東京経由で大洗港へ、さんふらわあ深夜便で出発
旅のはじまりは夜の大洗港。列車を乗り継いで海辺の町にたどり着き、きょうの寝床へ——それは商船三井さんふらわあの苫小牧ゆき深夜便。出港まで二時間もあるのに、もう乗り込めてしまうのがうれしい。
酒の自販機が十一時で止まるというので、深夜のおやつと一杯だけ引っかけて、未明の出港を待たずに毛布にくるまる。「船が出るぞぉぉぉお!」——定刻より早く、ゆっくりと岸を離れていく気配だけ感じながら、北へ向かう十日間がはじまった。
さんふらわあ深夜便
大洗(茨城)と苫小牧(北海道)を結ぶ商船三井フェリー。夕方便と深夜便があり、深夜便は料金が安く、乗ったまま眠っているうちに本州を離れられるのが旅人にはありがたい。車のない身でも、折りたたみ自転車や輪行袋とともに気軽に乗り込める。北海道へ渡る手段として、飛行機でも新幹線でもなく“船”を選ぶ——それだけで旅がはじまった気がする。
フェリーで津軽海峡を越え苫小牧上陸、千歳へ
目がさめれば金華山沖。終日ひたすら海の上で、朝ラーをすすり、秋めいた雲を眺め、八戸沖で電波が切れ、やがて津軽海峡の脇へ出る。「ヒマなのが船旅のいいところ」——退屈すら贅沢に思える、まる一日の船旅だ。
日が沈むころ、ついに“試される大地”へ上陸。苫小牧の繁華街で見つけた居酒屋に飛び込んで、ホッキ貝の刺身で乾杯する。厚切りのたくわん、根つきのにんにく——北の海の幸にやられながら、普通列車で千歳へ。赤い布団の部屋で、長い一日を閉じた。
留萌でにしんそば、日本海沿いを北上し羽幌へ
霧ふかい千歳の朝。三分遅れの始発に乗り、札幌でライラックに乗り換えて、深川を経て留萌へ。朝ドラ『すずらん』の舞台・恵比島の古い駅舎を横目に、めざすは一杯のにしんそば。甘辛く炊いた身みがのった蕎麦をすすれば、思わず「うめぇ!!」
ここからはバス旅。留萌神社に手を合わせ、小平の鰊番屋をのぞく。ニシン漁で栄えた番屋はがらんどうで、百人以上が寝起きしたという広さに圧倒される。昼は海辺の宿でにしんづくし——刺身に丸ごと一匹の煮付け。日本海に沈む夕日を全裸待機で待ちかまえ、羽幌の夜はしずかに暮れた。
ニシンの浜と鰊番屋
かつて日本海沿岸は、春に押し寄せるニシンの大群「群来(くき)」で沸いた。浜には漁の拠点となる「鰊番屋」が建ち並び、親方の家族と大勢のヤン衆(出稼ぎ漁夫)が寝起きした。小平町の旧花田家番屋は国の重要文化財で、百人以上を収容したという道内最大級の番屋。ニシンは身欠きにしんや数の子、肥料の〆粕として本州へ運ばれ巨万の富を生んだが、昭和の中ごろ、群来はぱたりと途絶えた。にしんそばは、その保存食が生んだ名物だ。
天売島を一周し、滝川まで南下
羽幌から小さなフェリーで、海鳥の島・天売島へ。うねりに揺られて焼尻を経由し、だれもいない港に降り立つ。レンタサイクルの「ママちゃん」で、時計回りの一周へ。海鳥の島のはずが見かけるのはカラスばかり——それでも断崖絶壁の先には青い海と、三角の雲(たぶん利尻)が浮かぶ。
焼尻へ渡る高速船は、きょうもまた欠航。うにを食べそびれ、かわりに天売産のメジマグロ丼を頬張れば、むっちりとろりで「なかなか美味い」。天売灯台に見送られて島をあとにし、羽幌から留萌、滝川へと南下する。駅という駅に蛾が大量発生していて、思わぬ夜のおまけだった。
根室本線と代行バスで新得・占冠から平取へ
滝川から根室本線へ。芦別でのバカ停、東鹿越から先は線路が草に埋もれ、代行バスに揺られる。狩勝峠はまっしろ、十勝は雨。廃線のにおいをかぎながら、新得、占冠と乗り継いでいく。蕎麦を食べそこねた新得のうらみを、夕張メロンのおやつで埋め合わせた。
占冠から飛地の日高町へ。雨やどりに日高山脈博物館で岩石とにらめっこして、たどり着いた平取の宿は、クーラーもトイレもバスもないのに八千円超——「北海道の物価狂ってんな」。それでも雨が上がって、空はマジックアワー。腹ごなしの散歩のあと、平取産黒豚のトンカツで一日をしめた。
草に埋もれた根室本線
富良野から新得へ抜ける根室本線は、2016年の台風で東鹿越〜新得が不通となり、以後ずっと代行バスが走っていた。狩勝峠を越えるこの区間は、かつて日本三大車窓にも数えられた名路線。旅の時点ですでに線路は草に埋もれ、鉄道のない未来を静かに告げていた——実際、富良野〜新得は2024年に正式に廃止された。北海道のローカル線をめぐる旅は、消えゆく鉄路の記録でもある。
二風谷でアイヌ文化を巡り浦河へ
平取から二風谷まで、朝の道をてくてく。義経が北へ渡ってアイヌの王になった——そんな伝説の残る義経神社に参り、二風谷ダムを見上げ、アイヌ文化のまちへ。萱野茂二風谷アイヌ資料館には、暮らしの道具がびっしり。食の話がことに面白く、「一冊アイヌ本を読みたくなった」。
