名古屋から、夜の新幹線で博多へ
仕事を終えて飛び乗った新幹線は、岡山行きの切符のまま博多行きに乗り換えた。腹ごしらえのつもりが、飛び乗ったので手持ちの食料は羊羹だけ。車内販売のワゴンは🍙どころかサンドイッチもなく、空きっ腹のまま西へ西へ。
深夜の博多に着くころには、イルミネーションも消えて、開いている店もほとんどない。とんこつラーメンと明太子ごはんにありついて、駅前のネットカフェにもぐり込む。南の島は、まだずっと遠い。
大都会キャゴンマ、雨の鹿児島さんぽ
新幹線を乗り継いで、朝の鹿児島へ。天気は悪く普通に寒いが、南はやっぱりどこか明るい。まずは魚類市場の食堂で朝ごはん——歯ごたえと甘みのある刺身にウニ、旬のきびなごは売り切れていたけれど、これぞ港町の朝。南洲公園では西郷どんと西南戦争の戦没者が眠り、人懐っこい猫が足もとに寄ってきた。
世界遺産の仙巌園から桜島を望み、集成館をのぞく。昼は山形屋食堂で、焼きそばを頼んだはずが皿うどんのような一皿が出てくる珍事。素朴な味に舌鼓を打つうちに、外はザーザー降りになっていた。雨のなか城山に登れば桜島は雲に消え、西郷隆盛が最期にこもった洞窟を見て、熱いのにあまり熱く感じない不思議な温泉でひとやすみ。
そして夕方、17時10分発のフェリーへ。帰省客でごった返すターミナルを抜け、マルエーフェリーの「フェリーあまみ」に乗り込む。船がでるぞぉぉぉぉ! 奄美のシュガー島・喜界島をめざして、最初の夜行航海がはじまった。
夜行フェリーで島へ
鹿児島と奄美・沖縄をむすぶ航路は、マルエーフェリーとマリックスラインが交互に運航する島の生命線。鹿児島を夕方に出て、名瀬・亀徳・和泊・与論を経て翌日那覇に着く。飛行機なら一時間の距離を、ゴトゴトと一晩以上かけて渡る。年末年始は帰省客でにぎわい、船内のレストランは出港後に開くのがお約束。充電設備やお風呂の有無も船によってまちまちで、長い船旅の作法がある。
サンゴ石垣とサトウキビ、喜界島ひとまわり
夜明け前、まさかの早町港に変更になって喜界島に上陸。案内も送迎もタクシーもなく、風が強くて普通に寒い。奄美大島へ向かうフェリーを見送ってから、今年ラストの日の出を拝む。志戸桶の集落を歩けば、平家上陸の碑に出会い、サンゴを積んだ石垣が平屋の集落を囲っている。神社の鳥居はなんだかかわいらしい。
ざわわ、ざわわとサトウキビ畑が鳴る。大久保展望台からは奄美大島がうっすら見え、喜界島一の景色に「キタ━━!!」と声が出る。軽石の漂うスギラビーチ、阿伝のサンゴ石垣集落、バスから見えて気になって寄った末吉神社——島を一周して、期待以上に回れた。
夜はホテルの居酒屋「あかしょうびん」へ。クンマー(貝)とサクナー(長命草)入りの天ぷら盛り合わせに、〆は油そうめん。油感はまるでなく、鰹節と煮干しの効いた優しい味。思ったよりだいぶ量が多くて、島の夜はにぎやかに更けていった。
喜界島とサトウキビ
隆起サンゴ礁でできた、周囲およそ50kmの平らな島。島のあちこちをサトウキビ畑が覆い、冬は収穫と製糖の季節だ。強い潮風からサトウキビや暮らしを守るため、集落はサンゴの石灰岩を積んだ石垣でぐるりと囲まれる。阿伝集落の石垣はとりわけ見事で、観光案内にも載る。胡麻の産地としても知られ、島ゴマは土産の定番。この冬は小笠原の噴火で流れ着いた軽石が、浜に打ち寄せていた。
大時化の海を南下、沖永良部で年越し
早朝のフェリーで喜界島を発つ。二日酔いに船酔いのダブルパンチ、大島の先端を回るまでの揺れがとにかくやばい。名瀬、古仁屋、亀徳と島づたいに寄港をかさね、甲板に出てはリフレッシュ。船を追って飛ぶカツオドリの群れが、荒れた海の道連れだった。
