← 一覧
琵琶湖の桜と木地師の里
BIWAKO SAKURA → KIJISHI · 2022 はる

琵琶湖の桜と木地師の里

満開の湖の島から、鈴鹿越えの清流へ。

2022.4.8 ▶ 4.10

Days3日間
Dist約752km
Area滋賀・三重
Top最高 597m

四月のはじめ、金曜の夜に東京を出て、ことりと近江へ。グリーン車でぬくぬくと駅弁をつつきながら、頭のなかは翌朝の桜でいっぱいだった。

春はちゃんと来ていた。西の湖から船に揺られて渡った沖島は、淡水湖にうかぶ日本でただひとつの有人島。そのうえ、島いちめんが満開の桜で、思わず「こんなにすごいなんて知らずに来た」と声がもれるほど。彦根城では堀端の桜が水面にうつり、日が落ちれば鏡のような湖がゆっくり色を変えていった。

翌朝からは自転車にまたがって、多賀大社から犬上川をさかのぼり、木地師の祖をまつる山里へ。鈴鹿の雪解け水に心を洗われ、恐怖のトンネルを抜けて三重へ下り、四日市のトンテキで旅を締めた——桜と清流とごちそうの、濃い三日間の記録。

1
DAY 1 · 04.08

金曜夜に東京を発ち滋賀へ移動

旅のはじまりは金曜の夜。仕事終わりに列車へ飛び乗って、グリーン車でひとり駅弁をひらく。深川めしにビール、車窓を流れていく灯りを肴にすれば、頭のなかはもう明日の桜でいっぱいだ。

前の夜はよく眠れなかったから、今夜はもう店じまい。近江のまちに着いて宿に荷をほどき、満開を願って早々と布団にもぐりこんだ。

移動 約371.9km

2
DAY 2 · 04.09

近江八幡・沖島の桜と彦根城

朝の近江は、桜と麦畑が朝日に染まってうつくしい。安土駅前では腕をのばした織田信長像が旅人を見送り、西の湖のほとりには、茅葺きにつかう葭(よし)が刈り取られてうずたかく積まれていた。花をくぐるように神社の石段をのぼり、のどかな牧場のあいだを行く——近江牛はこのあたりで育つらしい。

堀切の港から船に揺られて、沖島へ。琵琶湖にうかぶ、日本でただひとつの有人島だ。上陸すればレンタサイクルまで三輪車という、なんともほのぼのした島。そして、島じゅうが桜だった。「正直こんなにすごいなんて、全然知らずに来た」——花のトンネルをくぐり、湖と桜のあいだを歩き、島の山にのぼって、時間が足りなくなるほど見とれた。

本州へ戻って、午後は彦根城。さすが名所、堀端の桜は水面にうつって、ほえ~とため息がもれる。日が落ちると琵琶湖は鏡のよう、沈んだあとも色がゆっくり移ろって名残惜しい。夜は郷土料理の店で鮒寿司がキタ━━!! 酸味と塩味が地酒にしみて、だし巻きはふわとろ。締めは堀端の夜桜、ライトアップにしばし見とれた。

移動 約296.6km / 獲得標高 319m

沖島(おきしま)

琵琶湖の北東にうかぶ、周囲約7kmの小さな島。淡水湖に人が暮らす島は国内でここだけで、三百人ほどの島民の多くは漁業で生計を立てる。道が狭く平坦なため、島内の足は自転車——それも三輪の自転車が名物で、レンタサイクルまで三輪車だ。春には家々のあいだや湖畔に桜が咲きこぼれ、堀切港から通う船は花見客でにぎわう。車の走らない島に、鳥の声と波の音だけがひびく。

3
DAY 3 · 04.10

自転車で木地師の里を越え四日市へ

彦根の朝、残しておいた桜餅を食べて出発——と思ったら前輪がパンク。小さな穴だったのでパッチで応急処置して、気を取り直して走り出す。重要伝統的建造物群の芹町の町並みを抜け、近江鉄道の電車にゆられて多賀大社前へ。お多賀さんにお参りして、古い宿場の商家が並ぶ門前町をゆく。

ここから犬上川をさかのぼる。川の水がとにかくきれいだ。沿道には、淡い黄のぼんぼりのようなミツマタの花。圏外の山道をひたすら登って峠を越えると、そこは木地師の里。全国の木地師に「どの山の木を伐ってもよい」という免状を与えたと伝わる惟喬(これたか)親王をまつる里で、大皇器地祖神社や筒井神社がしずかにたたずむ。資料館はどこも閉まっていて、お椀を買えなかったのが心残り。

鈴鹿の雪解け水だろうか、見ているだけで心が洗われるような清流を下って、道の駅で岩魚寿司。もうひと頑張り登って、ドラムの音が響く恐怖の石榑トンネルを抜ければ三重県だ。四日市に下って、締めはお目当てのトンテキ。ブタ━━!! 肉厚で外はカリッ、中はムチムチ、ソースがよくきいて、キャベツと山盛りごはんで大満足。名古屋経由の新幹線で、濃い三日間の帰路についた。

移動 約82.4km / 獲得標高 424m

木地師の里

お椀やお盆などの木地(木工)を挽く職人=木地師の、発祥の地とされる滋賀・東近江の山里。君ヶ畑や蛭谷に、木地師の祖とあおがれる惟喬親王ゆかりの社が残る。平安初期、皇位につけなかった親王がこの地に隠棲し、ろくろの技を伝えたという伝承から、全国の木地師は「どの山の木を伐ってもよい」という免状を奉じ、諸国の山を渡り歩いた。縁もゆかりもなさそうな滋賀の山奥が本籍地、という人が各地にいるのは、この木地師の移動の名残なのだという。