茂原から外房海岸を南下し御宿泊
旅のはじまりは茂原駅。降り立つなり、今年の蝉はやけにデカいなと笑う。駅前ロータリーの七夕飾りに見送られて、まずは上総一宮・玉前神社へ。前に来たときは工事中だった社殿も、今日はすっきり青空の下。砂利を裸足で歩く名物「はだしの道」をまわってから、九十九里の海へ出れば、ちょうど一宮の浜で「はまぐり祭り」。焼きはまぐりは売り切れで、生のを買って自分で焼けという豪快さがいい。
九十九里の展望台は、どこもかしこも草木が伸びて中途半端な眺め(´・ω・`)。それでも太東崎まで来ると、崩れてドームみたいになった沖の岩が青い海に浮かび、暴走(房総)の海は最高だ。高台に白く立つ太東埼灯台を見上げ、お昼はそば屋の「波の伊八めし」でいわしの天ぷらとしらす丼——うなぎにすればよかったかな、なんて言いながら海岸線をさらに南下していく。
大原の八幡さまの石段から瓦屋根の町を見下ろし、釣師海岸の「七十五柱の神々の漂着地」という伝説に胸を躍らせる。この岩和田の沖は、四百年前にメキシコへ向かうスペイン船の難破を村人が救った、三国交通発祥の地。そして御宿海岸には、童謡「月の沙漠」の、らくだに乗る王子と姫の像が立っていた。田舎のばぁちゃん家のような民宿でマグロに舌鼓を打ち、夜のビーチへ出れば、昼間の喧騒が嘘のよう。天の川と夏の大三角が、頭の上に広がっていた。
月の沙漠のまち、御宿
「月の沙漠をはるばると、旅のらくだがゆきました」——加藤まさをが大正十二年に発表した童謡「月の沙漠」は、この御宿海岸の砂丘がモチーフだと伝わる。遠浅のやわらかな砂浜は、たしかにどこか沙漠めいて見える。海を見下ろす丘には、らくだに乗った王子と姫のブロンズ像が静かに並び、まちのシンボルになっている。
メキシコと御宿
慶長十四年(一六〇九)、スペイン領フィリピンの前総督ドン・ロドリゴを乗せたガレオン船サン・フランシスコ号が、御宿・岩和田の沖で座礁した。海女をはじめとする村人たちは、漂着した乗組員三百余名を素肌で温めて救ったという。これが日本・スペイン・メキシコ三国交通の発祥とされ、のちにメキシコ大統領も御宿を訪れた。海を見晴らす丘には、三国交通発祥の記念塔が立っている。
御宿から勝浦めぐりで帰宅
二日目は御宿から電車で勝浦へ。朝ごはんはもちろん勝浦朝市だ。四百年以上つづく日本三大朝市のひとつで、売っているのは野菜や干物が中心。朝からやっている店に並んで、握りたてのおにぎりと焼き魚で腹ごしらえ。駅から海沿いの道は、涼しい風が吹きぬけてジョギングの人も多い。
八幡岬公園では、徳川家康の側室・於萬の方の像が、しずかに海を見つめていた。勝浦灯台、官軍塚と岬をめぐり、市街へ戻って勝浦タンタンメン——醤油ベースに真っ赤なラー油、玉ねぎのきいた旨辛の一杯で(゚д゚)ウマー。もとは海女や漁師が冷えた体を温めた、このまちのソウルフードだ。
午後はリアス式の景勝地・鵜原理想郷キタ━━!! 外房の荒波が削った奇岩を眺め、つるんつるんのお湯でさっぱり。順番待ちのあいだ看板猫といっしょに涼んだら、いすみ鉄道と小湊鉄道を乗り継いで帰路へ。上総中野ではキハ40に揺られ、駅裏で天然ガスの井戸という素敵スポットも発見。千葉駅を経て、万葉軒の駅弁で外房の夏を締めくくった。
勝浦朝市
輪島・高山とならぶ日本三大朝市のひとつ。天正十九年(一五九一)に始まったと伝わり、四百年以上の歴史をもつ。毎月一日〜十五日は下本町、十六日〜月末は仲本町と、通りを変えて朝六時半ごろから十一時ごろまで開く。並ぶのは地元の野菜や干物が中心で、売り手のおばちゃんたちとの会話も朝市の味のうち。
勝浦タンタンメン
担々麺といっても胡麻やピーナツは使わない。醤油ベースのスープに真っ赤なラー油を浮かべ、炒めた玉ねぎと豚ひき肉をたっぷり。冷たい海から上がった海女や漁師が、冷えきった体を温めるために食べたのが始まりと伝わる、勝浦のご当地ラーメンだ。ひと口すするとじわりと汗がにじむ、旨辛の一杯。