの火口が開いている。その火口の縁をぐるりと歩くのが「お鉢めぐり」。四百年ほど前の噴火を最後にいまは静かで、火口の底(カルデラ)には浅間神社がまつられ、元日には初詣に登る人でにぎわう。
末吉の灯台と洞輪沢、島の湯
船の欠航が続くなか、よくぞ上陸できたものだと思う。実質の八丈最終日は、バスで島の南端・末吉までのんびり。岬の八丈島灯台を眺め、海のすぐそばの洞輪沢温泉へ。ぬるめのお湯がドバドバと湧いて、いつまでも入っていられる。
黒い砂の海岸や、流人の歴史を伝える人捨穴を歩き、買い物をして宿に戻る。夜は八丈産の明日葉とうみかぜ椎茸で、明日葉ラーメンを自炊——限られた材料でこしらえる、男の島ごはん。見知らぬ島寿司もつまんで、八丈の夜はふけていった。
橘丸で三宅島へ、溶岩に埋もれた町
橘丸キタ━━!! 八丈島に別れを告げ、御蔵島を横目に三宅島の伊ケ谷港へ。降りたのは三人だけ、乗りこむ人のほうがずっと多い。島をぐるりとまわる阿古では、昭和の噴火で流れた溶岩がいまも黒々と広がっていた。
溶岩流に半分埋もれた旧阿古小中学校の校舎——三階建てなのに、その下に町がまるごと眠っていると思うとぞっとする。散歩中の島の人が、昔は写真をたくさん撮っていたけれど噴火で全部燃えてしまった、と静かに話してくれた。人間魚雷「回天」の発射基地跡を訪ね、バスのフリーパスを運転手さんに計算してもらって手に入れ、夕食付きの宿へ。分厚い刺身に、島の優しさがしみた。
三宅島と阿古の溶岩流
三宅島は、二十年ほどの間隔で噴火をくり返してきた活火山の島。一九八三年の噴火では、流れ出した溶岩が阿古の集落をのみこみ、旧阿古小中学校の校舎は三階近くまで溶岩に埋まった。二〇〇〇年の噴火では火山ガスのため全島避難となり、島民が戻れたのは四年半後のこと。黒くごつごつした溶岩の原は、何百年たっても緑に還らない。自然の時間のスケールを、まのあたりにする島だ。
小型機で大島へ、火山の島を飛ぶ
三宅島の朝は、御笏神社の巨木ビャクシンや、火山泥流で鳥居も社も埋まった椎取神社から。ひょうたん山や赤場暁、三七山からのぞく火山地形、サタドー岬の灯台——どこを歩いても火山のジオを感じる島だった。もっとゆっくり見たかった。
そして空港から、人生初のヘリコプターで伊豆大島へ飛ぶ。プロペラを回したままの搭乗、離着陸の揺れは少し怖いが、空から島がいくつも見えて最高だった。東京へ戻らずに島から島へ渡れる、ありがたい空の便だ。大島では元町港で夕日を見送り、味のある素泊まり宿で、くさやを炊く夜を過ごした。
神津島・天上山、島々を見はるかす
さるびあ丸に乗り、利島・新島・式根島をたどって神津島へ。上陸するなり、天上山をめざして登りはじめる。三合目までは急だが、あとは楽ちん——八合目まであっという間だった。天上ウェェーイ! 山頂からは、今回めぐった島が八丈島以外ぜんぶ見える。表砂漠・裏砂漠の不思議な荒野を抜け、黒島展望山では正面を向くと息ができないほどの激風。
下山して峠を越え、多幸湾へ。切り立った崖に囲まれた湾に、いい波が打ち寄せていた。前浜で夕日を見送ったあとは、島の料理店へ。明日葉のクラフトビールを利き酒のように飲みくらべ、脂ののったナワキリに舌鼓。ここは星空保護区——町の灯りがあってもなお、頭上には降るような星がまたたいていた。
神津島と星空
伊豆諸島の神々が集まり、島ごとに水を分け合ったという「水配り」の神話が伝わる神津島。島名は、神々が集う島「神集島(かみつしま)」に由来するとも言われる。標高五七二メートルの天上山は、山頂に白い砂地と池が点在する独特の景観で知られる。島は人工の光害が少なく、二〇二〇年には東京の島ではじめて「星空保護区(ダークスカイ)」に認定された。晴れた夜には、降るような星空が待っている。
神津島から下田へ、一週間ぶりの本土
神津島の朝は、島の神々が水を分け合う「水配り」の神話のモニュメントから。寝そべっているのが利島の神様——だから利島の船はよく欠航するのだとか。前浜には今朝もいい波が来ていた。
多幸湾でさるびあ丸を見送り、フェリーあぜりあに乗りこむ。式根島・新島を経て西へ。島と島の間はよく揺れ、デッキは閉鎖、窓には潮しぶきがバシャバシャとかかる。そしてついに下田——一週間ぶりの本州上陸だ。この夜は、蓮台寺の源泉を引く温泉宿でぽかぽかに温まった。
下田の水仙、駿河湾を越えて
本土に戻れば、ここは水仙の季節。白浜神社の澄んだ海でこれが本土での初詣、と手を合わせ、爪木崎へ。斜面いっぱいに水仙が咲きはじめ、爽やかな香りがただよう。アロエの里では、真っ赤なアロエの花が咲いていた。
須崎の遊歩道から海沿いを歩き、堂ヶ島からは駿河湾フェリーで清水へ——荒れた海をゆく船には、なぜか道路標識。この航路は海の上の「県道二二三(ふじさん)号」なのだ。清水で駿府城の大きな門松を眺め、この日は名古屋へワープ。栄で味噌カツをほおばって、長い移動日を締めくくった。
ひのとりで大阪、城と展望台
きしめんと中トロ丼の朝食から、近鉄特急ひのとりで鶴橋へ。深紅の車体はかっこいいが、乗り心地がよすぎてか少し酔った。大阪城は豊臣と見せかけて徳川の世に建て直されたもの、最上階だけが豊臣時代のデザインで金の虎が躍る。それにしても石垣の石の大きさよ——どうやって運んだのか。
あべのハルカスの展望台は、壁がガラスばかりで足もとがすくむほどの高所感。スカイツリーより空いていて、景色もよく見えた。四天王寺に手を合わせ、インバウンドでにぎわう黒門市場を抜ける。旅のしめくくりは、大阪南港から関西航路のフェリー。明石海峡大橋の夜景を見ながら、九州への帰路についた。
フェリーで九州へ、ただいま
明石海峡大橋、瀬戸大橋をくぐった船は、早朝に九州へ。一週間以上にわたって海と火山と島々を渡り歩いた旅も、これでおしまい。島から島へ、使えるだけの船とヘリを乗り継いだ年末年始の大冒険——ただいま、九州。