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木曽三川と輪中・渡船めぐり
KISO THREE RIVERS · 2022 みなづき前

木曽三川と輪中・渡船めぐり

三つの川、ひとつの舟。尾張西部から海津へ。

2022.5.14 ▶ 5.15

Days2日間
Dist約231km
Area愛知・岐阜・三重
Top最高 77m

木曽川・長良川・揖斐川——「木曽三川」と呼ばれる三つの大河が、濃尾平野の西のはしで肩を寄せ合いながら伊勢湾へ下っていく。氾濫をくり返したこの低地では、人びとは集落をぐるりと堤でかこう「輪中」をつくり、家の土台を高く嵩上げして水とつきあってきた。

その三川を、橋ではなく渡船で越えてみたい。そんな目当てで尾張西部に降り立った二日間。初日は織物の町・玉ノ井のノコギリ屋根をたどり、三川分流の碑や船頭平閘門をめぐったものの、肝心の渡船は強風で赤旗・欠航。翌日は津島と海津の輪中を歩き、リベンジの渡船でついに長良川と木曽川を漕ぎ渡った。名古屋のひつまぶしからCoCo壱1号店まで、水と土と胃袋の記録。

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DAY 1 · 05.14

織物の町と、三川分流のほとり

旅のはじまりは尾張一宮。名鉄の玉ノ井線にゆられて、終点の玉ノ井へ。草に埋もれかけた線路の先に広がるのは、町じゅうに点在する織物工場のノコギリ屋根だ。北向きの窓から安定した光を採りこむギザギザの連なりが、大きな工場にも民家みたいな小屋にも載っている。土曜なのに機織りの音がことこと響き、地名の由来という玉ノ井清水をのぞけば、飲めますと書いてあるのにボウフラがうようよ——蚊に刺されながら、毛織物の町をぶらぶら歩いた。途中の真清田神社では、色とりどりの和傘をあしらった手水舎がバエていた。

祖父江へ南下して、いよいよ渡船。けれど目的地の西中野渡船場に着くと、無情の赤旗——この強風では欠航だ(´;ω;`)。今年の橋の開通で廃止されると聞き、ラストチャンスのつもりで来たのに。気を取り直して冷やしの「えびころ定食」で腹ごしらえし、善光寺東海別院に手を合わせてから、橋で木曽川を渡って岐阜へ上陸する。

ここからが木曽三川の核心。三川分流の碑に昔の水の暴れっぷりを読み、マングローブのように根を張る木曽川の岸——あとで知ればこれもケレップ水制の遺構——にわくわくする。船頭平閘門では、木曽川と長良川の水位差を舟が越えていく仕組みをのぞいた。輪中の民家は土台をうんと嵩上げしていて面白い。揖斐川まで見届け、弥富から電車で名古屋へ戻って、初めてのひつまぶし。そのまま、薬味、だし茶漬け——三度おいしい名古屋めしに(゚д゚)ウマー。宿は離れづくりの尾張温泉で、熱めのお湯に一日の疲れをほどいた。

移動 約95.4km / 獲得標高 172m

ノコギリ屋根と玉ノ井

一宮・尾西は、毛織物で栄えた「尾州(びしゅう)」産地の中心。片流れの屋根を北向きの採光窓にして連ねたノコギリ屋根の工場が、いまも町のあちこちに残る。北からの安定した光は色の見え方が一日じゅう変わらず、糸や織物の検品にうってつけだった。玉ノ井という地名は、飲用できたという湧水「玉ノ井清水」に由来するという。

木曽三川と分流工事

木曽川・長良川・揖斐川は、濃尾平野の西端で複雑に合流・分流をくり返してきた暴れ川。洪水を抑えるため、明治期にはオランダ人技師デ・レイケらの指導で大規模な三川分流工事(明治改修)が行われた。川沿いに点々と残るケレップ水制(水の勢いをいなす石積みの突堤)や、木曽川と長良川を舟が行き来するための船頭平閘門(重要文化財)は、その治水の記憶を今に伝える土木遺産だ。

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DAY 2 · 05.15

輪中をあるき、三川を漕ぎ渡る

朝風呂と朝ごはんでゆっくり発って、電車で津島へ。蟹江ではホームの看板にまで🦀。そこそこの町のはずの津島は思いのほか寂れていたけれど、古い町並みには風情があって、天王祭で知られる津島神社は、朱塗りの楼門をくぐった先に壁がある尾張らしい構えだった。銀座通りの黒い酒蔵をのぞき、藤の終わった天王川公園から海津へ向かう。立田ふれあいの里では名物のれんこん——ハスのココア味なる珍品まで並んでいた。

海津に入ると、町の主題は「水との闘い」に変わる。治水神社は、宝暦の治水工事で命を落とした薩摩藩士をまつる社。恨みではなく感謝の気持ちが神社として残っているのが面白い。三川公園の輪中の農家では、洪水のときに仏壇を二階へ釣り上げる「上げ仏壇」の知恵を知った。家が消えて嵩上げの土台だけが残る風景、水路に小舟が浮かぶ水郷のなごり……低地に生きる工夫を一つずつ見てまわる。

そしてリベンジの渡船。おちょぼさんは後まわしにして、ぽつぽつ降りだす雨のなか渡船場へ急ぐ。分かりづらい場所の西中野渡船場では、きのうの赤旗ではなく、こちらから旗を揚げて舟を呼ぶ。だめかと思ったら舟が動きだした——うぉぉぉ木曽川渡るぅぅぅ!! 昨日の雪辱をはらして三川を漕ぎ渡り、目的達成。あとは消化試合、と美濃路の萩原宿で羽二重餅を買い、締めはCoCo壱番屋1号店のからあげまぶし。カレーとわさび茶漬けが喧嘩するかと思いきやハーモニー。新幹線こだまで帰路についた。

移動 約135.6km / 獲得標高 126m

輪中のくらし

木曽三川にはさまれた海津や津島一帯は、集落ごと堤防でかこった「輪中」の地。土地が低く水が出やすいため、母屋の土台を石垣で高く積み、いざという時の避難用に一段高い「水屋(みずや)」を備えた。洪水が来れば、滑車で仏壇を二階へ引き上げる「上げ仏壇」や、軒に吊るした「上げ舟」で命と家財を守った。水との折り合いの知恵が、家のつくりそのものに刻まれている。

宝暦治水と薩摩義士

江戸中期の宝暦4年(1754年)、幕府は木曽三川の分流工事を薩摩藩に命じた。遠国からの難工事と莫大な出費、疫病や自害で多くの藩士が犠牲になったと伝わる。工事を率いた家老・平田靫負(ゆきえ)らをしのび、海津には治水神社が建てられた。恨みではなく感謝のかたちで、治水の記憶が今も祀られている。