新潟入りし阿賀野川沿いを経て咲花温泉泊
いい天気、でも少しアチー。日本海へ余った水を逃がす関屋分水は、ちょうど通水五十周年だという。久々に寄った関分記念公園の高みから河口を見渡し、妙にリアルな生きものの像に見入ってから、川沿いの旅がはじまる。大きくてやわらかい、海苔の崩れる朝ごはんのおにぎりは、実家のそれみたいな味わい。
小阿賀野川をたどって阿賀野川へ。信濃川とこの川にしかないという細長い川舟・江連舫(えづらぶね)を横目に、光明院の三柱鳥居をのぞく。橋の少ない大河をようやく渡れば、川の上はいい風。真新しい道の駅あがので安田ヨーグルトのおやつをとり、ヨーグルトだけでなく瓦の里でもある安田へ——いぶし銀にひかる安田瓦と、にらみをきかせる大きな鬼瓦。
買い物をすませて、咲花温泉の宿へ。廊下までプンプンと硫黄のかおりが満ちる、緑に濁ったあつ湯がうれしい。宿にも藁人形の正鬼様がまつられていた。土地ごとの信仰と習合した、守り神だ。地酒と笹団子、半額のロザリオビアンコを肴に、濃密な一日目をそっと閉じる。
正鬼様(しょうきさま)とは
阿賀野川の上流域、かつての会津藩領にあたる村々でまつられる、藁で編んだ守り神。中国から伝わった魔除けの神「鍾馗(しょうき)」が、この土地の道祖神・塞の神(さいのかみ)の信仰と習合したもので、村の入口に据えられ、疫病や災いを外から入れない役目を負う。生命力の象徴を大ぶりに備えた姿が特徴で、集落によって顔つきも装いもさまざま。毎年わらを新しく編みかえて代替わりし、古い一体が社の裏にそっと控えていることもある。
磐越西線で津川・鹿瀬の正鬼様めぐりと新潟ラーメン
朝風呂をあびて、阿賀野川ぞいの朝ごはん。焼き魚に南蛮味噌、茄子とオクラの油炒めが丼いけるほど美味い。新潟平野では見かけなくなった稲架(はさ)が、このあたりまで来るとぽつぽつ現れる。道の駅阿賀の里にも正鬼様。東下条の無人駅から、二両きりの磐越西線の汽車に乗りこんで、神さまめぐりの本番だ。
津川でおりて、武須沢入の正鬼様へ。日出谷まで足をのばし、静かな集落の商店をのぞきながら、平瀬の鎧武者風の一体、夏渡戸のお堂をたずねる。顔はすっかりおじさんでも、藁をまとった神さまはどこか愛嬌がある。熊渡の正鬼神社では、先代が社の裏にそっと控えていた。黄金色の立派な稲架にも出会えた。
鹿瀬は昭和電工の企業城下町。新潟水俣病が起きるまで、たいそう栄えたという。いまも工場はのこり、その敷地にあった稲荷と、川とともに生きた土地の慰霊の碑に手をあわせる。津川へ戻って、雁木の町なみと麒麟山、狐の嫁入り、金鉢清水の湧き水。会津藩領らしい風情を味わって新潟へ出て、〆は三吉屋のもやしそば。細麺にあっさりスープ、もやしのシャシャキ具合が絶妙で(゚д゚)ウマー。上越新幹線で東京へ帰った。
磐越の国境と鹿瀬
津川から会津へと抜ける磐越の国境エリアは、わずかな集落が点々とつづく山あいの地。鹿瀬は大正期に水力発電とカーバイド工場で開けた昭和電工の企業城下町で、最盛期には大いににぎわった。だが工場排水を原因とする新潟水俣病(第二水俣病)が公式確認され、川と人の暮らしは大きく傷ついた。いまも別会社として工場は操業し、その敷地にまつられた稲荷と、やすらぎの碑が、阿賀野川とともに生きてきた土地の記憶を静かに伝えている。