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氷柱と雪灯り 木曽から諏訪へ
KISO · SUWA · 2022 真冬の信州

氷柱と雪灯り 木曽から諏訪へ

白川の氷柱群、木曽福島の雪灯り、凍る諏訪湖。

2022.2.4 ▶ 2.6

Days3日間
Dist約396km
Area長野・岐阜
Top最高 1484m

真冬の信州へ、夜行バスに飛び乗った。早朝の中津川で降りると、まちは粉雪に白くけぶっている。木曽路を北へ、崖屋造りの家並みと雪の宿場をたどり、黒沢からは御嶽神社の参道をえっちらおっちら登って、白川の氷柱群と対面する——写真では伝わらない、ひとの背丈をゆうに超える青い氷の壁。

夜は木曽福島へ戻り、雪灯りの散歩路へ。ろうそくの灯をともした無数の氷灯籠が、雪の宿場をほのあかく照らす。翌日は塩尻をこえて上諏訪、凍りはじめた諏訪湖と高島城をめぐり、白樺湖の雪、芦田宿、そして上田の肉うどんで締めた。寒くて、あたたかい、三日間の記録。

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DAY 1 · 02.04

東京駅から、夜行バスで木曽へ

旅のはじまりは東京駅の夜。乗り込んだ高速バスはまさかの貸し切り……かと思いきや、わざわざ東京駅まで出たのに新宿にも寄るらしい。中央線ならすぐの二駅を、四十五分もかけて両どりしていく。新宿から二人だけ乗ってきて、あとは暗い車内でおやすみなさい。目が覚めれば、もう雪の木曽だ。

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DAY 2 · 02.05

御嶽の氷柱と、木曽福島の雪灯り

早朝の中津川に降りると、こなあああゆきが舞っていた。はざま酒造の酒樽も、野尻宿の格子戸も、うっすら雪化粧。散歩中の犬が雪にはしゃぐのを横目に、木曽川べりの崖屋造り——石垣の上に家々が川へせり出す、めまいのするような家並み——を抜けて木曽福島へ。駅前は、表と裏で顔がまるで違う『狂った』たたずまい。このふり返りざまの一枚が、のちにSNSでちょっとバズることになる。

バスで黒沢へ。御嶽神社の里宮から、一合目、二合目……気づけば参道をのぼる軽い冬山登山になっていた(;´Д`)。そして白川の氷柱群キタ━━!! 崖いちめんに成長した氷の柱は、鋭くて、青くて、でかい。火山の麓ゆえ川底は鉄分でまっ赤。写真じゃ伝わらないから現地で見るに限る、とみなが口をそろえる絶景だ。けやきの湯でさっぱり温まり、乳酸発酵のすんきそばで腹ごしらえ——酸っぱいんだけど優しい酸味で(゚д゚)ウマー。

日が落ちて、雪灯りの散歩路。もう灯りはじめとる! ろうそくをともした氷灯籠が、雪の宿場をほのあかく染める。火はどうしてこう、ひとをうっとりさせるのか。コロナで各会場が中止になるなか、ここ木曽福島だけは灯してくれた。夜はラーメン55のすんきラーメンをすすり、名残惜しくも部屋にもどって、檜のお風呂に身を沈めた一日。

移動 約75.0km / 獲得標高 734m

雪灯りの散歩路

木曽福島の冬をいろどる、氷とろうそくの祭り。水をはったバケツや型で氷の灯籠をつくり、中にともした炎で雪の宿場町をほのあかく照らす。押し花や紅葉を閉じこめたパネル状の氷もあって、ろうそくの灯にすけて美しい。崖屋造りの建つ木曽川べりや、城下町のなごり『上の段』など、町のあちこちが会場になる。かつては木曽路の各所で同時に灯されたが、この年はコロナ禍で規模を縮小、木曽福島だけの開催だった。湯けむりと雪のにおいのなか、人々がそぞろ歩く、あたたかな灯りの夜だ。

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DAY 3 · 02.06

凍る諏訪湖と高島城、上田へ

三日目は塩尻をこえて上諏訪へ。昨日の木曽よりかえって寒く、諏訪湖は上流側だけがうっすら凍って、流氷のように氷が寄せていた。湖畔から高島城へ。かつて諏訪湖に浮かぶ『浮城』とうたわれた城で、道路ぎわに石垣が直づけされているのがおもしろい。お堀まで凍って、鴨が氷のふちをすたすた歩いていた。

天守には登らず、甲州街道を茅野まで歩く。苔むす鳥居の足長神社に手を合わせ、諏訪じゅうに点在する共同浴場や、やけにアシンメトリーな酒蔵をながめながら、味噌と寒天のまちを行く。茅野からバスにゆられて標高を上げると、白樺湖は雪のなか。立科へ下って芦田宿を歩き、権現の湯の休憩処からは、浅間連峰がどーんと見えた。

締めは上田。中村屋の肉うどんは馬肉がのって、福岡のうどんみたいにやわらかな一杯(゚д゚)ウマー。そして新幹線の車中では、信州の地酒とつまみをならべる『居酒屋新幹線』で乾杯。さらば信州、また逢う日まで。

移動 約115.4km / 獲得標高 278m

御神渡りと諏訪湖

冬、諏訪湖の全面結氷が進むと、氷がせり上がって山脈のような筋をつくる『御神渡り(おみわたり)』が現れることがある。諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへ渡った跡とされ、八剣神社がその出現を見極めて神事をおこなう。近年は暖冬で、出現しない『明けの海』の年も多い。この日の湖は上諏訪側だけがうっすら凍り、氷が流氷のように岸へ寄せていた。ちなみにこの年は、七年に一度の御柱祭(おんばしら)の年でもあった。