夕方、沖永良部島に上陸。いもーれ(いらっしゃい)の響きは、奄美というより沖縄に近い。平成の名水百選・ジッキョヌホーの湧き水をのぞいてから、島いちばんの観光ホテルへ。
レストランで最後の晩餐。生きくらげの天ぷら、スパム、そしてメインは奄美名物の鶏飯。〆は年越しの桑の葉そば。島で年を越す帰省客でにぎわう食堂で、紅白を見ながら、荒れた海のむこうに2022年がやってきた。
奄美・沖永良部の鶏飯
鶏飯(けいはん)は奄美を代表する郷土料理。ほぐした鶏肉、錦糸卵、椎茸、刻んだ島みかんの皮や漬物をごはんにのせ、鶏ガラのだしをたっぷり注いで、お茶漬けのようにさらさらと食べる。もとは島の役人をもてなす最高のごちそうだったという。沖永良部島は奄美群島の南端近くに位置し、黒糖焼酎の島でありながら、言葉も食も沖縄の色が濃くなってくる。
元日、沖永良部島を歩いて縦断38.5km
あけましておめでとう。ホテルの近くで初日の出を拝み、まだ誰もいない神社で初詣。レンタサイクルが全部貸出中だったので、しかたなく歩いて島を縦断することに。風もなく暖かく、元旦から菜の花が咲いていた。
サンゴ石垣のお墓、貝殻だらけの潮溜まり、屋子母海岸のお花畑。住吉暗川(すみよしくらごう)は、地下の鍾乳洞を流れる川——昔はここの水を飲んでいたという。階段が川になっていて、懐中電灯がなければ奥まで行けなかった。隆起サンゴ礁の島ならではの、ふしぎな地形がつづく。
田皆岬キタ━━!! 柵もない断崖から見下ろす海に、タマヒュン。岬のカフェで角煮入りトルティーヤと沖永良部産マンゴーのスムージーをほおばる。世之主(よのぬし)の墓は沖縄の城みたいにでかく、島の歴史の深さを思う。日が暮れ、懐中電灯を頼りに歩いて、38.5キロの果てに和泊の宿へ。足の裏が死んだ。
隆起サンゴ礁の島あるき
沖永良部島はサンゴ礁が隆起してできた島で、石灰岩が雨水に溶けてできた鍾乳洞や地下水路(暗川=くらごう)が各地にある。住吉暗川は、昔の人が暮らしの水を汲んだ地下の川。島の墓はサンゴの石灰岩で囲われ、沖縄の亀甲墓に通じる大きさで、15世紀にこの島を治めた世之主(よのぬし)の墓は壮大だ。レンタサイクルが満車で、元旦から徒歩38.5km——日が沈んでから暗くなるまでの時間が、南の島はやたらと長い。
フーチャの潮吹き、与論の青、そして那覇
和泊港でようやく朝日を拝んでから、船の時間まで国頭(くにがみ)をめぐる。フーチャは、荒波が岩の穴から潮を吹き上げる豪快なスポット。柵もない断崖絶壁が多すぎて、ちょっと怖い。国頭暗川で雨宿りし、小学校の「気になる木」のような大木を見上げる。朝ごはんの無人販売でアップルバナナと島バナナを調達。
マリックスラインの大型船「クイーンコーラルプラス」に乗り込む。フェリーあまみ・きかいとは船のデカさも設備も違い、お風呂もレストランもある。与論島に寄港すると、雨なのに海の青がすごい。サンゴ礁の外側ですら、この色。
長い航海の末、本部を経て夜の那覇へ。大都会の灯りに震える——人口30万、国の首都(琉球政府の、だけど)。適当に入った居酒屋で、ゴーヤの天ぷら、海ぶどう、ジーマーミ揚げ出し。泡盛をロックで、島から島へ渡ってきた体をねぎらった。
フーチャと国頭の断崖
沖永良部島の北端・国頭には、フーチャと呼ばれる海蝕洞がある。高波の日、岩の裂け目から海水を激しく噴き上げるさまから「潮吹き洞窟」とも。周囲は柵のない断崖絶壁で、晴れた日の眺めは絶景だが足もとは油断できない。すぐ近くの国頭小学校には、幹まわりの太いガジュマルの大木が立ち、CMの「この木なんの木」を思わせる。島には暗川(地下水路)も点在する。
