福岡から夜行バスで三重へ出発
金曜の夜、仕事を終えてそのまま夜行バスへ。座席に沈んで目を閉じれば、頭の中はもう明日の伊勢志摩。新名神は通行止め、宿の予約を間違えた人の話でひと盛り上がりしながら、バスは西へ東へ、夜のハイウェイを走っていった。
伊勢志摩の灯台と離島、雨中を兵庫・高砂へ
松阪で夜が明けた。天気はあいにくの空もようだが、せっかくなら伊勢志摩へ。宇治山田駅のどっしりした駅舎を抜け、くたびれ気味の明倫商店街をぶらり。伊勢三大ソウルフードのから揚げ丼にカツドライカレー、名物の手こね寿司——伊勢うどんにはありつけなかったけれど、食い気だけは一丁前だ。この土地の家はどこも玄関に注連縄をかかげていて、一年じゅう神さまが見ていてくれる気配がする。
雨の切れ間をついて五ヶ所浜から浅間山へ登る。蝉しぐれのなか登りきると、鳥居の向こうに五ヶ所湾——運がよければ富士の宝永山まで見えるというが、あいにくの曇天で海と空の境はぼんやり。下りたとたんに雷が鳴り、土砂降りがきた。安乗埼灯台は、登れるのに四角いめずらしい灯台。ずぶ濡れのまま海を見下ろし、コンクリートの家並みがどこか沖縄めいた漁師町を歩いた。
どうしようもない雨で宿も見つからず、やけ酒といく。手こね寿司に、焼くと鮮やかな色が消えてしまうばた貝(ヒオウギ貝)。結局その日のうちに近鉄特急で大阪へ抜け、山陽本線をのろのろ乗り継いで、兵庫・高砂へしけ込んだ。締めは百貨店のイカ焼き——イカたっぷりで、ちょっと高級なお好み焼きみたいだった。
伊勢のしめ縄
伊勢志摩の家々は、玄関先に一年じゅう注連縄(しめなわ)を飾っている。多くは「蘇民将来子孫家門」や、その略とされる「笑門(しょうもん)」の木札を下げたもの。その昔、須佐之男命(すさのおのみこと)を一夜もてなした蘇民将来が、「蘇民将来の子孫」と示す家は災厄をまぬがれると約束された——という信仰にちなむ。正月に外さず掛けっぱなしにするのが伊勢ならではの習わしで、まちを歩くとどの戸口にも、藁を扇形に広げた飾りが揺れている。
姫路から家島諸島、近江・湖南へ
一夜明けて、空はきれいに晴れた。はるばる西まで来たかいがあったというもの。姫路港から小さな船に揺られて、瀬戸内の家島諸島へ。小豆島へ向かう人のほうが多いなか、湾の奥の真浦港から宮港まで乗りつぐ。家島は原付だらけ——とくにビーノが多い。坂と路地のひしめく地形に、今どきの家もマンションも建っていて、思ったより若さのある島だった。
家島神社にお参りして、海沿いの砲台場跡や岬の展望へ。海がとにかくきれいだ。採石と造船で栄えた家島ドックには、黄金にかがやく船のスクリューがずらり。綱手の港からさらに坊勢島へ渡ると、客は自分ひとり、原付ごと船に乗りこむ。お昼は坊勢名物の干カレイがのったカレイライス、セットのラーメンはチャーシューまでうまい。市場でからすみが五百円台——安すぎて笑ってしまう。
本土へ帰って、姫路駅では超久しぶりのえきそばをすする。やっぱりこれだ。新快速と草津線を乗り継いで、存在感うすめの湖南市へ。海なし県だからと川海老のカツ、近江牛のカツ、ふわふわの丁稚麩に柔らかなずいき——しぼりたて感のある地酒と、安くて絶品のからすみで、一日の乗り継ぎをねぎらった。
家島諸島
姫路港の沖に浮かぶ、瀬戸内海の島じま。有人島は家島・坊勢島・男鹿島・西島の四つで、採石と漁業で栄えてきた。坂の多い狭い地形ゆえに車より原付が主役で、路地には原付がずらりと並ぶ。坊勢島は兵庫でも有数の漁師町で、干カレイやのり、からすみが名物。古くは瀬戸内海運の要衝で、島には小豆島の醤油が土産物として並び、海の道でつながっていた歴史をしのばせる。
信楽から大津・比叡山、京都経由で帰路
最終日。貴生川から信楽高原鉄道に乗り換えて、涼しい信楽の里へ。駅前はたぬき、たぬき、またたぬき。社を守るのは——狛狸かと思いきや、ちゃんとした信楽焼の狛犬だった。火鉢づくりから生まれた登り窯が、斜面にながながと横たわる。陶器のまちだけあって、並ぶ置物はたぬきばかりでなく、ちょっとブサイクなペンギンまでいて、それがまた愛らしい。
石山へ降りてアジフライ定食でお昼。おけいはんに揺られて大津の商店街をぶらつき、三井寺へ。弁慶が引きずったという伝説の鐘で知られる古刹だ。坂本まで足をのばして日吉大社——東と西にふたつの本宮をもつ、全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮に手をあわせた。
坂本ケーブルで比叡へ、と思いきや、残金わずか二百円のサバイバル。ケーブルを乗りつぎ、八瀬の駅から叡山電車で出町柳へ降りる。京都では、うどんそばもやる店のカレー中華そばが絶品。〆は、三井寺で買っておいた弁慶力餅——やわらかくて、弁慶感も力感もない優しい甘さだった。銭湯でさっぱりして、夜行バスで福岡へ——行き当たりばったりの四日間が、未明にそっと終わった。
信楽焼のたぬき
滋賀・信楽は、日本六古窯のひとつに数えられる焼き物のまち。もとは火鉢や植木鉢の一大産地で、斜面を利用した「登り窯」で大量に焼いてきた。おなじみの狸の置物は比較的新しく、昭和天皇が信楽行幸の際に日の丸を手にした狸たちが沿道で出迎えたことで全国に知られたという。徳利と通帳をさげ、笠をかぶったその姿は「他を抜く」の語呂で縁起物とされ、まちのいたるところで旅人を見つめている。