博多でせいもん払い、はかた号夜行バスで東京へ
旅のはじまりは博多。川端商店街には「せいもん払い」の幟がはためいていた。誓文払い——年の瀬の大売り出しである。安くてうまい博多ラーメンの「はかたや」で腹ごしらえをして、路地の石鳥居や聖福寺の参道、石蔵酒造の百年蔵をたどってそぞろ歩き。JR博多シティの駅前は、もう大きなツリーとクリスマスの灯りがともりはじめていた。
そして日が暮れて、西鉄の夜行バス「はかた号」に乗りこむ。日本一の長距離を走る夜行バスだ。あこがれのプレミアムシートには手が届かず普通席だけれど、膝掛けにテーブル、お茶のサービス、めぐりズムの蒸気アイマスクまでついてくる。浅い眠りと静岡のサービスエリアをはさんで、バスは東京へと走り続ける。
はかた号
西鉄(西日本鉄道)が走らせる、博多バスターミナル・天神と東京(バスタ新宿・東京駅)を結ぶ夜行高速バス。その運行距離はおよそ1100km・所要およそ14時間半で、日本の定期路線バスでは最長を誇る。座席はゆったりした「プレミアムシート」「ビジネスシート」などに分かれ、膝掛けや飲み物のサービスも。乗るだけでちょっとした旅気分になる、名物バスだ。
夜行バスで東京着、観光と寝袋生活の開始
朝、目がさめても、バスはまだ静岡。東京はまだ遠い。ようやく着いた中野の駅でSuicaのペンギンに迎えられ、とりあえず松屋で一杯かきこんで、旅の体にエンジンをかける。
この日のお目当ては、迎賓館赤坂離宮。明治の宮廷建築、白亜のネオ・バロックがどんとそびえる。白と金の正門から前庭をへて本館へ。館内は撮影禁止だけれど、金ピカでゴージャスな広間にただただ圧倒された。都内をあちこちめぐったあとは旧居へ。ここから数日、寝袋生活の仕事づけがはじまる。
迎賓館赤坂離宮
1909年(明治42年)、東宮御所として建てられた、日本で唯一の本格的ネオ・バロック様式の宮殿建築。設計は片山東熊。白亜の外観と、金と絵画で飾られた豪奢な内部で知られ、いまは国宝に指定され、国賓・公賓を迎える迎賓館として使われる。本館や庭園は一般公開もされているが、きらびやかな館内は撮影禁止——目に焼きつけるしかない。
酉の市見物(北野神社・花園神社)
東京滞在のある一日。モバイルバッテリーのトラブルをどうにか乗り越えて、酉の市へ繰り出す。はじめに訪ねた社の大酉祭は思ったよりこぢんまり、それでも参拝の列はなかなかの長さ。熊手屋の店先には、福をかき集める縁起熊手がぎっしり並んでいた。
本番は新宿・花園神社。人、人、人——提灯がびっしり連なって夜を照らし、熊手屋がずらりと軒を連ねる。縁起熊手が売れるたびに、威勢のいい三本締めの手拍子が響く。買って帰るには輸送が大変だから、今年は目に焼きつけるだけにしておいた。
酉の市
十一月の酉の日に、鷲(おおとり)神社や大鳥神社などで開かれる、開運・商売繁盛を願うお祭り。主役は、福や客をかき集めるという縁起物の「熊手」。熊手屋との値切りの駆け引きも名物で、商談がまとまると威勢よく手締め(三本締め)が入る。新宿・花園神社の酉の市は都内でも指折りのにぎわいで、ずらりと連なる提灯が夜を彩る。
東京を発ち甲府を巡って松本へ
東京最後の夜を経て、帰り道はまっすぐ帰らない。寄り道しながら、西へ。沿線はちょうど紅葉の盛りで、車窓がまぶしい。甲府の駅前には金ピカの武田信玄公がどんと腰を据え、まちの軒先には干し柿「ころ柿」のカーテンが揺れていた。
夜は、鳥もつ煮で知られるお蕎麦屋さんへ。甘辛い照りのとりもつに一杯やって、カレーうどん、しめは濃厚な鶏白湯の鶏そば。人のまばらな甲府のまちをぶらりとしたあと、夕方の電車で松本へ。山の町は空気がキンキンに冷えて、手袋がほしいほど。その夜は、訳あり部屋の宿にしけ込んだ。
ころ柿
「枯露柿(ころがき)」は、甲州特産の大きな渋柿「百目柿」を干してつくる高級干し柿。皮をむいた柿を軒先やハウスにずらりと吊るし、ころころと向きを変えながら天日で乾かすことから、その名がついたという。晩秋の甲府盆地では、オレンジ色の「柿のカーテン」が家々の軒に下がる。白く粉をふいた実は、上品な甘さの冬のごちそうだ。
松本城と木曽路を巡り博多へ帰宅
ふとんはフカフカ、松本の朝。遠くには雪をかぶった北アルプスの稜線。中町通りのなまこ壁の蔵やナワテ横丁をぶらりしてから、いよいよ松本城へ。黒い天守が、堀の水に姿をうつす。国宝の城はやっぱりすごい。
朝そばをたぐれば、山賊焼があまりにでかくて特急に乗り遅れ、奈良井行きのバスにもタッチの差で乗り逃す。それならばと、塩尻から木曽路へ。須原宿の水舟に手を浸し、定勝寺の紅葉に見とれ、大桑の宿場までのんびり歩く。中津川で栗きんとんを買い、根の上そばをすすって、名古屋から新幹線。広島でやっと席が空いて、朴葉のでかい駅弁で旅を締めくくった。博多、ただいま。
松本城
戦国期に築かれ、現存する五重六階の天守としては日本最古とされる国宝の城。黒い下見板張りの壁から「烏城(からすじょう)」とも呼ばれ、水をたたえた堀と、背後にそびえる北アルプスの白い山なみがよく似合う。平地に築かれた平城ながら、戦と泰平の時代をまたいで増築された複合連結式の天守が、独特の重厚な姿を見せる。