金曜の夜、東京を発って大阪へ
金曜の夜、仕事を終えて東京駅へ。旅のお供にと深川めしを買おうとしたら、まさかの売り切れ(# ゚Д゚)。しかたなくカツカレーサンドと柿の種をかかえ、西をめざして出発する。
着いたのは大阪。ネオンぎらぎらの道頓堀をひやかして、グリコの看板に『ただいま』。今夜の宿は、ラブホ街のまんなかに建つ元ラブホらしきビジネスホテル。赤い絨毯のあやしい部屋で、明日の島めぐりにそなえて早めに眠る。
海を渡って淡路島へ——砲台跡と洲本城
朝いちで大阪を発ち、岬町の深日港から高速船『深日洲本ライナー』に飛び乗る。わずかな船旅で、もう淡路島・洲本に上陸だ。足をのばして由良へ、そこから電話で呼ぶ小さな渡船に揺られて成ヶ島へ渡る。時刻表なんてあってないようなもので、着いたら電話、を繰り返す。
細長い砂州は『淡路橋立』とも呼ばれ、山頂からの眺めは天橋立そっくり。島には、紀淡海峡をにらんだ赤レンガの砲台跡がいくつも眠っていた。対岸の友ヶ島は大人気なのに、こちらはひとけゼロ。あとをついてくるのは猫だけだ。
洲本に戻って三熊山をのぼれば、紅葉につつまれた洲本城の天守があらわれた。本丸から見下ろす町と海に『大都会すぎぃ』と声が出る。日が暮れた市街は、弁天さんの赤い鳥居を起点に、アーケードが三本も連なる堂々の繁華街だった。
紀淡海峡の砲台跡
明治のころ、大阪湾の入口にあたる紀淡海峡を守るため、友ヶ島・加太(和歌山側)と由良(淡路島側)に砲台群が築かれ、まとめて『由良要塞』と呼ばれた。成ヶ島や生石(おいし)の岬には、赤レンガ造りの砲台跡や弾薬庫がいまも残る。廃墟ブームで賑わう対岸の友ヶ島にくらべ、こちら側を訪れる人は少なく、草にうもれた遺構を静かに独り占めできる。
玉ねぎと人形浄瑠璃、鳴門の渦潮をこえて徳島へ
明くる朝は、島の南でむかえた。畑の脇に並ぶ謎の小屋は、玉ねぎを干す『吊り小屋』。干すと甘みが増すのだとか。恋森神社で燃え上がるような熱い恋を祈願し(念のため)、古い呉服店の残るちりめんロードをぬけて福良の町へ。軒先には、しめ縄の橙だけを一年じゅう吊るす漁師町の縁起かつぎがぶらさがっていた。
天気が怪しかったので、淡路人形座で人形浄瑠璃を鑑賞。一体の人形を三人がかりで操り、太夫の語りと三味線がつく大がかりな舞台に見入った。昼はクボタ水産でとれたての刺身をほおばり、いよいよ鳴門岬へ。大鳴門橋の真下に立つと、潮の流れの速さはこれまで見たどの海峡よりすごい——肝心の渦はちょっぴり控えめだったけれど。
橋をバスでわたって四国へ。トワイライトの鳴門海峡に見とれ、光のトンネルをくぐり、あらたえの湯で塩気の強い湯にプヒュー。そして締めは、この旅いちばんの目的だった徳島ラーメン。開いている店を探し歩いてたどり着いた麺王の一杯をすすり、夜行バスでそのまま東京へ、エクストリーム帰国。
鳴門の渦潮
鳴門海峡は、瀬戸内海と紀伊水道をむすぶ幅およそ1.3kmの狭い水道。潮の満ち引きのたび、両側の海面に差ができて大量の海水が一気に流れこみ、世界でも有数の渦潮が生まれる。渦が大きくなるのは大潮の前後、満潮・干潮の時間帯で、タイミングが合えば直径20mを超えることも。逆に時間を外すと『うずしょドコー』と探すことになる。
淡路人形浄瑠璃
淡路島に500年ちかく伝わる人形芝居で、国の重要無形民俗文化財。一体の人形を、主遣い・左遣い・足遣いの三人がかりで動かし、太夫の語りと三味線にのせて物語をつむぐ。かつては島に多くの人形座があり、全国をまわって各地の人形芝居のもとになったという。いまは福良の淡路人形座で、その技をまぢかに見ることができる。