志賀島一周、海の中道をわたって筥崎宮へ
船がでるぞぉぉぉお!! 博多ふ頭から市営渡船『ゆうなみ』にとびのって、まずは金印の島・志賀島へ。おとなりの岸壁には、海の向こうへむかう大きなフェリー。ちょっと旅ごころをくすぐられつつ、二十分ほどで島に上陸、ここからは自転車の出番だ。
まずは金印公園へ。『漢委奴国王』の金印が見つかった島として名高いのに、実物大のレプリカはおどろくほど小さい——ガラスケースの中で宙に浮くように光る姿に、思わず拍子抜けする。あとは海沿いの一本道をぐるり。右手にずっと青い博多湾、冬とは思えない過ごしやすさで、裏側まであっという間だ。途中、名物の志賀島ドッグでひとやすみ。チーズをのせたソーセージはザクザク、キャベツの食感も楽しくてぺろりと平らげてしまう。
志賀海神社にお参りすると、拝殿のそばの鹿角庫には、奉納された鹿の角がびっしり。志賀島の『しか』は、やっぱり鹿なんやね。島を一周したら、砂州の一本道・海の中道をわたってアイランドシティへ。青果市場のベジフルスタジアムや、鏡のような入り江にうつるタワーマンションを横目に、名島をめざす。
名島では、海をまたぐ橋をのぞむ磯に古い石碑が立ち、石段の先に名島神社がしずまる。福岡城ができるまで、この辺りが福岡の中心だったという。最後は筑前一之宮の筥崎宮へ。『敵國降伏』の扁額をかかげる楼門に手をあわせれば、一之宮はこれで三社目。締めは行列の天ぷらひらおで揚げたてをはふはふ。帰り道、気位の高いキジトラに『撮影料よこせ』とばかりに無視されて、冬晴れの一日が暮れていった。
金印「漢委奴国王」
江戸時代の天明四年(1784年)、志賀島で農作業中にみつかったと伝わる金の印章。『漢委奴国王』の五文字が刻まれ、中国の歴史書『後漢書』が記す、後漢の光武帝が建武中元二年(57年)に倭の奴国の使者へ授けたという金印にあたると考えられている。一辺わずか2.3cmほどの小ささながら、日本と大陸の交流を物語る国宝だ。本物は福岡市博物館におさめられ、金印公園には実物大のレプリカと記念碑が、博多湾を見晴らす高台に置かれている。
筑前一之宮と志賀海神社
筥崎宮は、大分の宇佐神宮・京都の石清水八幡宮とならぶ日本三大八幡のひとつで、筑前国の一之宮。鎌倉時代の元寇の折、亀山上皇が納めたと伝わる『敵國降伏』の扁額で名高い。一方の志賀海神社は、海の神・綿津見三神をまつる『海神の総本社』。玄界灘を行き交う船の守り神で、拝殿のそばに奉納された鹿の角は一万本を超えるという。奈良の春日大社に鹿が神使であるように、古くからこの地と鹿の深い縁をしのばせる。