東北新幹線で郡山へ 湖南から喜多方泊
旅のはじまりは郡山。「新宿から特急でお出掛け、さぁどこだ?」と出題するより先に、写り込んだホテルの看板であっさり行き先がばれてしまう。バスの時間まで、公園の多いまちをぶらり。麓山(はやま)公園の池や、移築された趣ある古い木造家屋をのぞき、開成山公園では妙に大きなピンクのキャラクターに出くわした。
乗り換えを重ねて、猪苗代湖の南岸・湖南へ。来るのはちょうど一年ぶり、まだ寒いけれど、どこか春が近づく気配がする。慣れてきたのか逃げない白鳥たちと、雪をいただいた磐梯山を横目に、波の高い湖畔の浜をずっと歩いた。磐越西線に揺られて喜多方に着くころには日が暮れて、宿の笹屋旅館へ。会津の味を買い込んで、いかにんじんをつまみに夜がふける。
いかにんじん
するめと人参を醤油・酒・みりんで漬けこんだ、福島・会津地方のお正月の定番。細切りの人参にするめの旨みと歯ごたえが移って、酒の肴にもごはんのお供にもよく合う。中通りと会津ではこのいかにんじんが酒の肴の代表格で、浜通りでは「しそ巻き」がその座をしめるという。北海道の郷土料理「松前漬け」のルーツとも言われる、北国の保存食だ。
喜多方の朝ラーと酒蔵、裏磐梯から中ノ沢温泉へ
喜多方の朝は、ラーメンから。開店前から地元のおっちゃんが集まるまこと食堂で、朝チャー(朝のチャーシューメン)をすする。澄んだ醤油スープに平打ち麺、朝日がのぼって遠くの飯豊(いいで)山も白く輝く、気持ちのいい一日のはじまり。市街地には酒蔵と黒漆喰・レンガの蔵が点々と並び、「これだけ見せつけられて黙っておれん!」と唸りながら小田付(おたづき)の町を歩いた。
バスで北塩原村へ移り、お高いけれど山塩を買う。目当ての桧原湖はまだ一面の氷で、ワカサギ釣りのテントが点々、スノーモービルがあちこち爆走している。雪をのせた鳥居に、雪崩の落ちてきた桧原集落、時間の止まった沼尻軌道の廃線跡——真っ白な裏磐梯をたどって猪苗代方面へ下っていく。
途中、酸川(すかわ)のほとりの食堂で雨宿りをかねて昼ラーメン。思ったよりボリュームがあってうまい。夕方、たどり着いた中ノ沢温泉は、硫黄のにおい立つ山あいの湯の町。今夜の宿は温泉街で一番安い宿だけれど、沼尻軌道の資料がずらりと並び、ストーブが三台。部屋食の鍋と猪苗代の地酒で体をあたため、黄色いケロリン桶の硫黄泉にちゃぷんと浸かった。
喜多方ラーメンと「朝ラー」
人口あたりのラーメン店数が日本有数という喜多方。太めの平打ち縮れ麺に、あっさりした醤油スープが基本だ。朝から一杯やる習慣「朝ラー」が根づいていて、七時ごろから暖簾を出す店も多い。農家が早朝の仕事のあとに食べたのが始まりとも、冠婚葬祭でふるまったラーメンの名残とも言われる。緊急事態宣言下でも行列ができた店があるとか——冬の平日の朝でも、地元の常連がふらりとやってくる。
桧原湖と、沈んだ村
裏磐梯に広がる桧原湖は、1888年の磐梯山の噴火で川がせき止められ、ひと晩でできた湖だ。このとき旧桧原村の集落は水の底に沈み、いまも渇水期や厳冬の氷上には、水没した神社の鳥居が顔を出す。冬は湖面がすっかり凍りつき、色とりどりのテントを張ったワカサギ釣りでにぎわう——雪をのせた鳥居と、氷の上の小さな町のような眺めは、この湖ならではの冬景色だ。
沼尻駅跡から郡山・いわき経由で茨城へ、帰宅
一晩で路面は真っ白。ときおり吹雪くなか、朝風呂と部屋食の朝ごはん(発酵しまくりのヨーグルト・納豆・乳酸菌飲料に、意外とうまいソーセージライス)で力をためる。宿を出て、見たかった沼尻軌道の沼尻駅跡へ。雪のなかに残る軽便鉄道の名残と、バスから見えて気になっていた雪まみれの石碑群を、ようやく間近で見られた。
吹雪のなかやってきたバスで猪苗代駅に出て、磐越西線で郡山へ。お昼は真っ黒な郡山ブラックの一杯をすすり、お多福面と酒樽のならぶ安積国造(あさかくにつこ)神社に手をあわせる。磐越東線でいわきに抜け、浜通りの名物・長久保のしそ巻きを手に入れた。
常磐線で南へ下るにつれ、雪雲は遠ざかっていった。磯原の駅裏では、横長のきれいな波が打ち寄せる太平洋。締めは勝田で、ひたちなか名物のスタミナ冷やし——このボリュームで八百円、やっぱりうまい。チューリップの唐揚げ(手羽先)と地ビールも買い込んで、雪の会津から太平洋まで、冬の鈍行旅を静かに閉じた。
沼尻軌道と「高原列車は行く」
中ノ沢・沼尻温泉と川桁駅を結んでいた軽便鉄道。硫黄鉱山の鉱石と、温泉客や地元の人を運んでいた。沿線の風景に着想を得たとされる唱歌「高原列車は行く」でも親しまれたが、1968年に廃止された。いまも沿線には駅跡や廃線跡が点々と残り、中ノ沢温泉の宿には当時の資料が大切に展示されている。雪のなかにたたずむ駅跡が、高原を走った小さな汽車の記憶を伝えている。