下総・椿海干拓地の史跡めぐりから佐原泊
始発に乗っては途中下車を繰り返し、ようやく干潟(ひがた)駅に降り立つ。午後から晴れるというが、いまは肌寒い曇り空。まずは海軍基地の跡が工業団地に変わった一角をのぞき、草むらに残る戦時中の防空壕——仲間うちで通称にしてふざけて呼ぶ——を次々と見つけてまわる。小さいのに奥行きがあって、ひんやりとした闇が口を開けていた。
鎌数伊勢大神宮に手を合わせ、落花生の碑に『さすが千葉』とにやりとする。椿海を干すために掘られた新川は、思ったよりずっと広い。水を落とした地にまつられた椿ノ海水神社をたずね、展望台にのぼると、見わたすかぎりの田が広がっていた——この平らがまるごと、かつては湖だったのだ。手の病に霊験あらたかという手接神社、屏風のような下総台地を一望する萬歳自然公園、『大クス』と名乗りつつ正体はタブノキという府馬の大クス。クソ坂に息を切らしながら史跡を拾っていく。
ふぅ、やっと佐原。足は平気でも、久しぶりの輪行で腕にくる。小江戸と呼ばれる町並みに灯がともりはじめた。おちつかれモードなので夕食はスーパーで調達——佐原なのに地酒がないのは解せぬが、生マグロがめちゃうまい。粒の残った味噌ピーをつまみに、水郷の町の夜がふけていく。
消えた椿海と干拓
下総の椿海は、周囲数十kmとも伝わる大きな潟湖だった。江戸時代前期、水を落とすための排水路『新川』が掘られて干拓され、広大な新田へと姿を変えた。『干潟(ひがた)』という地名は、その名残だ。椿ノ海水神社は、水を落とした地に水の神をまつった社。乾いた土地はやがて畑となり、千葉の名産・落花生(味噌ピー)を実らせた。消えた湖の輪郭を、いまは田んぼと神社と地名がなぞっている。
利根川を渡り茨城の神社めぐりから帰宅
二度目の朝も、めちゃくちゃ曇っている(´・ω・`)。あさごはんをかきこみ、『諦めたらそこで休日終了』と自分を励まして出発。利根川を渡れば、そこは茨城(いばらぎ!)。河川敷の土手道は草ボーボーで蜘蛛の巣だらけ、バッタが乱れ飛ぶ荒れっぷりだが、鳥居ごしに広がる黄金の稲田が、秋の深まりを教えてくれる。
お昼はラーメンショップ椿のネギラーメン。椿うまい、ネギうまい、椿——きょうもまた『椿』に出会った。利根のほとりには、関東最古ともいう水神・蛟蝄(こうもう)神社。水を司る龍蛇の神が、水害の多いこの低地をずっと見守ってきた。栄橋をわたって千葉へ帰還し、布佐駅、千葉ニュータウンと走って北総線で輪行。消えた湖と水神をたどる二日間を、静かに閉じた。
関東最古の水神・蛟蝄神社
『蛟蝄(こうもう)』は、水を司る龍蛇の神を表す字。利根川のほとり・茨城県利根町にまつられる古社で、関東最古の水神ともいわれる。たびたび氾濫する低湿地にあって、治水と農耕の守り神として崇められてきた。椿海の水神から利根の蛟蝄まで——この旅はそのまま、水とともに生きてきた土地の信仰をたどる道でもあった。