フェリーで愛媛上陸、道後から大洲へ
旅のはじまりは、瀬戸内をわたる夜のフェリー。未明に新居浜へ上陸し、かつて東洋一とうたわれた別子銅山の名残をあるく。日暮別邸の洋館や社宅のあとが、銅山でにぎわった町の記憶をいまに伝えていた。坂の上の城跡からは、雪をかぶった山なみと、朝のまちが見わたせる。
バスにゆられて松山へ。具だくさんのうどんで腹ごしらえして、賑わう道後温泉街へ。県庁所在地のまんなかに、これだけ大きな湯の町があるのはすごい。本館の湯けむりと、石段のうえの伊佐爾波神社をひやかして、特急であっという間に大洲入り。夜のしめは、愛媛ならではの鍋焼きラーメン——土鍋でぐつぐつ、具はシンプルでやさしい味だった。
別子銅山と新居浜
新居浜の町は、江戸期に住友が開坑した別子銅山とともに栄えた。山あいで採れた銅は近代日本の産業を支え、麓には社宅・学校・病院がならぶ企業城下町が広がった。1973年の閉山後も、日暮別邸記念館や東平(とうなる)の遺構など、「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる産業遺産が各所にのこる。
大晦日、みかん畑の山を越えて
大晦日は、大洲と八幡浜をのんびり。大洲神社から城下町をながめ、おはなはん通りの古い町家や、赤煉瓦館のレトロな建物をめぐる。八幡浜の市場では、愛媛らしくみかんが山と積まれていた。四国初の紡績工場で栄えたという保内へまわれば、愛媛蚕種の堂々とした建物など、明治の産業遺構がそこここにのこっている。
そろそろ山越えだ。菜の花がもう咲きはじめたみかん畑の急坂を、ひたすら登る。権現山のあたりまで来ると、八幡浜の町と海を見おろす眺めはまさに絶景。2022年、最後の夕日がゆっくりと海に沈んでいく。宿にもどって、八幡浜のじゃこ天にブリ、そしてエビ天をのせた年越しそば。紅白を横目に、静かに一年を送り出した。
八幡浜と保内の産業遺産
八幡浜のとなり、保内(ほない)は、明治期に四国で初めて紡績工場が建った町。生糸・紡績や海運、鉱山で栄え、いち早く電灯がともった「四国の文明開化」の地ともいわれる。愛媛蚕種をはじめとする洋風建築や土蔵が川沿いにのこり、往時の繁栄をしのばせる。みかんの段々畑が海までせまる風景は、南予ならではの眺めだ。
元旦、海の上の初日の出から南九州へ
2023年、元旦。まだ暗いうちに八幡浜港を発つ、宇和島運輸フェリーの甲板へ。星がちらつく空の下、海のむこうが少しずつ明るんでいく。そして7時すぎ——雲のあいだから、海からのぼる初日の出。船の上で拝む一年の最初の太陽は、格別だった。大分・臼杵に上陸したら、卯年にちなんで卯寅(うのとり)稲荷で初詣をすませる。
臼杵は、フンドーキンをはじめ醤油蔵の多い町。二王座の石畳や城下町の路地に、しょうゆ色の歴史が息づいていた。臼杵城跡では、正月で餌をもらえないのか、やけに腹をすかせた鳥たちがお出迎え。特急で延岡へわたり、今山八幡宮に初詣、千人殺しの石垣で名高い延岡城跡をめぐる。夜は田野で、ずらりと組まれた大根やぐらのライトアップ——「ゲーミング大根」とでも呼びたくなる光の帯に、おったまげた。
海の上の初日の出
南に突き出た岬でないと、初日の出は海からのぼらない——そんな議論のすえに選んだのが、八幡浜から大分へわたる元旦早朝のフェリーだった。豊後水道のまんなか、さえぎるもののない水平線からのぼる一年最初の太陽は、陸で拝むそれとはまた違う清々しさ。船は正月の静かな海を、九州へとわたっていく。
都井岬、草を食む野生の御崎馬