渡名喜の海を越えて、天空の宇江城へ
那覇の24時間食堂で朝ごはんをかき込み、とまりんから久米島行きのフェリーに乗る。晴れた! 慶良間の島々を横目に、船を追うカツオドリを流し撮り。途中、渡名喜島に寄港すると、バスクリンを溶かしたような青い海——はての浜もうっすら見えて、思わず息をのむ。
久米島に上陸。バスに揺られて比屋定(ひやじょう)バンタからはての浜を望み、宇江城(うえぐすく)グスクへ登城。島いちばんの高みに立つ城跡は、まさに天空の城。雲が一面を覆っていたのに、気づけば晴れている——ほんとうに天気のコロコロ変わる島だ。
フクギ並木と昔ながらの家が残る真謝(まじゃ)の集落を抜けて、イーフビーチの宿へ。浴槽にカーテンという、なかなかの風呂に笑いながら、居酒屋で生の車海老と久米赤鶏の焼鳥。〆のつもりのたい焼きまで、島のごちそうを平らげた。
久米島と宇江城グスク
「球美(くみ)の島」とも呼ばれる久米島は、琉球王朝の時代に海上交通の要として栄えた。島の最高地点(標高約310m)に築かれた宇江城グスクは、15世紀ごろの山城で、晴れた日には久米島全体と周りの海、はての浜まで見渡せる天空の城だ。沖の砂州・はての浜はエメラルドの海に浮かぶ白い砂だけの島として知られ、比屋定バンタの展望台から遠望できる。
星降る海辺と、奥武島の青い渚
しぶんぎ座流星群の夜。北東は雲に隠れていたけれど、西の空にひとつ流れ星。やっぱり島は星の量が違う、星降る海辺だ。朝日の時間を少し寝過ごしつつ、イーフビーチで初日の出ならぬ元日明けの朝焼けを拝む。
ぼろぼろじゅーしぃ(沖縄風炊き込みごはん)で腹ごしらえして、奥武島(おうじま)へ。きれいすぎる海に、誰かが砂浜に描いたLOVEの文字。アサギマダラが舞い、蝶がいっぱいで綺麗だった。久米島で沖永良部のサータアンダギーを頬張るという、旅人ならではの時空のねじれも楽しんで。
14時のフェリー琉球で那覇へ戻る。古い船がゴトゴトと海を渡り、泊大橋をくぐって本島上陸。腹が、減った——豚の中身(モツ)そばをかき込んで、ステーキ屋をにらみながら、島旅もいよいよ終盤へ。
コザのアメリカ、〆はルートビア
最終日はバスでコザ(沖縄市)へ。ゲート通りはこんなんアメリカやん、という多国籍な街並み。かつて米軍統治下で栄えた一番街やパークアベニューを歩けば、復帰の歴史を描いた絵巻や、新しい店とシャッターが入り混じる。お昼は馬汁——馬肉と大根、人参、昆布、豆腐の滋味深い一杯で(゚д゚)ウマー。
米軍統治時代から続くプラザハウス、そして「イオン統治時代」のライカムから景色を眺めて、那覇へ戻る。空港の A&W で、名物ルートビアを何杯もおかわり。サロンパスみたいな独特の味を、飲みおさめ。
思えば遠くへ来たもんだ。船と足で島から島へ渡った九日間も、ここでおしまい。翻車魚(マンボウ=悪天候による引き返し)が出る前に、無事に名古屋ゆきの機上の人となった。さらば南の島、また逢う日まで。
コザという街
沖縄本島中部の沖縄市は、通称「コザ」。嘉手納基地などに隣接し、戦後アメリカ統治下で基地の街として独自の文化を育んだ。ゲート通りやパークアベニュー(旧センター通り)には、英語の看板やアメリカ雑貨の店が並び、本土とも那覇とも違う空気が流れる。1970年のコザ騒動をはじめ、本土復帰(1972年)へいたる沖縄の記憶が刻まれた街でもある。