夜のサンライズ出雲で、東京を発つ
旅のはじまりは東京駅。一昨日ようやくキャンセルが取れたサンライズ出雲に、クロちゃんを担いで乗り込む。個室ではなくノビノビ座席——カーペット敷きの区画にごろんと横になれる、いちばん安い寝台だ。
夕飯は済ませてきたから、ビールを一本あけて早々に横になる。カーテンもない簡素な寝床だけれど、レールの継ぎ目を刻む音が子守唄。瀬戸と出雲を連結した長い列車は、関西を通り抜けて夜通し西を目指す。
雨の真庭、木に絡む山藤と羊羹の町
岡山県北で夜行を降りると、緑の匂いが清々しい。あいにくの雨模様だけれど、そのおかげで新緑が冴え冴えと光る。北房から呰部へ、バスと徒歩で山あいを進むと、カキツバタも藤ももう咲きそろっていた。コスモスの里の朝ごはんでは、地元のお母さんが揚げてくれた筍の天ぷらに舌鼓。
そして誰かが見たがっていた「木に絡まる藤」——野良の山藤が、杉や雑木にふさふさと紫の房を垂らす姿は、ここまで見事なものは初めてだった。雨に濡れてしっとり香る。落合と久世のアーケード商店街をのぞけば、なぜか羊羹屋だらけ。舟形の落合羊羹を仕入れて、以後これが旅のおやつ兼・非常食になる。姫新線で新見へ渡り、締めは29の日の千屋牛焼肉で(゚∀゚)!!
野良藤と羊羹
春の中国山地は、手入れもされない「野良藤」が杉や雑木に巻きついて、あちこちで紫の房を垂らす。北房・呰部あたりの山藤は雨に濡れていっそう香り高い。いっぽう落合・久世の古い商店街には羊羹屋が妙に多く、舟のような形の落合羊羹が名物。小ぶりで日持ちし、主食にもおやつにも非常食にもなる——この旅では道中ずっと「羊羹チャージ」が合言葉になった。
備中高梁から広兼邸、ベンガラの吹屋へ
雨は上がり、洗われた空気が澄んでいる。備中高梁の武家屋敷通りを軽く流してから、クロちゃんで吹屋を目指す。成羽の商店街には神楽人形がずらりと並び、人気のない山道を登りきると、谷底から立ちあがる石垣の広兼邸——もはや山城だ。使用人を含め五十人が暮らしたという豪壮な庄屋屋敷に圧倒される。
坂をのぼった先はベンガラ色の吹屋。赤銅色の町並みと、二階に講堂を備えた旧吹屋小学校が美しい。人影の消えた吉岡鉱山跡は、石組みだけが新緑に沈んで静か。台地を新見へ下る道の途中、谷いっぱいにはためく鯉のぼりに「うおーーしゅごい🎏」。やくもで米子へ渡り、庄屋で日本海のモサエビを肴に一献。
ベンガラの町・吹屋
吹屋は、江戸期に銅山と、赤色顔料ベンガラ(弁柄)の産地として栄えた標高約550mの山上集落。ベンガラ塗りの格子や石州瓦が町ぜんたいを赤銅色に染め、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれている。谷向かいの広兼邸は、ベンガラの原料となる緑礬(ローハ)製造で財を成した庄屋の邸宅で、城郭のような石垣が見どころ。映画「八つ墓村」のロケ地としても知られる。
フェリーで隠岐・島後へ。岩牡蠣とオキブルー
米子から境港、クロちゃんで七類港まで走って、フェリーおきの甲板に自転車ごと乗り込む。曇り空の日本海を二時間半、うっすら島影が近づいてくる。「船がでるぞぉぉぉ!」の掛け声どおり、西郷港に着いた途端に空が晴れた。歓迎されている。
上陸一番、港のレストランで岩牡蠣定食。つるつるで箸でつかめないほどの大粒、刺身にイワシにバイ貝まで、海の幸にうんめぇ!の連発。茅葺きの隋神門が立つ玉若酢命神社に手を合わせ、現役の都万の舟屋群を抜けて、今日の最果て・那久岬へ。目にしみるようなオキブルーの海が、断崖の下いっぱいに広がっていた。
隠岐・島後と岩牡蠣
隠岐諸島は島根半島の沖に浮かぶ火山の島々で、ユネスコ世界ジオパークにも認定されている。いちばん大きな島後(どうご)の玄関口が西郷の港町だ。名物は春から初夏の岩牡蠣で、養殖ものは6月ごろまで。夏場に出回るのは冷凍——旬のつるんとした大粒は、地元の人いわく「箸でつかめない」ほど。隠岐そば、サザエ、ヒオウギ貝も島の味覚だ。