川沿いにはチセ(茅葺きの家)が建ち並ぶ二風谷コタン。庭先に大きな庭石が転がるのは、このあたりが銘石の産地だから。昼は行者にんにく入りの「きとびろラーメン」で、なかなかレベルの高い味噌の一杯。午後は旧日高本線に沿ってバスを南へ。サラブレッド銀座を抜け、浦河の夜はタレの薄い「かつめし」で、不思議とごはんがすすんだ。
二風谷とアイヌ文化
二風谷(にぶたに)は、沙流川沿いにアイヌの人々が多く暮らすコタン(集落)。アイヌ語研究者で、アイヌ初の国会議員となった萱野茂が生涯かけて集めた民具が、資料館にずらりと並ぶ。チセと呼ばれる茅葺きの家、木彫や樹皮の衣、イオマンテ(熊送り)の道具——明治以降の同化政策で薄れていった文化を、いまに伝える場所だ。地名の「びらとり(平取)」も、アイヌ語のピラウトル(崖の間の所)に由来するという。
様似・襟裳岬から忠類温泉を経て帯広へ
ありがとう、日高線——廃線になった線路を横目に、様似へ。「やっぱり様似は最高だな」。海の見える丘から眺めたあと、バスは襟裳岬へ向かう。風と波がすさまじく、岩礁の間を抜けた波が白くたなびく。アザラシは見つからなかったけれど、二度目でもやっぱりすごい景色だ。
襟裳といえば昆布。見わたすかぎりの昆布干場が、浜いっぱいに広がる。岬の食事処で、えりも産サメの刺身を——身はとろとろで脂がのって美味い。帰りは黄金道路のあたりで薄く霧。広尾から忠類で途中下車し、ぬるりといい湯の温泉でさっぱり。ナウマン象に見送られ、中札内のザンタレ定食で腹を満たして帯広へ。
風と昆布の襟裳岬
襟裳岬は、日高山脈が海へ沈みこむ北海道南端の岬。強い風で知られ、岬の先には岩礁が点々と連なって、波が砕けては白く尾を引く。一帯は良質な日高昆布の産地で、夏は浜一面に昆布を干す風景が広がる。沖はゼニガタアザラシの生息地でもあるが、岩にまぎれてなかなか見つからない。森進一の『襟裳岬』で“何もない”と歌われたが、実際は風と波と昆布の、豊かな岬だ。
夕張の石炭博物館を見て洞爺湖温泉へ
帯広の朝は、名物の豚丼から。甘辛いタレのかかった炭火焼が、朝からビールを呼ぶ味だ。天気が悪いので、新夕張経由で夕張へ。石炭博物館まで来たのは自分を入れて四人——廃墟感に負けて引き返す人が多いのか、まちはすっかり寂れている。
それでも坑内風のトンネルや人形展示を見て、昔ながらの炭鉱のまちに思いをはせる。昼は駅前の屋台村で、なぜか名物らしいカレーそばを一瞬で出してもらう。由仁から東室蘭を経て、たどり着いたのは洞爺湖温泉。宿に入るころ、湖の上に花火が上がりはじめた。毎晩上がるという夏の花火に、長い一日が報われる。
石炭のまち・夕張
夕張は、かつて石炭で沸いた炭鉱のまち。最盛期には十万を超える人が暮らしたが、エネルギー転換で炭鉱は次々と閉山し、2007年には財政破綻した。人口は一万を割り、市街地には空き家と閉じた店が目立つ。夕張市石炭博物館は、その歴史を坑道の雰囲気そのままに伝える。甘い夕張メロンだけでない、石炭に沸いて静かに傾いていったまちの記憶が、ここにある。
北湯沢温泉と倶知安を巡り苫小牧からフェリー
洞爺湖の朝。壮瞥側へ回ると、振り返った先に昭和新山がぬっと現れてびっくり。北湯沢温泉で途中下車し、廃線になった胆振線の跡の遊歩道をぶらつく。大きなリゾートホテルのそばには、北海道には珍しい三峯神社——開拓者が埼玉から来た名残だそうで、八月下旬だというのにあじさいがまだ咲いていた。
羊蹄山を車窓に、倶知安で北海道最後の昼餐。梅たま玉をくずして食べる梅塩ラーメンが、酸味ほどよく美味い。小樽を経て、南千歳からバスで苫小牧東港へ。輪行の仲間もちらほら。「船が出るぞぉぉぉお!」——新日本海フェリーに乗り込んで、北の大地にしばしの別れを告げた。
秋田に上陸、秋田城と横手を巡り帰宅
船がつくぞぉぉぉお!——目がさめれば、北海道ではなく秋田。新日本海フェリーは、まさかの秋田上陸だった。クルーズ船のときだけ開くという秋田港駅を横目に、まずは秋田城跡へ。古代、北方支配の拠点だった城で、地酒「高清水」の由来だという霊泉にも立ち寄る。
珍しい八橋油田を見物し、秋田駅から南へバス。十文字では、あっさりスープに細くコシのある中華そばを一杯——「シンプルイズベストな美味さや」。藁で編んだ巨大な鹿島様が村を守る姿を見て、新庄から山形新幹線つばさに乗り継ぐ。十日間の船と鈍行の旅、最後はおみやげを抱えて「ただまん」と帰宅した。
村を守る鹿島様
鹿島様(かしまさま)は、秋田県南部に伝わる藁人形の道祖神。集落の入口に高さ数メートルの巨大な武者人形を立て、疫病や災厄が村に入り込むのを防ぐ。横手市周辺に多く残り、毎年あるいは数年ごとに藁から作り替えられる。刀を提げ、目を見開いて村境を見張る姿は、素朴でいて迫力たっぷり。旅の最後に出会った、北の村の守り神だ。