妖怪のまちから、銀の馬車道を北へ
東京からの始発新幹線を姫路でおりて、まずはホームの外で名物・御座候(回転焼き)をほおばる。相棒の折りたたみ自転車「クロちゃん」をくみ上げ、雨上がりの播但路へこぎ出した。最初にたずねたのは、民俗学者・柳田國男のふるさと福崎。駅前の水槽でホルマリン漬けにされた河童に、バス停にすわる山んばや妖怪たち——町じゅうで妖怪が待ちかまえる、ちょっと不思議な町だ。
北へ進むほど、道は「銀の馬車道」の記憶をおびてくる。いちばん面影を残すという粟賀の宿場町をひやかし、茶屋で穴子の天ぷらをさくふわとほおばって峠を越えれば、いよいよ生野銀山。ひんやりとした坑道にもぐり、往時の鉱山町に残る立派な洋館をながめて、今日の宿のある和田山へ。締めは焼きサバ定食で、ほっとひと息ついた。
銀の馬車道
生野銀山で採れた銀や鉱石を瀬戸内の飾磨港まで運ぶため、明治初期に築かれた日本初の高速産業道路。お雇い外国人技師の指導で路面を何層にも突き固めた全長約49kmの馬車専用道で、当時としては画期的な平坦さとなめらかさをほこった。やがて鉄道にその役目をゆずったが、沿線には宿場や鉱山町のおもかげが、いまも点々と残っている。
養蚕の里と、鉱山ロマンの谷
朝の和田山は霧のなか。竹田城跡は天空の城になっているだろうか、と思いながら峠を越えると、青空が透けてきた。大屋川のゆったりした流れ、斜面に広がる集落と畑——白い花が咲き、ウグイスが鳴く、のどかな但馬の春。大屋の大杉には、三階建ての養蚕民家がならぶ重要伝統的建造物群保存地区。かつてこの谷が蚕とともに生きた記憶が、そのまま町並みになっている。
大屋から峠をいくつも越えて、鉱山の谷・明延へ。鉱山の社宅や浴場がそのまま残り、谷には「1円電車」の記憶が点々と。下り坂では三椏(みつまた)の花が黄色くけぶり、たどりついた神子畑では、谷に横たわる巨大な選鉱場跡がスゲー迫力。保存された1円電車にもちゃっかり乗せてもらい、優美な羽渕鋳鉄橋を見て綾部へ。宿の近くの居酒屋で、たいのこや湯豆腐をつついた。
1円電車と鉱山の谷
明延(あけのべ)鉱山は錫(すず)などを産した近代鉱山で、採れた鉱石は谷づたいに神子畑(みこばた)選鉱場へ運ばれ、より分けられた。両者をむすぶ約6kmの専用鉄道は、従業員や家族を乗せる運賃がながく1円にすえ置かれたことから「1円電車」と親しまれた。山の斜面にそびえる神子畑選鉱場の巨大なコンクリート段床は、いまや東洋一とうたわれた規模を物語る産業遺産だ。
湧水の城下町から、軍港・舞鶴へ
綾部から舞鶴へ。西舞鶴は田辺城の城下町で、住宅地のまんなかを湧水の川がきれいに流れ、川には小魚イサザをとる罠が仕掛けられていた。レトロな銭湯「若の湯」やステンドグラス風の平野屋商店街をぶらつき、家からすぐ舟に乗れるという吉原の入江をのぞく。舟屋とはまた違う、水と暮らす町のかたちだ。
東舞鶴へまわれば、町の空気は一変して「軍港」。赤れんが倉庫群の先の湾には、海上自衛隊の護衛艦がどっしりと浮かぶ。クレインブリッジを渡り、半島の裏側へ峠を越えると、こんどは若狭湾の青い海。通行止めに泣かされつつ、鳥撮りのおばちゃんに車で助けられるという旅の縁もあって、日が暮れてから高浜の宿に入った。
ふたつの顔を持つ舞鶴
明治に海軍の鎮守府が置かれて以来の軍港町。湾ぞいには赤れんが倉庫群が残り、いまも海上自衛隊の基地があって護衛艦が浮かぶ。碁盤目状に整えられた軍港由来の東舞鶴と、田辺城の城下町として湧水と商家の面影を残す西舞鶴——もとは別々の市だったふたつの町が、ひとつの舞鶴をかたちづくっている。
若狭の海と湖、そして帰路へ
最終日は高浜から大飯をぶらぶら。原発のある町ながら、海沿いの街道筋には古い商家がならび、背後にはきれいな円錐形の青葉山——「若狭富士」がそびえる。若狭和田のビーチで潮風を浴び、青戸の大橋を相棒クロちゃんと渡って道の駅へ。油ののったのどぐろの柿の葉寿司を、ほおばった。
電車で三方へワープして、水月湖の「年縞」で知られる福井県年縞博物館へ。地味だけど、7万年分の縞模様が年表のように横たわる展示はなかなか面白い。共通券で縄文博物館ものぞき、鏡のような三方五湖の湖畔を走る。美浜では最後の最後で立ちごけして顔面着地、という締まらないオチつき。それでも旅の最後にそばをたぐり、米原まわりの新幹線で東京へ帰った。四日間、おつかれさま。
水月湖の年縞
年縞とは、湖の底に季節ごとのプランクトンや鉱物が一年に一層ずつ積もってできる、年輪のような縞模様。三方五湖のひとつ水月湖には、7万年分もの年縞が乱されずに残っており、炭素年代測定を補正する世界標準の「ものさし」として知られる。福井県年縞博物館では、その気の遠くなるほど長い縞を、実物の標本でずらりとたどることができる。