都城で初詣。神柱宮の参道には、正月の屋台がずらりとならんでいた。バスとローカル線を乗りついで志布志へ。日南線はいま一部が代行バスだ。志布志駅ちかくのマルチョンラーメンで、2023年の初ラーメン——平たい中太麺にあっさり豚骨、ほろりと崩れるチャーシューがうまい。切符を車内で売るJRの車掌さんが乗る代行バスで、串間へとむかう。
この旅いちばんのお目当て、都井岬へ。岬の草原には、国の天然記念物・御崎馬(みさきうま)が、野生のまま放し飼いにされている。親子でもふもふと草を食み、車が来てもまるで動じない。灯台のある岬のさきまで馬だらけだ。串間にもどってブリの昼ごはん、志布志をへて鹿屋へ。郷土のももタタキで、一日をしめくくった。
都井岬の御崎馬
宮崎県串間市の都井岬で、300年以上も野生のまま生きてきた日本在来馬。江戸時代に高鍋藩がひらいた牧場の馬が、管理をはなれて半野生化したもので、国の天然記念物に指定されている。岬の草原を自由にあるき、子を産み、群れで暮らす。ずんぐりとした体つきと、やさしい目が愛らしい。
桜島の対岸、黒酢の壺畑と妙見の湯
鹿屋からバスで垂水へ出て、錦江湾ごしに桜島とご対面。対岸の大隅側から見る桜島は、ほんとうに迫力がある。噴火でできた桜島口の陸続きをすぎ、灰よけの屋根をもつお墓や、火山と生きる暮らしを横目に湾ぞいを北上。牛根麓では、桜島の噴石にすっぽり埋もれた稲荷の鳥居が、火山のすさまじさを静かに物語っていた。
福山につくと、斜面いちめんに黒酢の壺。壺、壺、壺——ほんのり酢のにおいがただよう壺畑は壮観で、江戸時代から変わらぬ製法でお酢が仕込まれている。黒酢の試飲をいただき、石垣のつづく古い町をぬけて、大隅國二之宮・蛭児神社へ。夜は妙見温泉の秀水湯へ。自炊設備つきのレトロな湯宿で、ぬるめの鉄の湯にどっぷり浸かり、ご汁(味噌汁)を自分でこしらえた。
福山の黒酢
霧島市福山町は、江戸後期からつづく壺づくり黒酢の里。黒麹と蒸し米・米こうじを陶器の壺に仕込み、屋外にずらりとならべて一年以上、太陽の熱だけで発酵・熟成させる。温暖で日当たりがよく、強い風を山がさえぎる福山の地形が、この独特の「屋外壺畑」を可能にした。斜面を埋めつくす壺の列は、航空写真にもはっきり写るほどの壮観だ。
霧島神宮で大吉、湯けむりの道をゆく
最終日。妙見の川からもうもうと湯気がのぼる朝、隼人・国分をへてバスで霧島神宮へ。思っていたより観光地観光地していて、三が日すぎでもなかなかの賑わい。参拝して引いたおみくじは、なんと大吉! まぶしい朱の大鳥居をくぐり、天狗のようで天狗でない「九面(くめん)」のお面を横目に、山をのぼっていく。
霧島温泉郷へのぼると、硫黄谷の噴気地帯がもうもうと白い湯気をあげ、川までが白くにごっている。霧島最古の岩風呂をのぞき、黒豚のランチで温まって、青白く濁る硫黄泉でさっぱり。古い木造の嘉例川駅では、名物の駅猫「さんちゃん」がのんびり出迎えてくれた。茶畑ごしに飛行機を待ち、鹿児島空港の鶏飯で腹を満たして、夜の便で成田へ。年をまたいだ六日間の旅が、静かに幕を閉じた。
霧島神宮と九面
天孫降臨の神話にちなむ霧島神宮は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をまつる古社。たびかさなる霧島山の噴火で焼失と再建をくり返し、いまの朱塗りの社殿は1715年に島津氏が造営したもの。境内で見かける天狗のようなお面は「九面(くめん)」と呼ばれ、九つの異なる表情で祭神を守るとされる。南九州らしい、火の山とともにある信仰のかたちだ。