復旧途上の熊本城から、菊池をへて灯籠のまち山鹿へ
旅のはじまりは、真新しい SAKURA MACHI Kumamoto。売店でいきなり団子を売っていたあの頃のバスターミナルとは、もうすっかり様変わりしている。まずは熊本城へ。地震からとっくに復旧したものと思っていたら、天守こそ甦ったものの、まわりの石垣や櫓の修復はまだこれから——痛々しくも力強い、再生のただなかの城だった。開園を待つ列はほとんどが海の向こうからの客で、熊本の人気を肌で感じる。朝ラーは甘めのスープに少し面食らいつつ、藤崎八旛宮に手を合わせ、ショッキングピンクの電車で菊池方面へ。
御代志からバスを乗り継ぐと、まさかの中国——有朋の里・泗水孔子公園で您好(ニーハオ)。隈府に着けば、華麗なる菊池一族をまつる菊池神社。城跡からは城下町「わいふ」が一望できた。風の強い寒い日、次のバスで山鹿へ。道後温泉本館を思わせる湯屋・さくら湯、こんなところで一度は芝居を見てみたい八千代座と、灯籠のまちの風情をたっぷり味わう。夕食は揚げたてが次々に出てくる野菜天定食でおなかいっぱい。宿の温泉にぬくもり、電気を消すと竹の茶筒がぼんやり光って、ひと笑いして眠りについた。
八千代座と山鹿灯籠
八千代座は明治43年(1910)、山鹿の旦那衆が金を出し合って建てた芝居小屋。回り舞台や奈落、花道をそなえた本格的な造りで、天井には当時の広告絵がずらりと残る。いちど荒廃したが、市民の瓦一枚運動などで甦り、いまも歌舞伎や公演に使われる現役の劇場だ。山鹿はまた、金色の和紙でつくる山鹿灯籠でも知られる。夏の山鹿灯籠まつりでは、女性たちが金灯籠を頭にのせて舞う千人灯籠踊りが有名で、まちには灯籠師の技を伝える民芸館もある。
雪の豊前街道と南関、ふわふわのあげ丼
朝風呂はぬるめでとろとろ、泡付きのいいお湯。豊前街道・山鹿宿の町並みをそぞろ歩き、千代の園酒造の軒をのぞいてから、道後温泉をイメージして建てられたというさくら湯へもう一度ちゃぷん。玉名行きのバスに乗り遅れたおかげの、思わぬ長湯だった。
そうこうするうち、まさかの雪。九州は南国ちゃうんか——と毒づきながら南関へ下る。本州人には馴染みがないが、熊本は西南戦争ゆかりの地が多い。きれいに復元されすぎていない城あとや官軍墓地は、かえって遺跡らしい雰囲気があった。そして南関といえば名物・南関あげ丼。ふわふわむちむちの揚げを卵でとじた一杯は、家でもやりたくなるうまさ。しめはメニュー五百種をほこる店のパフェ。食後の運動に大津山阿蘇神社の石段をのぼり、大牟田をへて夕方の福岡へ帰り着いた。
南関あげと西南戦争
南関あげは、豆腐を薄く切って揚げ、水分をとばした熊本・南関町の特産品。ふつうの油揚げよりずっと軽く、常温で長く日持ちするのが特徴で、煮含めると出汁をたっぷり吸う。これを親子丼の鶏がわりに卵でとじたのが名物の南関あげ丼だ。いっぽう南関一帯は、明治10年(1877)の西南戦争で政府軍と薩軍が攻防をくり広げた土地でもある。豊前街道の宿場だった南関には御茶屋跡や城跡が残り、城ノ原には戦いで倒れた官軍兵士をまつる墓地が、いまも静かに並んでいる。