島後をぐるり、手彫りの福浦トンネルと星空
島後を自転車で一周する一日。長大トンネルで峠を越えると、道端に突然かぶら杉が現れて笑ってしまう。白島崎の展望台から見下ろす入り江はどこも曰くつきの絶景。放牧の牛がぐいぐい寄ってきて、ちょっとこわい。隠岐一宮・水若酢神社に参り、郷土館や五箇創生館で隠岐相撲や牛突きの映像を見る。
今日の本命は福浦トンネル。岩肌をノミで削った手彫りの素掘りトンネルが、海沿いに連なっている。昔の人の技術と情熱に唸りながら通り抜けると、思いがけず立派な滝まで現れた。空港近くの新しい宿に落ち着いた夜、快晴の空にカメラを向けると——うっすら天の川まで写った。
手彫りの福浦トンネル
島後・五箇の福浦には、集落どうしを結ぶために海沿いの断崖をノミとツルハシで素掘りした手彫りトンネルが残る。荒れれば船は出せず、牛馬で荷を運ぶにはどうしても陸路が要った——その切実さが、明治以降いくつもの素掘り隧道を生んだ。隣にはのちの時代の新しいトンネルも並び、技術の移り変わりをそのまま歩いて通り抜けられる。
鏡の西郷湾、島前経由で本土へ。大根島の牡丹
朝の西郷湾は、風ひとつない明鏡止水。空も山もそっくり水面にうつって、どちらが本物かわからないほどだ。別れを惜しみつつフェリーしらしまに乗り込み、中ノ島の菱浦、西ノ島の別府、知夫里島の来居と、島前の港を数珠つなぎに経由して境港へ帰る。
本土に上陸したら、ロシア語表記も残る江島大橋——通称ベタ踏み坂を渡って大根島へ。溶岩トンネルや淡水レンズの湧き水をのぞき、牡丹の名園・由志園へ向かう。池に浮かべた大輪の牡丹はさすが百花の王。連休の松江はどこも満室で、結局たどり着いたのは快活クラブ。ブラウン管テレビの部屋でクリームソーダをすする。
牡丹の島・大根島
中海に浮かぶ大根島は、噴火でできた溶岩の島。火山岩の中にたまった淡水が地下水となり、牡丹と高麗人参の栽培を支えてきた。島は全国有数の牡丹の産地で、名園・由志園では池の水面に色とりどりの大輪を浮かべる「池泉牡丹」が名物。本土とは、ロシア語表記でも話題になった江島大橋(通称ベタ踏み坂)で結ばれている。
日御碕と出雲大社、斐伊川を下る回転寿司の日
一日のはじまりが回転寿司なんて史上初。黄泉の国につながるという猪目洞窟をのぞき、赤瓦のかわいい漁村・鷺浦を抜けて、強い向かい風をものともせず日御碕へ。白亜の出雲日御碕灯台と、朱塗りあざやかな日御碕神社。国譲りをさせられた出雲から、伊勢に沈む夕日を拝む構図が面白い。
稲佐の浜から出雲大社の界隈へ。レトロな出雲大社前駅から一畑電車「ばたでん」に揺られ、斐伊川を下る。何度も橋が流失していてなかなか対岸に渡れないのが、ヤマタノオロチ伝説の暴れ川らしい。平田の回転寿司で地魚をつまみ、山陰線で江津へ。ラブホのような不思議なビジホに泊まった。
ヤマタノオロチの川・斐伊川
斐伊川は、出雲平野をうねりながら宍道湖へ注ぐ大河。たびたび氾濫してきた暴れ川で、八つの頭を持つヤマタノオロチ伝説のモデルとされる。上流はたたら製鉄がさかんで、砂鉄を採るために山を崩す「鉄穴流し(かんなながし)」が大量の土砂を川に流し、天井川をつくった。河口に鎮まるのが、縁結びの神・大国主をまつる出雲大社だ。
幻の広浜鉄道をたどって、美肌の湯・美又温泉へ
今日は山へ分け入る短い行程。都野津から下府へ列車で移動し、ここから自転車で、ついに開業しなかった幻の路線・広浜鉄道(今福線)の遺構を一つずつたどる。素掘りのトンネル、苔むしたコンクリートの橋脚、そして足元に埋もれていた見事なアーチ橋群——未成線なのに「旧線」まで持つという、ややこしくも贅沢な廃線跡だ。
