夜行バスで気仙沼へ 唐桑半島と三陸海岸南下
未明の夜行バスが着いたのは、まだ薄暗い気仙沼。朝焼けには少し遅れたけれど、港の魚市場はもう動き出していた。冷凍のカツオが氷をまといながら次々と流れ、鮭の季節の到来を告げる。誰が指揮するでもなく、大勢がてんでに動いているのに全体はちゃんと機能している——その不思議な活気に見入っていたら、すっかり朝食の時間を逃してしまった。
バスで唐桑半島の先っちょへ。御崎神社の鳥居をくぐり、恵比寿・大黒のほほえむ祠に手を合わせる。鯨を神の使いとしてまつる鯨塚、岬の沖をゆく夜行フェリー、そして荒波に屹立する巨釜の折石——明治の大津波で先が折れたと伝わる岩が、いまも海に向かって立っていた。早馬山にのぼって霞む湾を見おろしたら、BRTに乗りかえて三陸海岸をひた南下。マンボウの看板がむかえる大谷海岸で刺身と地ビールのお昼をとり、日暮れとともに石巻を越えて矢本の宿へたどり着いた。
巨釜と折石(おれいし)
唐桑半島の東岸、巨釜(おおがま)・半造(はんぞう)は、荒波が大理石の岩肌を削ってつくった景勝地。なかでも海から突き出す石柱「折石」は高さ約16m・幅3mほどで、1896年(明治29年)の明治三陸大津波で先端の2mほどが折れたことから、その名がついたと伝わる。渦巻く潮が釜の湯の煮え立つさまに見えることが「巨釜」の由来だという。訪れたこの日は、唐桑一の名所とは思えないほど人影がなく、三陸の海と岩を独り占めできた。
石巻から牡鹿半島鮎川へ 捕鯨の町めぐりと帰路
朝ごパンに栗のクリームサンドをかじって、石巻から船に乗る。宇宙船めいた石ノ森萬画館を横目に出港すると、ウミネコがえびせん目当てに船を追ってくる。猫で名高い田代島は霧にけむり、島好きの客がぞろぞろ降りていく——こちらは降りずに眺めるだけ。網地島の港々をかすめて、たどり着いた牡鹿半島の鮎川港には、波と鯨をかたどった青いゲートが「ようこそ」と出迎えてくれた。
御番所公園の高みにのぼれば、霊場・金華山が晴れた海の向こうにくっきり。鮎川は古くからの捕鯨基地だ。直売所にひるがえる「鯨」の幟、甲板に捕鯨砲をすえた第十六利丸、おしかホエールランドに展示される鯨たち——そしてお目当ての鯨のタツタは、いままで食べたなかで一番と思うほど、肉がやわらかくて旨かった。マッコウクジラの歯のおみやげを500円で手に入れて、ほくほく。
牡鹿(おしか)の名にちなんだ白い鹿のオブジェの先には、牡蠣の養殖いかだが浮かぶ。垂下式養殖を世に広めた「世界の牡蠣王」宮城新昌をたたえる顕彰碑に、沖縄出身の人が宮城で顕彰される縁の不思議を思う。渡波で乗りかえ、暮れゆく石巻へ。自分でこじ開ける牡蠣に苦戦しつつ、金華サバのしめ鯖と笹かまで一杯——仙台から新幹線に飛び乗って、三陸の二日間を締めくくった。
鮎川と捕鯨
牡鹿(おしか)半島の先端・鮎川は、金華山沖の好漁場をひかえ、近代捕鯨の基地として栄えた町。最盛期には大型のクジラを追う船や、沖で解体する光景が日常だったという。いまも地元の鮎川捕鯨などが小型沿岸捕鯨をつづけ、町には鯨料理の店や直売所、捕鯨船・第十六利丸を展示する「おしかホエールランド」が並ぶ。2011年の津波で大きな被害を受けたが、鯨とともに生きてきた記憶は、港のゲートや資料館に受け継がれている。