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ほんにょに会いに ― 宮城・栗原、実りと廃線をゆく
KURIHARA, MIYAGI · 2022 みのりの秋

ほんにょに会いに ― 宮城・栗原、実りと廃線をゆく

稲架(ほんにょ)の立つ田んぼと、くりでんの記憶へ。

2022.10.1 ▶ 10.2

Days2日間
Dist約460km
Area宮城・岩手
Top最高 168m

十月のはじめ、東北新幹線にゆられて宮城の北のはずれ、栗原へ。目当ては「ほんにょ」――刈り取った稲束を木や竹に掛けて天日で干す、稲架(はさ)掛けの栗原ことばだ。栗駒山のふもとに広がる田んぼには、金色の稲束を積みあげたほんにょがぽつりぽつりと立ち、わけても栗原では、束をらせん状に巻きつけた「ねじりほんにょ」が名物らしい。

ほんにょを探して田んぼ道をうろつきながら、銀とともに栄えた細倉鉱山のマインパークにもぐり、廃線になった栗原電鉄――通称くりでん――の駅跡をひと駅ずつ辿る。畦には曼珠沙華が赤く燃え、空には伊豆沼へ向かう鳥の隊列。二日目は岩ケ崎の古い商店街から若柳のくりでんミュージアム、鬼死骸という物騒な名の停留所を抜けて岩手・一ノ関へ。実りと廃線の気配が同居する、のんびり濃密な二日間。

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DAY 1 · 10.01

東京から仙台経由で栗原へ 細倉マインパークとほんにょ巡り

仙台はめっちゃ曇り、くりこま高原駅に降りれば濃霧でまっしろ。栗駒山ゆきのバス待ちを横目に、とりあえず細倉を目指して歩きだす。看板を眺めていたら、通りすがりのおっちゃんが「出土品が学校にあるよ」と教えてくれた――行ってみたらとうに廃校だったけれど、こういう土地の人の気さくさがうれしい。

そして田んぼに、ほんにょキタ━━!! ……でも、ねじれてない。栗原名物のねじりほんにょを探して畦道をうろつくうち、霧が晴れて日が差してきた。白いロールにくるまれた牧草、伊豆沼へ向かう鳥が隊列をくんで飛んでいく。銀山として栄えた細倉では、坑道をそのまま使った細倉マインパークへ。地中にもぐると思ったより長くて立体的、ひんやりして腹が冷える。昼は辛めのカラチョンラーメンでぽかぽかに。

一迫(いちはさま)まで足をのばすと、黒壁の造り酒屋・金龍蔵、畦に咲く曼珠沙華(ほんにょに擬えて「リコリス・ホンニョ」)。夕暮れのほんにょを拝んで築館(つきだて)に入れば、商店のシャッターにはほんにょのゆるキャラ。宿に荷を置いて、スーパーで買いこんだマンボ巻やしそ巻で晩酌――筋子ときゅうりのマンボ巻がめちゃくちゃ美味い。

移動 約406.3km / 獲得標高 129m

ほんにょ/ねじりほんにょ

「ほんにょ」は、刈った稲束を掛けて天日で乾かす稲架(はさ)掛けを指す、宮城・栗原あたりのことば。機械乾燥がふつうになったいまも、天日干しの米はうまいと手間をかける田んぼが残る。なかでも栗原では、一本の支柱に稲束をらせん状に巻きつけて積みあげる「ねじりほんにょ」が独特で、太ったわらの塔のような姿になる。地元ではゆるキャラのモチーフにもなっているが、田んぼは生活の場。「オラチの田んぼに何か用ですか」と声をかけられて、そりゃそうだと背筋を正す。

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DAY 2 · 10.02

栗原電鉄跡を辿り岩ケ崎から一ノ関へ

築館は河岸段丘の上。朝霧がちょっと棚引いたけれど、雲海になる前にすっと消えた。一等地に建つ大きなお屋敷の廃墟――米どころの「餅御殿」だろうか――を横目に、今日の初ほんにょをようやく見つける。背後には栗駒山。ゆるキャラにするくらいだから観光資源かと思いきや、田んぼはあくまで生活の場だ。

岩ケ崎の商店街には、不動産屋兼アイスクリーム屋という謎の一軒に、杉玉のさがる古い酒舗。栗駒駅跡の駄菓子屋にはボンネットバスが停まっていた。昼は天ぷらを中華そばに乗せた「栗原天中」であっさり昔ながらの味。館山公園(鶴丸城跡)から町を見おろしてから、いよいよ廃線跡にそって若柳を目指す。

金成(かんなり)のハリストス正教会、黄金のロールにもふもふしつつ、若柳のくりでんミュージアムへ。こじんまりしているが、栗原電鉄の歴史が分かりやすくまとまっていてええな。石越、有壁宿と辿り、「鬼死骸(おにしがい)」という物騒な名の停留所を抜けて岩手・一ノ関へ。ゴォォォル! 締めは居酒屋でいわい鶏とバクライ、お疲れさまの一杯。混んだ新幹線に揺られて東京へ帰った。

移動 約54.2km / 獲得標高 265m

くりでん(栗原電鉄)と鬼死骸

栗原電鉄――通称くりでんは、石越から細倉鉱山をむすんだローカル私鉄。鉱山の鉱石と沿線の人々を運んだが、鉱山の閉山とモータリゼーションで2007年に全線廃止となった。終点の若柳駅跡は「くりでんミュージアム」として整備され、気動車や往時の資料が保存されている。道中の「鬼死骸(おにしがい)」は一ノ関市内に実在する地名で、坂上田村麻呂に討たれた蝦夷の首領の亡骸を埋めたという伝説にちなむとも。いまはバス停の名として、ひっそり残っている。