もし広島と浜田が五十五分で結ばれていたら……と夢想しながらおろち泣き橋を越え、ゴールの美又温泉へ。日本一の美肌の湯というだけあって、肌がつるつるになるぬるすべのお湯だ。やってない宿のほうが多い静かな湯の町で、旅館みくにやの会席をゆっくり味わう。川音とカジカの声が心地よい。
幻の広浜鉄道(今福線)
広島と島根の浜田を結ぶ計画だった鉄道。戦前に工事が始まり、戦後も断続的に続いたが、ついに一度も開業しないまま計画は中止された——いわゆる未成線だ。それでも山中には、トンネル、橋脚、そして五連のコンクリートアーチ橋といった立派な遺構が残り、「幻の鉄道」として土木ファンに知られる。開通していれば広島〜浜田は約55分で結ばれるはずだった。
峠を越えて広島県入り、北広島の里へ
川音とカジカの声のおかげで、今までで一番よく眠れた朝。朝風呂でもう一度ぬるすべを堪能して、北広島町へ峠越えに出発する。瓦屋根をのせた立派な郵便局、羊羹を齧りながら越える市木の町並み——見おろす里山の眺めに「気持ち良すぎる、怖すぎww」。
入口のカントリーサインがないと思ったら、県境のまさかの石碑がお出迎え。アベ◯◯と言いたくなる大朝の大アベマキに見あげられ、大朝駅から千代田へ。弥生時代の竪穴住居が復元されたふるさと歴史公園をのぞき、庄原の蒟蒻ジャーキーを齧りながら、スピリチュアルこじらせ気味の不思議なホテルへしけ込んだ。
毛利の郡山城、芸備線で備後落合のジャンクションへ
土師ダムの八千代湖では、今まで見たなかでいちばんきれいな白藤に出会う。香りもすごい。道の駅から毛利元就の居城・吉田郡山城へ登城——険しくはないが展望はゼロ、家紋の案内板が景色を隠すのもご愛嬌。向原の食堂で、三本も刺さったオクラのお浸しとトロトロのカツ丼に大満足。
分水嶺の「泣き別れ」で日本海と瀬戸内の分かれ目を踏み、芸備線で三次、さらに乗り継いで秘境駅・備後落合へ。かつての鉄道の要衝も、今や乗客はひとり、藤の香りだけが爽やかに漂う。高尾の湯で真っ赤になるまで温まり、木次線でおろちループを越えて、奥出雲のロフト付きの宿に転がり込んだ。
鉄道の難所・備後落合
備後落合は、芸備線と木次線が交わる中国山地のまん中の駅。かつては機関区が置かれ、蒸気機関車やデコイチが行き交う鉄道の要衝としてにぎわった。今は一日数本、乗り換え客もまばらな「秘境駅」になっている。木次線はこの先、三段式スイッチバックや、高低差を稼ぐためのおろちループで知られる難所を越えて、奥出雲へと下っていく。
奥出雲の棚田と米子城、やくもで帰路へ
最終日は奥出雲から。三成の小綺麗な町を抜け、横田の和風の町並みにぽつんと立つ教会の尖塔に見とれる。砂鉄を採るため山を崩した跡地を段々に拓いた、鉄穴流しの棚田——墓のある場所だけ崩されずに残っているのが、たたらの里らしい景色だ。斐乃上温泉のぬるすべに浸かり、たたら跡を眺めて割子そばをすする。
県境を越えて鳥取へ。「島根バイバイ(´;ω;`)」と米子に出て、最後の力で米子城跡に登城する。石垣の天守台からは、中海と日本海、大山までのびやかに見晴らせて「ふわ~しゅっごい!」。締めは米子名物の牛骨ラーメン。やくもの振り子に酔いながら、山陽新幹線を乗り継いで、サンライズで発った東京へと帰っていった。長い長い旅、おつかれちゃん。
たたらと鉄穴流しの棚田
奥出雲は、日本刀の原料にもなる良質な和鋼を生んだ、たたら製鉄の本場。砂鉄は山を切り崩し、水路で土砂ごと流して比重で選り分ける「鉄穴流し(かんなながし)」で採った。採り尽くして平らになった跡地は、水を引いて棚田に生まれ変わる。山の形が変わるほど採掘しても、墓のある一画だけは崩されずに丘として残り、独特の景観をつくっている。ここで採れる仁多米は島根屈指のブランド米だ。